Chapter 1 of 1

Chapter 1

河水は、行方も知らずに流れてゆきました。前にも、また、後ろにも、自分たちの仲間は、ひっきりなしにつづいているのでした。そして、どこへゆくという、あてもなしに、ただ、流れている方に、みんなはゆくばかりでした。

前にいったものは、笑ったり、わめいたり、喜ばしそうに踊ったりしていました。はやく、まだ見ない、めずらしいことのたくさんある世界へゆきたいと、あせっているようにも思われたのです。

ほんとうに、それは、遠い、また、長い旅でありました。すべてのことに終わりがあるように、この旅も、いつかは尽きるときがあるでありましょう。

河水は、昼となく、夜となく、流れてゆくのでした。

ある日のことです。ふいに、黄色な、破れた袋のようなものが、飛び込んできました。それはバナナの皮でした。

「ああびっくりした。やっと、私は、目がさめたような気がする。」と、バナナの皮は、いいました。

南洋の林の中に、あったころのさわやかな香いが、まだ残っていて、このとき、ふたたび冷ややかな水の上で、したのでした。

「おまえさんは、いままで眠っていたのかね。」と、水は、たずねました。

「ここは、どこですか?」と、バナナの皮は、驚いたようすをして、聞きました。

「ここは、どこだか俺にもわからない。だが、この歩いている幅の広い一筋の道は、俺たちの領分だということができる。おまえさんは、これから、ここへ飛び込んできたからは、俺たちのいくところまで、いっしょに、ついてこなければならない。」と、水は、答えたのであります。

バナナの皮は、しばらく考えていたが、

「ああ、私は、まだ、船に乗っているような気もしたが、それは、ずっと昔のことだった。あれから、きっと、どこかの港に着いたのだろう! そして、どこかの町へ運ばれて、人間の手にかかって、こんなに着物ばかりにされてしまったのだろう。しかし、もし、私に、あの甘い中身があったなら、私の眠りは、いつまでもさめずに、しまいに、いい気持ちのまま、私の体がすっかり、酒のように、醸されて溶けてしまったかもしれない。だから、なにが、幸いとなるかわかるものでない。中身を取られて、水の中に捨てられたので、もう一度私は、気がついて、目がさめたのだ。まだ、私の皮膚には、あの林の中にあったころを思わせるような、青い部分が残っている。じつに、あの林の中にあった時分は、なんという、青々とした体であったろう……。」

バナナは、独りごとをしながら、追懐にふけっていました。

河水は、その言葉をきいていました。そして、それに同情をしてか、また、あざけるのか、わからないような、ささやかな笑い声をたてたのであります。

「いくら眠るからといって、そんなによくも眠れたものだ。俺たちは、まだ、十分間と一ところにじっとして、眠った覚えがない。」と、河水は、いいました。

「南の熱い、森の中に咲いている花や、また、木の葉は、それは、じっとしてよく眠ります。なかには、あまり眠りすぎて、しぜんに溶けてしまうものもあります。」と、バナナは、答えました。

それから、バナナは、河水について、流れてゆきました。すると、突然、そこへ一本のつえが落ちてきました。

「ああ、やっと、私は、盲人の手から、脱け出てきた。一刻も、休みなく、堅い石の上や土の面を、こつこつやられたのでは、私の身がたまったものでないからな。」と、つえは、独り言のようにいいました。

「おまえさんは、どこから、どうして、ここへきたのです。」と、河水は、問うたのです。

つえは、長い体を、水の上で、ぐるぐると振りながら、

「按摩に、長いこと、私は、つかわれていたのです。どうかして、すこし体を休めたいと思っていましたが、一日として、その暇がありませんので、はやく、按摩の手からのがれて、どこかへ身を隠して、ぐっすりと眠りたいと思いました。けれど、按摩は、私がなくっては、ちっとも歩けませんので、どこへいくにも私をつれていきました。私の体は、日夜の過労のために、だんだんやせていきました。私は逃げ出す機会を、待っていました。ところが、今日、ちょうど橋の上で、按摩のげたの鼻緒がゆるみました。按摩は、橋の欄干に私の体をもたせかけて、げたの鼻緒をしめていました。私は、このときと思って、するすると欄干から下へ、ぬけ落ちたのであります……。」と、物語りました。

