Chapter 1 of 7

昭和九年六月の本誌(ドルメン)三〇頁に「又四五十年前三好太郎氏話に、夏の早朝、大阪の城※え、屡ば相場師が來て、水に臨んで喫烟し乍ら蓮の花の開くをまち、其音を聽て立去たと、其を聽て何にするかを聞なんだ、子細のある事か、識者の高教をまつ」と書置たが、一向高教は出なんだ。處ろが今(十一)月十五日弘前市の廣田博君より次の通知を受た。

愚生の母方の祖母から、幼時より聽ました事、其祖母は萬延元年の出生、七十歳で昭和四五年頃死亡、出生地は南津輕郡黒石町(津輕家の御分家の居城地)です。

一、蓮の開花の音を聽ば、蓮の臺に上る事が出來る。即ち、死後地嶽へ墮ちず、成佛ができると言傳へられ、又一、それを聞ば必ず、其人一代の開運は必定であると申し居ました。仍て愚生達も少年時代迄は、此地津輕公の、現に公園と成居る鷹場園の壕や、市内革秀寺池の蓮花の開くを見、且つ聞きに、早朝夜も碌に明ぬ内から出掛て往た者で、目下はどうかよく知ませぬが、愚生の幼時迄は、其を視聽する人達で、濠も池も一抔だつた事は、絶對間違ひのない事實で有ました。で有ますから、愚見を述ますと、相場師などには、持てこいのお呪で、縁起をかつぐので無かと推察しますが、死だ老祖母から聽た事は、必ず記臆違ひなく、確信して居ます。下略。

(次便に上原敬二著、風景雜記七四頁にも記載ありとあれども其詳を得ず)。

是は予に在ては未聞を聞た者で、深く廣田君の厚意を謝し奉る。付ては聊か最寄りの事共を書付て同君等の參考に供えんに

先づ王文公は、蓮華得二日光一乃開敷といひ、李白は日照二新妝一水底明、葉夢得は曉日初開露未レ晞、申時行は、木臨二文一、晨曦出二暘谷一、宛彼※花、嫣然媚二初旭一とも妝凝朝日麗とも詠じ、葉受の君子「蓮」傳には、君子不二時見一、毎盛夏、東日方興、振レ衣起立と作つた。かく蓮花と旭日を組合せた句が多いから、其咲く時の音を聽た紀事を搜したが、支那書に一寸見當らぬ(雅一七。廣群芳譜二九と三〇。古今圖書集成、草木典九六)。

ド・ールの言に、白蓮花は旭日と倶に開き、日沒と同じく閉づと。古埃及の旭神ネフェル・テムは、毎朝蓮花より出たといひ、印度の日神スリアは紅蓮に坐して、神母はテキ各々蓮花を持て蓮に坐するなど、みな此譯によると見る。(Frind.‘Flowers and Flower Lore' 1884, vol. , p. 350; Budge,‘The God of the Egyptians' 1904, vol. , pp 520, 521; Wilkins,‘Hindu Mythology’, 3rd impression, 1913, p. 33)かく日出時に、蓮花咲くと知た民は、同時にそれが音を發するを事をも知り居た筈だ。古今圖書集成、草木典九八に、武城縣志、蓮花池在二洪苑中一、人傳爲二積水窪一也、昔忽生二蓮花一、後暮夜遇レ雨、人過レ之聞二其香一、又聞レ有二※々之聲一、故名とある。

正字通にも康※字典にも、※は密茂貌、元連昌宮辭風動落花紅※々とみゆれど、爰の※はの誤字か。是は風聲勁疾之貌、鮑昭蕪城賦、々風威と出づ。この蓮花池は本とドブ溜だつたが、雨夜忽ち蓮花が生じ香を放ち、又、其葉や莖を風が吹く聲を聞たと云ので、決して花が開く音を指たでなく、集成同卷に、青州府志、蓮花池在二玉交里中一、莽蕩無レ際、青萍環覆、紅碧交加、蓮蕊爭レ勝、爛漫如レ霞、然乍有乍沒、兆二沂之盛衰一、或疑三其有二靈氣一云と云ると等しく云はゞ蓮の幽靈だ。

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