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墨汁一滴
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墨汁一滴
正岡子規
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译文 Pagera AI
原文 Public Domain
Chapter 6 of 16

6

散歩の楽、旅行の楽、能楽演劇を見る楽、寄席に行く楽、見せ物興行物を見る楽、展覧会を見る楽、花見月見雪見等に行く楽、細君を携へて湯治に行く楽、紅燈緑酒美人の膝を枕にする楽、目黒の茶屋に俳句会を催して栗飯の腹を鼓する楽、道灌山に武蔵野の広きを眺めて崖端の茶店に柿をかじる楽。歩行の自由、坐臥の自由、寐返りの自由、足を伸す自由、人を訪ふ自由、集会に臨む自由、厠に行く自由、書籍を捜索する自由、癇癪の起りし時腹いせに外へ出て行く自由、ヤレ火事ヤレ地震といふ時に早速飛び出す自由。――総ての楽、総ての自由は尽く余の身より奪ひ去られて僅かに残る一つの楽と一つの自由、即ち飲食の楽と執筆の自由なり。しかも今や局部の疼痛劇しくして執筆の自由は殆ど奪はれ、腸胃漸く衰弱して飲食の楽またその過半を奪はれぬ。アア何を楽に残る月日を送るべきか。

耶蘇信者某一日余の枕辺に来り説いて曰くこの世は短いです、次の世は永いです、あなたはキリストのおよみ返りを信ずる事によつて幸福でありますと。余は某の好意に対して深く感謝の意を表する者なれども、奈何せん余が現在の苦痛余り劇しくしていまだ永遠の幸福を謀るに暇あらず。願くは神先づ余に一日の間を与へて二十四時の間自由に身を動かしたらふく食を貪らしめよ。而して後に徐ろに永遠の幸福を考へ見んか。

○正誤 関羽外科の療治の際は読書にあらずして囲碁なりと。

(三月十五日)

名前ばかり聞きたる人の容貌をとあらんかくあらんと想像するは誰もする事なるがさてその人に逢ふて見ればいづれも意外なる顔つきに驚かぬはあらず。この頃破笛の日記を見たるに左の一節あり。

東京鳴球氏より郵送せられし子規先生の写真及び蕪村忌の写真が届きしは十日の晩なり。余は初めて子規先生の写真を見て実に驚きたり。多年病魔と戦つてこの大業を成したるの勇気は凛乎として眉宇の間に現はれ居れどもその枯燥の態は余をして無遠慮にいはしむれば全く活きたる羅漢なり。『日本』紙上連日の俳句和歌時に文章如何にしてこの人より出づるかを疑ふまでに余は深き感に撃たれたり。

蕪村忌写真中余の面識ある者は鳴球氏一人のみ。前面の虚子氏はもつと勿体ぶつて居るかと思ひしに一向無造作なる風采なり。鳴雪翁は大老人にあらずして還暦には今一ト昔もありさうに思はる。独り洋装したるは碧梧桐氏にして眼鏡の裏に黒眸を輝かせり。他の諸氏の皆年若なるには一驚を喫したり。

去る頃ある雑誌に「竹の里人が禿頭を振り立てて」など書ける投書あるを見たり。竹の里人を六十、七十の老人と見たるにや。もしこれらの人の想像通りに諸家の容貌を描き出さしめば更に面白からん。(三月十六日)

誤りやすき字につきて或人は盡の上部は聿なり※の中は王なりなど『説文』を引きて論ぜられ、不折は古碑の文字古法帖の文字抔を目のあたり示して※※吉などの字の必ずしも入にあらず必ずしも士にあらざる事を説明せり。かく専門的の攻撃に遇ひては余ら『康熙字典』位を標準とせし素人先生はその可否の判断すら為しかねて今は口をつぐむより外なきに至りたり。なほ誤字につきて記する所あらんとせしが何となくおぢ気つきたれば最早知つた風の学者ぶりは一切為さざるべし。

漢字の研究は日本文法の研究の如く時代により人により異同変遷あるを以て多少の困難を免れず。『説文』により古碑の文字により比較考証してその正否を研究するは面白き一種の学問ならんもそは専門家の事にして普通の人の能くする所にあらず。普通の人が楷書の標準として見んはやはり『康熙字典』にて十分ならん。ただ余が先に余り些細なる事を誤謬といひし故にこの攻撃も出で来しなればそれらは取り消すべし。されど甲の字と乙の字と取り違へたるほどの大誤謬(祟タタルを崇アガムに誤るが如き)は厳しくこれを正さざるべからず。

附記、ある人より舍の字は人冠に舌に非ず人冠に干に口なる由いひこされ、またある人より協議の協を恊に書くは誤れる由いひこされたり。

(三月十七日)

