一
「まつたく、ひどい音響だね! あれは――もう僕は、大抵慣れたつもりなんだが、だがさつぱり駄目だよ。――これほど突拍子もないものになると、一日に何辺繰り反されても、その度にひどく驚かされるんだ、その余韻が消えるまでには、相当の時間を要するほどに――だ。……で、ね、もう起る時分だな、と、さう思つて、時にはね、いたづらな反抗心といふやつをもつてさ、つまり――何の、さアやるんならやつて見ろ、といふほどの心になつてさ、(それは、まア例へばなんだぜ、勿論――)、待ち構へて見るんだ、と、ぴつたりとその予期にあたつてさ、あいつが此方の呼吸と一処にだね、ドカン! と鳴るんだね、でも駄目だね、うつかりしてゐる時に打たれるのと、まつたく同じやうに驚かされてしまふんだ――尤も、この頃の僕の心は、余ツ程……」
たつた今、藤村は、山のいつもの音響に出遇つて、思はず、
「アツ!」と、(私も同じく――)驚きの声を挙げてしまひ、そして二人は思はず顔を見合せて間の抜けた微笑を浮べた時、そんなに拙い調子でクドクドと変な説明をした。
「それにしても、今のはまたバカに大きかつたね。」
私も仰山な驚き方をしてしまつたのが、気恥しかつたので、さう云つた。
山の音響といふのは、鉄道のトンネル工事が初まつてゐるこの町の西側を取り囲んだ大きな山から響く爆破の音なのである。――山の両裾が翼になつて、湾を抱いてゐる。小さな町は、そのふところで温泉の煙りに蒸されてゐる。朝から夕方まで、何回となく大小の爆音が、もうすつかり慣れて平然と静寂を保つてゐる街の頭上をかすめ、或ひはふところの街に、物思ひに沈んだ酔漢が自分の胸に吐息を吐きかけるやうに、轟々と渦巻き、ゆつたりとした足どりで海の上へ消えて行くのであつた。
「いくら退屈な時だと云つても、バカな気持などの説明をされる位面白くないことはないね。」などゝ私は、勿体振つた藤村の云ひ方を笑つたりしたが、
「だが、僕だつて、あれにはさつぱり慣れないよ、実際あれ位の音響となれば、普通なら夫々が、相当の一事件なんだらうね。」と、など、此方も一寸尤もらしく首を曲げたりして、何でもないことを意味あり気にした。
「或る程度を超えた音響になると、悉くが白雲の茫漠に通ふのみで、初めから何の種別もないわけなんだね。つまり、例へば――」と藤村は、何か類例を引かうとしたが、その代りに煙草の煙を細く吹き出しながら、
「いや、万象悉く宇宙の無限大に手を差し延べてゐるわけ……」
藤村は、自分の云つてゐることが夢のやうな感傷に走つてゐるのに気づいて、変な笑ひを浮べた。私には、一体彼は、何を云つてゐるのかわけが解らなかつた。
「あの小さい方の音でも、日比谷公園あたりで聞く午砲に比べて如何だらう。」
現実的で、その上頭の鈍い私は、何事でも手近な例を取らないと話も出来ない私は、相手の折角の話材を乾かすやうにそんなことを云つた。――藤村も、一寸私に似て、あまり話上手の方ではなかつた。無学で、別段の研究心もなく、世間話は一層不得意だし、そのやうな二人は、さつきからぼんやり二羽の梟となつて膝を抱いたまゝ曇つた海を眺めてゐたのである――黙つてゐるといふことに、互ひに軽い焦躁を感じながら――。だから藤村だつて、他にどんな種類の話材でもありさへすれば、決して「山の音響」などを問題にしたくはなかつたに違ひないのだ。
「悠長だとすれば、あれもこれも同じやうに悠長なんだね。」
私は、あまり阿呆らしい比較をしたのに気づいて、今度は有耶無耶にそんなことを云つて自らを晦した。
「一寸似てゐるね。だが感じが違ふからね、此方のは、音響の色彩には、それやア区別がないけれど、事実が生々しいんでね。午砲は、君、悠長のシンボルそのものだけぢやないか……」
