Chapter 1 of 2

僕はどうしても厭だ、と云つたが、みち子がどうしても行くんだ、と云つて承知しない。何故僕が強情を張るか、その理由はちよつと……云ひにくいこともないけれど、云つたつて仕様がないから、云はない。

「無性! 無性! 無性屋さん……」と叫んだかと思ふと、いきなりみち子は僕の背中をドンと打つた。

僕はウーンと仰山なうめき声を発して死んだ真似をした。――さうしてみち子に悟られないやうに、薄く眼を開いて見たら、もうみち子の眼眦には涙が溜つてゐた。何といふ泣き虫な子だらう、僕は苦々しく思つた。少し可哀さうなやうな気もしないでもなかつたが、一体僕は同情心が深過ぎる性質で、その性質を自分でよく知つてゐたから、これツぱかりのことでまたそんな心を起してはよくない、教育の為に宜しくない――などゝ気が附いたので、黙つてゐた。

「ようツてエば……」

「ようとは何だ。あんまり甘えるな。」

僕は起き上つて、厳然と坐り直つて、みち子の顔をウンと睨めた。――みち子は、急に僕が態度を改めたのでびつくりして、キヨトンと僕の顔を視詰めた。

「何だ! ひとが黙つてゐると思つていゝ気になつて……」

みち子は、何とも形容の出来ない変な顔をして、尚も凝と僕の顔を見てゐる。少しく危いぞ、と思つたが、かういふところが大事なところだ、決して機嫌など取つてはならない――。

「その顔は何だ。怒りさへすればいゝと思つて。」

之だけいつたら何とか返事があるだらうと思つたが、みち子は決して口を開かぬ。僕も少々焦れ度くなつて、

「知らないツと!」

横を向いて、机の上の本に眼を落して了つた。

それと同時にみち子はムツクリと立ち上つた。さうして物をも云はず足音荒く僕の室を出て行つた。そら始つた――と僕は思つた。然しかうなると僕も少々気になり始めたので、机の前を離れてそつと階段の降り口に忍び寄り、階下の様子を窺つた。

「泣いてゐちや解らないぢやないか、ええ? お前はほんとに泣き虫だよ、だから兄さんにからかはれるんだよ。」

「…………」

「どうしたツてえのさ、えゝ?」

「兄さんの嘘吐き!」

突然みち子はシヤクリあげて、叫んだ。

「どんな約束をしたの? お母さんに云つて御覧――」

それから稍暫くみち子は泣きじやくつてゐたが、漸くそれが収まると、次のやうなことを言ひ付けてゐた。

それはもう十日も前に約束したことで、明日の日曜日に江之島へ行く筈になつてゐた。ほんとならこの前の日曜日に行くところだつたのが、その時になると「憎むべき兄」は突然急用が出来て、友達の家へ行つて夜おそく帰つた。その時も違約のことを攻めたら「この次には確だ。」と堅く云つてゐた。

ところがいよ/\今日になると、「急に頭が痛くなつて来た、どうも近頃神経衰弱らしい。」と云ふ。「そんな都合のいゝ神経衰弱があるものですか。出掛けるのがそんなに億劫で厭なのなら、始めつから約束なんてしないがいゝ。約束をしたから待つてゐたのです。」余り癪にさはつたから「そんな出たら目の虚病なんか、汽車に乗れば直ぐに治つて了ふ。――なアんだ、男らしくもない。」と云つてやつたら、真赤な顔をして「馬鹿!」と怒鳴つた。もう我儘が出来なくなつて夢中になつて背中を打つた。

「あたり前よ。」とみち子は云つた。

「それは兄さんがよくないね。」とみち子の母はみち子に加勢した。

「だけどお前もいゝとは云へないよ。どうもお前はお転婆でいけない、仮りにも兄さんを打つなんて――」

「だつてもう口惜くつて堪らないんですもの。」

「二人ともいけない。」

「よう、お母さん。」

「何をね……」

こゝまで僕は聴いた。それから僕は慌てゝ机の前に戻つて、本の上に眼を落してゐた。

僕が予期した通り母が僕の室に入つて来た。

「勉強? 頭が痛いツて、どう?」

「えゝ、今朝から痛いんです。」

「余り勉強し過ぎてもよくないよ。明日は日曜だから、朝早くおきて一日どこかへ散歩にでも行つて来たら?」

「僕、遠足はきらひなんですもの。」

「だから頭が痛いんだよ。稀には郊外の方へでも行つていらつしやいなね。」

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