この話を、河水は、黙って、聞いていました。そばで、バナナの皮も、聞いていたのです。

「おまえさんは、水の上へ落ちるということがわからなかったか? 俺たちはこれから、どこへいくかわからないのだ。」と、河水はいいました。

バナナは、いま、うす暗いところを通ったが、あすこは、橋のかかっている下であったのかと思いかえしました。

「私は、どこへ落ちても、按摩に、休みなく使われている境遇よりは、ましだと思いました。」と、つえは、答えたのです。

水は、だまって、きいていましたが、二、三度、大きく体をゆすって、

「しかし、これからは、否応なしに、おまえがたは、俺たちのいくところへついてこなければならない。」といいました。

バナナも、つえも、その言葉を聞くと、いったい、どこへゆくのだろうかと思いました。そして、それに対して、多少不安を感じないではいられませんでした。

河水は、あるときは、ゆるやかに、あるときは駆け足でもするように、速やかに走りました。ゆるやかな時分には、バナナの皮も、つえも、ゆるやかに流れて、たがいの身の上話でもするようについたり、離れたりしていきましたが、速やかに流れるときは、やはり、バナナの皮も、つえも、駆け足をしたのでした。そして日の輝く下の、野原の中を流れたり、右や、左に、野菜園のしげったのなどを見ながらいったのです。また、さびしい林の中を通ったこともありました。

「あなたの産まれた林というのは、こんなところでしたか?」と、林の中をゆくときに、つえはバナナの皮にたずねました。

バナナの皮は、半分黒くなった頭を振りながら、

「まったくちがっています。もっと、太陽は、大きく、そして、林の中は、ぎらぎらと明るく光っていました。」と答えました。

寒い国の山で、子供の時分に育ったつえには、それを想像することができなかったのです。

そのうちに、水の上が、紅く色づいて、夏の日は、だんだん暮れかかりました。林のなかで、鳴いているひぐらしの声も静まると、星の影が映ったのであります。あたりは、暗くなってしまいました。

しかし、河水は、休まずに、流れていきました。

日は暮れても、空の色は、ほんのりと明るく、土手の下を流れていくと、ほたるなどが飛んでいました。なんでもその土手へは、近所の人々が涼みにきているように、思われました。バナナの皮は、若い男と女とが、楽しそうに語り合い、笑っている声をききますと、急に産まれた、南の故郷が恋しくなりました。自分のなっていた木の下で、ちょうど、これと、同じ笑い声や、ささやき声を、聞いたことがあったからです。

「どうか、私をこの土手の岸へ上げてください。私は、せめて、ここで故郷をしのびながら、果てたいと思いますから……。」といって、バナナの皮は、河水に向かって、たのみました。

「俺たちは、そんな約束までしなかったはずだ。」といって、河水は、さっさと流れていってしまいました。バナナの皮も、それに、ついていかなければなりませんでした。

バナナの皮も、つえも、いまさら河水の無情なことを悟りました。そして、これからどうなることだろうと思っていました。

もはや、夜も、だいぶ更けたころであります。河は、町の間を流れていきました。どの家も戸をしめて、町は、しんとしています。たちまちあちらの町の裏から、按摩の笛の音が聞こえてきました。つえは、それをきくと、急に、いままでの生活が恋しくなりました。こうして、たよりない身の上よりか、たとえつらくても、にぎやかな町の中を歩いて、いろいろなものを見たり、聞いたりするほうが、どれほど、ましであったかしれなかったからです。

「どうか、私を、この町の岸につけてください。」と、つえは、河水に向かって頼みました。

けれど、河水は、振り向きもしませんでした。そして、いっそう速力をはやめて、町の間を過ぎていってしまったのです。

バナナの皮と、つえは、後になったり、先になったりしました。体の弱い、バナナの皮は、ぐったりとしてしまって、もはや、何事も、あきらめていたようです。ひとり、つえは、どうしても、このまま流れていくことが、不安でたまりませんでした。

「これから、私たちは、どこまでいくのでしょうか。」と、河水に向かって、たずねました。

「それを、どうして俺が知るものか。」と、河水は、いいました。

「あなたにも、それは、わからないのですか?」と、つえは驚いて叫びました。

バナナの皮とつえとは、それからも、まだ河水について流されていったのです。しかし、彼らは、まだ希望を捨てませんでした。

●図書カード

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