「いや、僕は、さうでもないな!」と、私は云つた。別段反対をしたかつたわけではないのだが、さう云つてしまつた後に、あれこれとそれに続くべき言葉を探したが、とてもさう直ぐには浮んでも来なかつた。
「だが――」と、また藤村は云つた。そんなに無理に喋舌らないでも好いのに――などゝ私は思つたりした。――「だが、そんなものを知らない観光団か何かゞ……」
おや、午砲のことを云つてゐるんだな――と私は思つた。
「観光団だつて!」
「さう、いちいち眼を視張るなよ……」と藤村は、困つて笑つた。
「いや僕は、観光団といふ言葉を聞くと、妙な懐しさを感ぜずには居られないんだ。」
「ミス・フローラか?」
「……………」
私は、点頭くやうな、さうでもないやうな顔をしてゐた。
「今は、煩悩の話をしてゐるんぢやないよ、バカだな。――えゝと、その何処かの観光団か何かゞだね、人力車にでも乗つて歩いてゐるとするんだね、つまり、その丸の内あたりをだね、――その時突然、午砲を聞いたら如何だらう、と云ふんだ、その驚きは、この驚きに比べて如何だらう、音響のそれと同じく、驚きといふ一つの感情も、或る程度を超えてゐる時には、ドの驚き、レの驚き、ミの驚き、そんな区別のある筈はないね。いや、僕のこの頃の気持では、東京にゐたつて、うつかり午砲などに出遇へば屹度飛びあがるに違ひないんだ……」
「何にしても、あまり馬鹿々々しく大きな話は面白くないね。」と、私は云つて鬱陶しい顔をした。――私は、ミス・Fのことを思ひ出してゐたのである。
雨に降りこめられた私達は、止むなく異様に愚かな饒舌家に変つてゐた、四五日も前から――。二人とも自分では気づいてゐなかつたが、未だ嘗て斯んな種類の饒舌家になつた経験は、一度もなかつた。私達は、晴れた日だけ仕事に出かける漁夫が、雨に降り込められてゐるのにも似てゐた。だが、漁夫には網を作る仕事もあるだらう、炉を囲んで、この次の綱の張り方に就いて仲間の者達と、熱心な計画や研究もしなければならないであらう、私達は、漁夫の無能の弟子に等しかつたのである。
一体自分達は、この先き何になるんだらう――二人の胸には一様にさういふ不安が蟠まつてゐたのだ。怠惰と、浮々としたお調子者、他愛もない失恋、親との不和、そして二人とも夫々別々な私立大学を卒業してゐるのだが、学校では何も覚えなかつた、今では、たつた一つの肩書であつた「大学生」も奪はれて、キョトンとしてゐるより他に能がなかつた。
「何処かに寛大なお伽噺作家がゐて、僕達二人を、その作中の端役にでも好いから使つて呉れる人はないかね。」
そんなことを、殊のほか無気になつて話し合ふことすらあつた。
藤村は、実家を追はれて(勿論、型通りに古風な放埒と古風な親の譴責から――)、これもまた殆ど同じ状態で、この町に追はれてゐる私の寓居に二ヶ月ばかり前から滞留してゐるのであつた。私のは、藤村のそれと比べて、一オクタルヴ位の差違はあつたかも知らないが、破境となれば先程の藤村の無稽な比喩が正しくあたつてゐる単純な音響のやうなものである。父親と衝突して斯んな処に逃れ、父親の怖ろしい顔に悸へながら、愚劣な日を送つてゐる青年の心の悲しみなどに、何処に同情などを寄せる人が有るべくもない。だから二人は、薄気味悪い程の親しさに打ち溶けてゐるのだ。幸ひにも私が斯んな逃げ場所を持ち、そして母の情をつないでゐたから、斯うしてゐられたものゝ、若しそれがなかつたならば私達は、トンネル工事の手伝ひか、漁夫の弟子にでもなるより他はなかつたらう。
「僕は、漁師の手下にならなれる自信があるが、君はどうだ。」
藤村は、そんなことも云つた。
「僕は、出船の合図に、法螺を吹く掛りがあるね、あれにならなれる自信があるんだ。ラッパの素養があるから。」と、私は答へた。
「あれは何処で売つてゐるだらう?」
「あいつを練習するのも一寸興味があるな。」
