Chapter 1 of 6

「親分、長生きをしたくはありませんか」

八五郎がまた、途方もないことを言ふのです。

晴れあがつた五月の空、明神下のお長屋にも、爽やかな薫風が吹いて來るのです。

「へエ、よく/\死に度い人間は別だが、大抵の者は長生きをし度いと思つてゐるよ――尤も」

と言ひかけて、平次はニヤニヤしてゐるのです。

「何んです、氣味が惡いなア、あつしの顏を見て、いきなり笑ひ出したりして」

「それより、お前の話を聽かうぢやないか。長生きの祕傳でも教はつたのか」

「傳授事ぢやありませんよ。不老長壽の藥を賣出した奴があるから、江戸は廣いでせう」

「江戸は廣いなア。お前のやうに、何んの藥も呑まずに、百までも生きようといふ、のんびりした人相を備へた奴も住んでゐる」

平次の可笑しがつたのは、鼻の下を長くした、天下太平の八五郎の人相だつたのです。

「からかつちやいけませんよ。その不老長壽の藥が當つて、この一二年間に大した金儲けをした人間があつたとしたら、どんなものです」

「結構なことぢやないか」

「二三年前までは、唯の藥種屋だつたのが、或夜神農樣とやらが夢枕に立つて、不老不死の祕法を教へたとある」

「有難いことだな」

「それを賣出したが、一錠一朱といふ小判を煎じて呑むより恐ろしい値だが、世の中には金持が多いから、賣れるの賣れねえのと言つて」

八五郎は身振り澤山に説明するのです。

「不老不死は嬉しいね。尤も一年や二年では、目立つほど年を取らないから、藥の効能書などに文句を言ふ人間もないわけだ」

「その藥を呑んでも、中には死んだのもある。捻ぢ込んで行くと、その靈藥に食斷ちがある、不養生をして死ぬのは此方のせゐではないと言はれるとそれ迄でせう」

「成る程、食斷ちは氣が付かなかつたな」

「そのお藥を呑むには、食斷ちの外に信心が要る」

「何をやらかしや宜いんだ」

「神農樣をお祀りして、朝夕燈明をあげて、呪文を稱へる」

「油ウンケンか何んかやるんだらう。節のねえ呪文なら誰にでも出來るだらう」

「どうせ絃に乘る呪文ぢやないから、朝夕ひよぐつたところで、大した手間隙のかゝる代物ぢやねえ。あつしもその祕藥を頂戴して百まで生きる工夫をしようと思ひ立つたが、いけませんよ、親分」

「何がいけないんだ」

「考へても見て下さい。一日一錠と言つても、その藥が一と粒が一朱、大の月で三十日として、一と月が大負けに負けて一兩二分ぢや、こちとらの手に了へねえ。八所借りをしても、一と週り保つのが精一杯」

「成程八日目に神農樣の罰が當つて死んぢや、分が惡いな。――川柳にはうまいのがあるよ、『神農は時々腹も下して見』とね」

「親分に逢つちや叶はねえな。そんなことを言ふと神農樣の罰が當りますよ」

「ところで、お前の用事といふのは何んだ。先刻から言ひ難さうに持つて廻つてゐるが、お前も長生きをして見たくなつたのぢやないか」

「それなんです。近頃頭痛がして、無暗に喉が渇いて、胸騷ぎがして叶はねえからその有難い藥でも頂いて見ようかと、斯う思ふんですが」

「その藥代が欲しいといふ謎だらう」

「へエ、お察しの通りで」

「馬鹿野郎」

「へエ?」

「百迄生きる藥なんか、お前なんかに呑まれてたまるものか。一杯呑みたいとか、友達附合ひに要るとか、せめてあの娘に逢ひたいと言ふなら、女房を剥いても工面してやるが、そんな野郎に長生きをされちや、――第一叔母さんが迷惑をする、百までも借り倒されちや、洗張り賃仕事ぢや貢ぎきれまい、可哀想に」

「こりや、驚いたな、どうも」

「勝手に驚くが宜い。その神農樣のお使ひ姫に、仇つぽいのか、可愛らしいのが居るんだらう。一と月一兩二分のお賽錢ぢや高過ぎるぞ、馬鹿だなア」

「あツ、親分は目が高けえ、百壽園には良い娘が居るんですよ。あの娘の笑顏を毎日一ぺんづつ服用すると、請合ひ百までも生きられる」

「馬鹿だなア、お前が百になる頃には、その娘も間違ひもなく九十くらゐの婆さんになる」

「あツ、其處迄は考へなかつた」

「あんな野郎だ、――長生きするのにお前といふ人間は、不老長壽の藥にも及ぶものか」

平次も笑つてしまひました。まことに暢んびりした、明神下の初夏の景色です。

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