Chapter 1 of 8

「親分、長い間お世話になりましたが――」

八五郎はいきなり妙なことを言ひ出すのです。まだ火の入らない長火鉢の前、お茶をのんで煙草をふかして、煙草を呑んでお茶を啜つて、五尺八寸の身體が、ニコチンとカフエーンで一杯になつた頃、何やら繼穗のない話を思ひ出したのでせう。

「大層改まるぢやないか、――まさか長い草鞋を履くについての挨拶ぢやあるめえな」

平次は大きく欠伸を一つ、節をつけて、さて――と言つた顏になります。

「そんなしめつぽい話ぢやありませんよ。例へば、煙草がなくなるとツイ、向柳原から此處まで飛んで來て、尻から煙の出るほど吸ふといつたあつしでせう」

「どうもさうらしいな。飯の食ひ溜めといふことは聽いたが、煙草の呑み溜めは、八五郎一人に備はる藝當だよ」

「そこでね、親分。それもこれも不斷小遣ひのないせゐでせう」

「恐ろしく悟りやがつたな」

「金儲けなんて藝當はあつしの柄ぢやなし、こいつは一番心を入れ換へて、溜めるに越したことはないと覺悟をきめましたよ。道話の先生もさう言つたでせう――儲けるより溜める方が早い――と」

「大層なことになるものだな。氣は確かか、八」

「へツ、ずんと正氣で、この通り」

などと、自分の胸をドンと打つて見せる八五郎です。

「ところで、金を溜めて、何うしようといふのだ。江戸つ子にはない嗜みだが、後學のために聽いて置かうぢやないか」

「先づ第一に、煙草を呑み度くなる度毎に、一々此處まで飛んで來るのが止せますね」

「成程、下駄が減らなくて宜いだらう」

「小遣ひがなくなつて、親分のところへ借りに來ると、きまつたやうにお靜姐さんが風呂敷包を持つて、お勝手口から驅け出すでせう。あれは殺生過ぎて見ちや居られませんよ、親分の前だが」

「馬鹿野郎」

「へエ」

「お靜がお勝手口から飛び出したつて、まさか、身賣をするわけぢやあるめえ、多寡が質屋通ひだ。こちとらの女房が質屋の暖簾をくゞるのは、三度の飯を炊くのと同じことだよ。餘計な氣を廻しやがると、水をぶツかけて、角のムク犬をけしかけるよ」

「ま、待つて下さいよ。金の入用なわけがもう一つあるんで」

「何んだえ、それは」

「叔母さんが早く氣に入つた女房を持て/\と、うるさく言ひますが、握りつ拳ぢや男つ振りがどうあらうと、來てくれ手がありませんよ」

「成程、祝言の入費が欲しいのか、そいつは本當だらう、早くさう言へば宜いのに。煙草も質屋も餘計なことぢやないか」

「で、此間から、飮むものも飮まずに、せつせと溜めましたよ」

「もうやつて居るのか、いくら溜つたんだ――安心しなよ、貸せとは言はねえ」

「塵も積れば山で、十文二十文と溜めて叔母へ預けた金が、ざつと六百二十四文」

「何んだ、一貫とも纒まらねえのか、六百文や七百文は金とは言はない、それは錢だよ。馬鹿馬鹿しい」

「尤も溜める一方から、叔母を口説いて借り出しましたがね、元金が入つてるせゐか、叔母も大した惡い顏もせずに貸してくれましたよ、――その方は二分二朱と十六文――こいつは二分金が入つて居るから、確かに金で」

「呆れてモノが言へねえよ、お前といふ人間は。六百二十四文溜めて、二分二朱も借り出せば、差引勘定一體どういふことになるんだ」

「あつしも算盤の方は不得手でね、一つ親分にパチパチとやつて貰はうと」

「算盤なんか俺の屋敷にあるものか、俎板か何んかで間に合せて置け、馬鹿々々しい」

平次はまことに劍もほろゝでした。が、八五郎が斯んな馬鹿な話をする眞意は外にあつたのです。

Chapter 1 of 8