Chapter 1 of 364

前年記

昭和十年は、浅草から丸の内へといふ、僕にとっての一大転機の年として記念すべき年であった。

昭和七年一月宝塚中劇場のスタート以来、七年一杯をわれらがレヴィウ「悲しきジンタ」の大阪松竹座、浅草大勝館公演と、帝都座の「海のナンセンス」等、小やかなアトラクション俳優として過し、その暮に、新橋演舞場のカーニヴァル座結成、昭和八年正月の公園劇場出演、二月の大阪・京都吉本興行の寄席廻りと、名古屋松竹座出演を経て、四月浅草常盤座に「笑の王国」旗挙げ、之が意外の当りで、つひに昭和八年四月から、昭和十年六月まで、浅草の役者となり、漸く力を養ひ、昭和十年七月、東宝へ一座を統ゐて転じ、初めて名目共に古川緑波一座としての公演を開始し、横宝、有楽座、日劇、宝塚中劇場に出演し、中でも日劇の「歌ふ弥次喜多」の大当りに、漸く僕の名が丸の内を中心に、東京的になり、全国的になりつゝある、といふ現在である。

短い間に、役者修業もし、ショウマン的苦労もした。

すべては、これから。準備は出来た! これから出帆である。

役者となりて五年目の春、いざ、はり切って進まんかな。

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