「あれが、うまく吹ければ行者にだつてなれるだらうね。」
「欲しいなア!」
「江の島では、たしか売つてゐたと思ふが。」
私達は、そんな話に花を咲かせたりした。
雨程、思想のない、そして何の落つきも持たない私達を困らせたものはなかつた。雨にならないうちは、気持の鬱屈には何の変りもなかつたが私達は、カラ元気を振りしぼつて、毎日海辺へ降りて、痩ツぽち同志の角力を取つたり、駆け競べをしたり、逆立ちの練習をしたり、時には、自転車の遠乗りを行つたり、などして夕暮脚を引きずツて帰ると、まつたく落第書生のヤケ酒のかたちで、好きでもない酒などを飲み、そして時代おくれの学生となつて粗野な酩酊に陥り、毎晩同じな歌を高唱したり、出鱈目な踊りを踊つてゲロを吐いたり、突然あらん限りの声を張りあげて体操の号令を叫んだり、して死んだやうに眠つてしまふのであつた。そして朝は、寝坊の競争をして、午近くになつて花々しく起床して、跣足で海辺に駆け出すのであつた。
家は、海辺の石垣のそばにあつた。私達は、砂浜から窓をめがけて、声をそろへて、
「ムスビとサイダーを持つて来てくれーツ」などゝ叫んだ。一度で反響がないと、反響があるまで同じ言葉を繰り返したりした。
「毎日、こんなことをしてゐれば、俺は実に呑気で、平気だね。」
「あそこにペンキ塗りの家を建てゝゐるだらう、あれは何でも東京風のカフエーにするんだつて話だぜ。」
「そいつア好いな。」と、藤村は膝を叩いた。
「反つて斯ういふ処には、素晴しい美人が忽然と現れるかも知れないぜ。」
「山の家の方に追ひやられるといふのは何時頃だらう。」
「夏になると、家の者や親類の奴が、交り交りに出掛けてくるんだらう。それとも親爺の慾深が、誰かに法外の値段で売りつける話にでもなつたのかも知れないよ。何でも大分僕の家は、この頃景気が悪いらしいから。」
「厭だな、山の方へ行くのは……」
「きつとさうだ、売るに違ひないんだ、――山の家といふのは君、それやアひどいものだぜ、地所の目標代りに立てた掘立小屋同様のものなんだ。」
「ぢや湯なんて引いてなからう。」
「湯どこの騒ぎぢやない。つまりあそこへ行けば畑の見張り番にされるわけなんだよ。」
「見張り番! でも好いな、さういふ職業にありつけるだけでも――」
「僕は、厭だな、――いつそ東京にでも行つてしまふよ。」
「君が東京へ行くんなら僕も一処に行くよ。」
「その方が好さゝうだね。」
「…………」
「…………」
「つまらない話は、止さう/\。」
「さて、……君、もう逆立ちで、いくつ歩ける?」
「歩くのは出来ない。」
「僕は、トンボ返りが出来るやうになつた、いゝかへ、見て御覧!」
斯う云つてシヤツ一枚になつた藤村は、見事なトンボ返りを打つたり、パクパクと汀のところまで逆立ちで歩いたりした。私も、その練習をした。――そして私達は、疲れて帰るのであつた。
晩春が過ぎ、玩具のやうなケイベン鉄道の笛の音が、麦畑の間からピーと聞え、海の色も紫がゝつた。間もなく、梅雨期に入つたのである。主に冬の浴客を呼んでゐたこの町では、今年からは「夏の宣伝」を仕ようといふ議が起つて、町の公会堂では演説会が催された。
「演説を聞きに行つて見ようか。」
隣家の町会議員に誘はれて藤村は、困つて、私に話しかけた。私は、それには答へないで、議員に向つてうつかり、
「トンネルは何時頃出来あがるんですか?」と、訊ねて、議員の情熱のこもつた長い説明に出遇つて辟易したりした。
未だ、五年かゝるか、十年かゝるか先きの見込みはつかない、今では、山と人間の意地との戦ひになつてゐる。山にしたつて、ドテツ腹に風穴をあけられやうとするんだから、黙つてもゐられまい、水を吐いて防ぎもしよう、火も吐くであらう――そんな意味のことを議員は述べたりした。
