Chapter 1 of 9
猿飴
猿飴の猿に湯島の時雨かな綺堂 古風な彩色を施し市井芸術としての匂ひいと高い昔ながらの木づくりの猿の看板をかかげて本郷湯島の猿飴は、昭和十八年の末ちかくまで本郷三丁目から湯島天神祠へ至る南側の電車通りに、辛くも伝来の営業をつゞけてゐたが已にその舗のたゞずまひは安価低調なバラック同様の和洋折衷館となつてゐて、伝統猿飴の美しき陰影をつたへる何物とても最早なかつた。お成道の元祖と銘打つ黒焼舗は亥の年の地震にもまた今次の兵火にも焼かれたに、生変り/\建造するところの見世構へはいつも必らず『江戸名所図会』の挿絵をおもはせる風雅のもの許りである。それに比べて猿飴のこの安普請はいつそ情なく浅間しい。大正中世亡伊藤痴遊編輯当時の雑誌「講談落語界」の雑録は、黙阿弥が士族の商法のモデルとしたかの筆屋幸兵衛の一家がこの横丁に貧居を構へ、屡々猿飴へも飴を貰ひに来たと記録してゐたが、恐らくや当代の猿飴主人は、かうした明治市井文化の一断片としてのわが家の尊い存在をさら/\知るところなく、空しくあの猿の古看板を死蔵してゐたものにちがひない。