Chapter 1 of 9

「親分、驚いちやいけませんよ」

毎日江戸中のニユースを掻き集めて、八丁堀の組屋敷から、南北兩町奉行所まで、萬遍なく驅け廻らなきや、足がムズムズして寢つかれないといふ、小判形の八五郎こと、一名順風耳のガラツ八です。

「驚かないよ。お前と附き合つて一々驚いてゐた日にや、膽つ玉の掛け替へが二三束あつたつて足りやしまい。どこの鼠が猫の子を捕つたんだ」

錢形平次――江戸開府以來と言はれた捕物の名人平次は相變らず貧乏臭い長屋に燻ぶつて、火の消えた煙管を横ぐはへに、世話甲斐のない三文植木を並べては、獨り壺中の天地を樂しんでゐるのでした。

平次は三十を越したばかり、典型的な江戸ツ子で引つ込み思案で、色の淺黒い好い男ですが、子分の八五郎も勘平さんそこ/\の血氣盛り。色白でノツペリして、顎が長くて鼻の下の寸が詰つて、ノウ天氣で向う見ずで、正直者で洒落が好きで、――そして何んと、この年までもまだ獨り者だつたのです。

「そんな間拔けな話ぢやありませんよ。江戸で名題の金持が千兩箱を杉なりに積んで、その上で死んでゐたとしたら、どんなもんです、親分」

「金がありや死ななくてもいゝといふ御布令でも出たのか」

平次はまだそんなことを言つて居りました。

「唯死んだんぢやありませんよ。首を縊つて死んだんで」

「誰だえ、その金持は?」

「赤坂裏傳馬町の萬屋善兵衞ですよ」

「あ、あの惡兵衞か」

それは鬼のやうな六十男で、半生の非道な公事(訴訟)と、人の弱身につけ込む強請で何萬といふ金を拵へ、本名の善兵衞を忘れられて、萬屋惡兵衝で通つた名物男だつたのです。

「驚くでせう。萬屋善兵衞が千兩箱の上で首を吊つて死んだと聽いたら」

「驚くよ、まさに一言もないところだ。餘人は知らず萬屋善兵衞、三途の川で渡し守からお剩餘を取る老爺だ。自分で首などを吊る人間ぢやない」

「御檢屍の同心、小田中左門次樣が、腑に落ちないことがあるから、平次を呼んで來るやうにといふお言葉で」

「よし、行つて見よう」

平次は手早く支度をすると、女房のお靜の打つてくれる切火を項に浴びながら、八五郎と一緒に赤坂見付に飛びました。

時は五月の半ば、お城を繞る青葉が薫じて、急ぎ足になると、ツイ額が汗ばみます。

裏傳馬町の萬屋といふのは、見附外の名主屋敷の裏で、場所柄至つて靜かなところですが、家はしもたや風ながら小大名の下屋敷ほどもある堂々たるもので、中に渦卷く風雲は兎も角、外構へはいかにもひつそり閑としてをりました。

錢形平次と八五郎の姿を見ると、どこに見張つてゐたか下男風の大男が一人飛んで出て、

「錢形の親分、御苦勞樣で。小田中樣は此方で待つてゐらつしやいますが」

丁寧に小腰を屈めるのでした。

まだ二十七八でせうか、恰幅も顏形ちも立派な男で、下男などをさして置くのはもつたいないやうな人柄ですが、身扮は恐ろしく粗末で、淺黄色の股引も、繼だらけの袢纒も、町の物貰ひとあまり大差のないひどいものです。

尤も手まめで綺麗好きな男らしく、そのひどい身扮にボロも下げず、首や手足に大した汚れのないのは、さすがに若さのせゐでせう。

その男に案内されて庭口から入つた平次は、

「どこへつれて行くつもりだ」

立止つて、恐ろしく泉石の數寄を凝らした、俗惡極まる庭を眺めてをります。これがみんな貧乏人や金に困る者の弱味につけ込んで、長い間に絞り取つた儲けの蓄積かと思ふと、妙に小腹が立つて來るのです。

「主人の部屋は土藏の中でございますよ」

「成程、金持はさうしたものだらうな」

母屋をグルリと廻つて裏へ出ると、二た戸前の土藏があつて、大きい方は雜用藏らしく、小さい方の嚴重な土藏は金藏でもあり、主人の夜の部屋にもなつてゐる樣子です。

「平次か、いや、御苦勞々々々」

土藏の前に迎へたのは、同心の小田中左門次でした。まだ三十五六の柔和さうな男で、親の跡を襲つて役目には就いたものの、むづかしい事件になると見當がつかなくて、平次を呼出しては、一から十までその叡智に頼ると言つた情けない役人です。

「遲くなりました。何にか厄介なことが起りましたやうで」

「武家上がりの公事師で、お役所を惱ませ續けてゐた萬屋善兵衞が、自殺をして死なうとは思はれない。見てくれ、死骸は取りおろしたが、あとは悉くそのまゝにしてある」

左門次は先に立つて案内しました。その頃はもう、案内した下男はどこへ行つたか姿を見せません。

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