小雨に煙つてゐる山からは、一日に三つ位大きな音響が響き、その間にもいくつかの爆音が続いてゐた。
「だが、一朝事成れば、トンネルと共に吾が町も、一躍世界的の名所になる。」と、議員は云つた。彼が立ち去つた時藤村は、
「あの人は、今夜の演説の練習をして行つたに違ひないよ――屹度、あれと同じ調子でやるぜ。行つて見ようか?」と云つた。
「悪いから止さう。」
「君は、変だ。僕は、何もあの人を軽蔑して云つたのぢやないぜ。」
「そりや、僕だつて……」と私は、慌てゝ付け加へた。おそらく神経衰弱にでもなりかゝつてゐたのだらう、自分の存在は何処に置かれても邪魔なものなのだ――そんな途方もない消極的な妄想に駆られてゐたのだ。
「悪いからだつて……気障だなア。が、まア止さうよ、僕だつて――」
「…………」
「おい、変に瞑想的な顔をするのは止めて呉れよ。……あゝ、何しろ雨には敵はないね、この頃ぢや運動不足のせゐか、酒を飲んでもたゞ翌日気持が悪いばかりで、うつかりすると寝そびれてしまふなア!」
藤村は、斯う云つて上向けに寝転び、天井を眺めて口笛を吹いた。
この時、また山の音響が二つ三つ続けて鳴り渡つた。――藤村は、
「ヤツ!」と云つて、坐り直した。「それにしても、近頃はバカに頻繁だな。」
「一寸、好いぢやないか。」
私は、細く低い声でそんなことを云つた。音響が、そんなものではビクともしない、といふ風にも見ゆるし、また、あゝ怖ろしい怖ろしい、凝ツと静かにしてゐよう「宿かり」のやうに、といふ風にも見ゆる煙つた町の多くの家々の上を、波のやうに走つて行く姿や、また何処かの部屋でも湯治客などが、トンネルを話材にしてゐるであらうことなどを私は、想像しながら、自分が細かい叙情的気分に欠けてゐることを今更のやうに物足りなく思つたりした。
「チヨツ! 厭だな。」
藤村は、ひとりでそんなことを呟いて、その頭をコツンと拳固で叩いた。――「一体僕は、普通なら斯んなに驚き易い性分ぢやない筈なんだがね。」
私は、僕も、いや僕達はこの頃たしかに神経衰弱とやらに陥つてゐるに違ひないんだよ――と、云ひたいところだつたが、うつかり調子に乗ると、決して笑ひたくない藤村が、一寸でも擽られるやうな思ひに打たれると縦令厭々ながらであらうとも、さういふ癖の彼は、何とか皮肉な文句でも思案せずには居られないで――いや俺は、一寸センチメンタルな芝居を演つて見たところなんだよ――などゝ云ふであらう、それが私には、何だか彼のために痛ましい気がしたのである。性来エゴイストである私が、縦令曲りなりにもそんな風に他人の感情などを憶測することなどは稀な話なのだが、私の心も酷く雨に祟られて、因循に歪み、後方へばかり逼つてゐたのである。――私達は、まつたく二個の木像に相違なかつた。パクパクと口だけは動かすが、それは無理な糸で操られながら余儀なくする不自然な働きに過ぎなかつたのである。
「不良児なんてものは、案外臆病なものなんだらうね、殊に斯ういふ種類の……」
私は、そんなことを云つて、笑つて藤村を見たりした。
「斯ういふ種類のね……」
藤村は、直ぐに私の言葉を奪つて、頤を突き出して私を差した。――「兎も角、一日も早く入梅が明けて呉れなければ、救からないね、いくら入梅だと云つたつて、斯うも毎日降らなくても好さゝうなものだが……」
「さうだなア……」
「晴れやアがつたら!」と、藤村は叫んだ。――「ウント、泳いでやるぞ、あゝツ!」
「雷が鳴らないうちは、梅雨は明けないんだつてね。」
「変なことを知つてゐやアがるな。――止してくれよ、雷なんて……」
細かい雨が切りに降つてゐた。海には、今時珍らしく古風な二本マストの帆船が、この間うちからずつと滞留してゐる。この船の錨が巻かれ、帆があげられて走り出す光景は、一寸想像し難い姿で、凝ツと船は五月雨に濡れてゐた。