宝引(ほうびき)といふ事俳句正月の題にあれど何の事とも知らずただ福引の類ならんと思ひてありしがこの頃虹原の説明を聞きて疑解けたり。虹原の郷里(羽前)にてはホツピキと称へて正月には今もして遊ぶなりと。その様は男女十人ばかり(男三分女七分位なるが多く、下婢下男抔もまじる事あり)ある家に打ち集ひ食物または金銭を賭け(善き家にては多く食物を賭け一般の家にては多く金銭を賭くとぞ)くじを引いてこれを取るなり。くじは十人ならば四、五尺ばかりの縄十本を用意し、親となりたる者一人その縄を取りてその中の一本に環または二文銭または胡桃の殻などを結びつく。これを胴ふぐりといふ、これ当りくじなり。親は十本の縄の片端は自分の片手にまとひ他の一端を前に投げ出す。元禄頃の句に

宝引のしだれ柳や君が袖      失名

とあるは親が縄を持ちながら胴ふぐりを見せじとその手を袖の中に引つこめたる処を形容したるにや。かくて投げ出したる縄を各一本づつ引きてそのうち胴ふぐりを引きあてたる者がその場の賭物を取る。その勝ちたる者代りて次の親となる定めにて、胴ふぐり親の手に残りたる時はこれを親返りといふとぞ。

保昌が力引くなり胴ふぐり     其角

宝引や力ぢや取れぬ巴どの     雨青

時宗が腕の強さよ胴ふぐり     沾峩

などいふ句は争ふて縄を引張る処をいへるなるべく

宝引やさあと伏見の登り船     山隣

といふ句は各が縄を引く処を伏見の引船の綱を引く様に見立てたるならん。

宝引に夜を寐ぬ顔の朧かな     李由

宝引の花ならば昼を蕾かな     遊客

などいふ句あるを見れば宝引はおもに夜の遊びと見えたり。そのほか宝引の句

宝引に蝸牛の角をたゝくなり    其角

投げ出すや己引き得し胴ふぐり   太祇

宝引や和君裸にして見せん     嘯山

宝引や今度は阿子に参らせん    之房

宝引の宵は過ぎつゝ逢はぬ恋    几董

結神

宝引やどれが結んであらうやら   李流

(三月十八日)

病室の三方には襖が十枚あつて茶色の紙で貼つてあるがその茶色も銀の雲形も大方はげてしまふた。左の方の柱には古笠と古蓑とが掛けてあつて、右の方の暖炉の上には写真板の手紙の額が黒くなつて居る。北側の間半の壁には坊さんの書いた寒山の詩の小幅が掛つて居るが極めて渋い字である。どちらを見ても甚だ陰気で淋しい感じであつた。その間へ大黒様の状さしを掛けた。病室が俄かに笑ひ出した。(三月十九日)

頭の黒い真宗坊さんが自分の枕元に来て、君の文章を見ると君は病気のために時々大問題に到著して居る事があるといふた。それは意外であつた。

病牀に日毎餅食ふ彼岸かな

(三月二十日)

露伴の『二日物語』といふが出たから久しぶりで読んで見て、露伴がこんなまづい文章(趣向にあらず)を作つたかと驚いた。それを世間では明治の名文だの修辞の妙を極めて居るだのと評して居る。各人批評の標準がそんなに違ふものであらうか。(三月二十一日)

三日後の天気予報を出してもらひたい。(三月二十二日)

大阪の雑誌『宝船』第一号に、蘆陰舎百堂なる者が三世夜半亭を継ぎたりと説きその証として「平安夜半翁三世浪花蘆陰舎」と書ける当人の文を挙げたり。されどこはいみじき誤なり。「夜半翁三世」といふは蕪村より三代に当るといふ事にて「三世夜半亭」といふ事に非ず。もし三世夜半亭の意ならば重ねて蘆陰舎といふ舎号を書くはずもあるまじ。思ふにこの人大魯の門弟にて蕪村の又弟子に当るにやあらん。(三月二十三日)

加賀大聖寺の雑誌『虫籠』第三巻第二号出づ。裏画「初午」は道三の筆なる由実にうまい者なり。ただ蕪村の句の書き様はやや位置の不調子を免れざるか。

右雑誌の中「重箱楊枝」と題する文の中に

俳諧に何々顔といふ語は、盛に蕪村や太祇に用ゐられた、そこで子規君も多分この二人の新造語であらうとまで言はれたが、これは少し言ひすごしである。元禄二年板の其角十七条に、附句の例として

