Chapter 1 of 8

「親分、御存じでせうね、あの話を」

ガラツ八の八五郎が、獨り呑込みの話を持込んで來ました。

早咲の梅が、何處からともなく匂つて來る暖かい南縁、錢形平次は日向を樂しんで無精煙草にしてゐるところへ、八五郎がいつもの通り其日のニユースをかき集めて來たのです。

「藪から棒に、何を言ふんだ。江戸中の人間の借金を帳消しにする御布令でも出たといふのか」

「そんな事なら驚きやしません。どうせあつしは借金は返さないことに極めて居るんで」

「あんな野郎だ」

「ね、親分。世の中には、ボロイ話もあるものですね、あつしも少しばかり元を卸して見ようと思ひますが」

「大きな事を言やがる。まさか、銅脉(贋金)を拵へる相談ぢやあるまいな」

「こちとらの雁首に祟るやうな物騷な話ぢやありません。あつしの聽いたのは御信心の方で」

「信心をね」

「信心が金儲けになるんだから、こいつはたまらねえでせう。まるで持參付きの小町娘が、押しかけ嫁に來るやうな話で」

「下司な心掛けだ。そんな野郎は請合ひ八寒地獄へ眞つ逆樣に墮ちるよ」

「地獄の拔け裏が極樂でこいつはまたたまらねえ。結構な娘と年増が歌念佛で總踊りと來る」

「どうも言ふことが變だぜ。何處かの赤い鳥居へ、小便でもしなかつたか」

「さう思ふのも無理はありませんがね。まア、聽いて下さいよ。親分」

八五郎は縁側ににじり上がつて物語らんと膝つ小僧を揃へました。尤も合掌した手を膝と膝との間に挾んで、肩と顎で梶を取り乍ら話すのですから、あまりお品は良くありません。

「大層改まりやがつたな」

「根岸の梅屋敷――龜戸梅屋敷と違つて、此處は御隱殿裏で、宮家住居の近くだから、藪鶯だつて三下りぢや啼かねえ。簫篳篥に合せてホウホケキヨ――」

「止さねえか、馬鹿々々しい」

「その梅屋敷の隣に、近頃紫御殿といふのが出來ましたよ。江戸では御法度の銅瓦三階建、何とか院樣の御許しがあるとかで、町方で手のつけやうはねえ」

「その話は聽いたよ。三輪の萬七親分が、――お膝許にあんな化物屋敷をおつ建てられちや、こちとらは睨みがきかねえやうで、世間樣に顏向けがならねえ――と腹を立てゝ居たよ」

「三輪の親分なんざ、ごまめの齒ぎしりで、お長屋の總後架から赤金の庇を睨んで、半日いきんでゐたつて、良い智慧は出ませんよ」

「口が惡いな。――お前といふ奴は、人間が甘い癖に」

「斯んなところで溜飮を下げなくちや、――年中三輪の親分に嫌がらせを言はれて居るぢやありませんか」

「ところで、その紫御殿はどうした?」

「さう/\忘れて居ちやいけない。お宗旨は紫教、教祖は紫琴女、良い女だ相ですが、これは四十を越した中婆さん、別當は赤井主水といふ立派な公卿侍、祈祷僧は法來坊といふ、武藏坊辨慶のやうな大坊主、鉦を叩いてお經を上げて、鈴を持つて踊を踊るんだから、こんな面白いお宗旨はないでせう」

「フーム」

「教祖紫琴女と別當の赤井主水は、八宗兼學、天地神明に通ずるといふ、大層な智惠、法來坊は豪力無双の惡僧、その他多勢の先達が、紫教といふのを擴め、日本橋通三丁目の大分限、井筒屋豊三郎その外の寄附で、根岸に紫御殿といふのをおつ建て、歌と和讃と、祈祷と踊で、夜も晝もない賑はひだ」

「で、近所の衆や、お屋敷方で默つて居るのか」

「お宗旨もあんなに威勢がよくなると、手のつけやうがありませんね。うつかり文句を言はうものなら、氣狂ひ見たいになつた信者達が押し寄せて、どんな目に逢はされるかわかりません。それでもいけない時は、法來坊が四十八貫の鐵棒を持つて押し出し、大地を叩いての強談判だ。大抵の者は顫へ上がつてしまひますよ」

「だが、それ丈けのことでは、うつかり荒立てるわけにも行くまいよ。禁制の切支丹と違つて、表向差止めの御布令でも出なきや、手のつけやうもあるまい」

「御法度や禁制どころか、金儲けにもならうといふ御宗旨だから、あつしも一と口御信心に乘出さうかと思つて居る位で」

「何をやらかせば、金儲けが出來るのだ」

「御本尊へお供へをあげるのですよ。三方に載せて名札を添へて、ほんの心持や一と身上をとね」

「慾張つた本尊だね」

「勿體ない。そんな事を言ふと罰が當りますよ。佛罰が當つて、大事な寶を召上げられるとか、ひどい損をするとか」

「安心しなよ。罰が當つたところで、身體一つの外には、ろくなものゝ無いこちとらが召上げられると、清々する位のものだ」

「金や身上より大事な、お靜さんといふ姐さんがあるんぢやありませんか」

「馬鹿なことを言へ」

「兎も角も、御本尊へ供へた金が、本人の信心次第で、三日目には倍になつて返るんだから、これは結構過ぎるほどの御宗旨ぢやありませんか」

「フーム?」

「三百供へた者は六百文になつて返り、一兩小判を供へると二兩、百兩出せば二百兩になつて返るんだから、大したものでせう」

「勘定に間違ひは無いのか」

「冗談言つちやいけません、神業ですよ。大晦日の次に元日が來るほど確かで」

「間違ひもなく眞物の小判だらうな」

「あつしは青錢か小粒しか見ませんが、小判を供へた人は、間違ひもなくピカピカする吹き立ての後藤小判が、丁度倍になつて返るさうで、からかつた野郎が、褌に三つにくるんだ、八十六文を取出して、三方の上にガチヤリと置いたら、こいつは綺麗に無くなつて、何日待つても返されなかつた」

「時々そんな事があるのか」

「十のうち九つまでは二倍になつて戻つて來る相ですが、信心氣が無かつたり、アヤフヤな心持だつたり、御本尊樣の惡口を言つたりすると、不思議に返らないと言ひます。あつしも八所借をして、せめて五兩も供へて見たいが」

「おつと、その無心は御免だよ。信心を元手に稼がうなんて野郎は大嫌ひさ。その代り、袷を受出すとか、友達の義理とか、筋の通つた話なら、遠慮することは無い。どかりと持ち込んで來るが宜い。身の皮を剥いでも達引くぜ」

「急に飮み度くなつたのなんかいけませんかね、親分」

「此野郎、足許を見やがつたな、――宜いとも、望みとあれば、隨分浴びるほど呑ませてやる」

「有難い仕合せで、――ところで、親分も一つ信心をやつて見ませんか」

「御免蒙らうよ。俺は金儲は嫌ひだ」

平次はさう言つてカラカラと笑ふのです。

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