宿札に仮名づけしたるとはれ顔

とある、恐らくこの辺からの思ひつきであらう。

と書けり。余はさる事をいひしや否や今は忘れたれどもし言ひたらばそは誤なり。何々顔といふ語は俳諧に始まりたるに非ずして古く『源氏物語』などにもあり、「空も見知り顔に」といへる文句を挙げて前年『ホトトギス』随問随答欄に弁じたる事あり。されば連歌時代の発句にも

又や鳴かん聞かず顔せば時鳥    宗長

などあり。なほ俳諧時代に入りても元禄より以前に

ふぐ干や枯なん葱の恨み顔     子英

といふあり。こは天和三年刊行の『虚栗』に出でたる句なり。そのほか元禄にも何々顔の句少からず。

寺に寐て誠顔なる月見かな     芭蕉

苗代やうれし顔にも鳴く蛙     許六

蓮踏みて物知り顔の蛙かな     卜柳

雛立て今日ぞ娘の亭主顔      硯角

などその一例なり。因にいふ。太祇にも蕪村にも几董にも「訪はれ顔」といふ句あるは其角の附句より思ひつきたるならん。(三月二十四日)

羽後能代の雑誌『俳星』は第二巻第一号を出せり。為山の表紙模様は蕗の林に牛を追ふ意匠斬新にしてしかも模様化したる処古雅、妙いふべからず。

破笛『ホトトギス』の瓦当募集に応じ今またこの雑誌の裏画を画く。前日『虫籠』に出だしたる「猿芝居」の如き小品文の上乗なる者なり。その多能驚くべし。もし俳句の上に一進歩あらば更に妙ならん。

南瓜道人『俳星』の首に題して曰く

風流たる蛸公子。また春潮に浮かれ来る。手を握つて妾が心かなしむ。君が疣何ぞ太甚だひややかなる。

と。笑はざるを得ず。

月兎の「比翼蓙」につきて『俳星』に論あり。されどこは見やうによる事か。もし道修町の薬屋の若旦那新護花嫁を迎へし喜びに祝の句を集めて小冊子となしこれを知人に配るとすれば風流の若旦那たるを失はず。もし大阪の俳人月兎物もあらうに己が新婚の句をわざわざ活版屋の小僧に拾はせて製本屋の職工に綴ぢさせてその得意さを世間に披露したりとすれば甚だ心ばせの卑しき俳人といはざるを得ず。(三月二十五日)

ある日左千夫鯉三尾を携へ来りこれを盥に入れてわが病牀の傍に置く。いふ、君は病に籠りて世の春を知らず、故に今鯉を水に放ちて春水四沢に満つる様を見せしむるなりと。いと興ある言ひざまや。さらば吾も一句ものせんとて考ふれど思ふやうに成らず。とやかくと作り直し思ひ更へてやうやう十句に至りぬ。さはれ数は十句にして十句にあらず、一意を十様に言ひこころみたるのみ。

春水の盥に鯉のかな

盥浅く鯉の背見ゆる春の水

鯉の尾の動く盥や春の水

頭並ぶ盥の鯉や春の水

春水の盥に満ちて鯉の肩

春の水鯉の活きたる盥かな

鯉多く狭き盥や春の水

鯉の吐く泡や盥の春の水

鯉の背に春水そゝぐ盥かな

鯉はねて浅き盥や春の水

(三月二十六日)

先日短歌会にて、最も善き歌は誰にも解せらるべき平易なる者なりと、ある人は主張せしに、歌は善き歌になるに従ひいよいよこれを解する人少き者なりと、他の人はこれに反対し遂に一場の議論となりたりと。愚かなる人々の議論かな。文学上の空論は又しても無用の事なるべし。何とて実地につきて論ぜざるぞ。先づ最も善きといふ実地の歌を挙げよ。その歌の選択恐らくは両者一致せざるべきなり。歌の選択既に異にして枝葉の論を為したりとて何の用にか立つべき。蛙は赤きものか青きものかを論ずる前に先づ蛙とはどんな動物をいふかを定むるが議論の順序なり。田の蛙も木の蛙も共に蛙の部に属すべきものならば赤き蛙も青き蛙も両方共にあるべし。我は解しやすきにも善き歌あり解し難きにも善き歌ありと思ふは如何に。(三月二十七日)

廃刊せられたりといひ伝へたる『明星』は廃刊せられしにあらでこのたび第十一号は恙なく世に出でたり。相変らず勿体なきほどの善き紙を用ゐたり。かねての約に従ひ短歌の批評を試みんと思ふに敷多くしていづれより手を着けんかと惑はるるに先づ有名なる落合氏のより始めん。

わづらへる鶴の鳥屋みてわれ立てば小雨ふりきぬ梅かをる朝

Chapter 6 of 16
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