Chapter 1 of 7

「親分」

「何だ八、又大變の賣物でもあるのかい、鼻の孔が膨らんでゐるやうだが」

錢形の平次は何時でもこんな調子でした。寢そべつたまゝ煙草盆を引寄せて、こればかりは分不相應に贅澤な水府煙草を一服、紫の煙がゆら/\と這つて行く縁側のあたりに、八五郎の大きな鼻が膨らんでゐると言つた、天下泰平な夏の日の晝下りです。

「大變が種切なんで、近頃は朝湯に晝湯に留湯だ。一日に三度づつ入ると、少しフヤけるやうな心持だね、親分」

「呆れた野郎だ。十手なんか内懷に突つ張らかして、僅かばかりの湯錢を誤魔化しやしめえな」

「飛んでもねえ、そんな不景氣な事をするものですか、――不景氣と言や、親分、近頃錢形の親分が錢を投げねえといふ評判だが、親分の懷具合もそんなに不景氣なんですかい」

「馬鹿にしちやいけねえ、金は小判といふものをうんと持つて居るよ。それを投るやうな強い相手が出て來ないだけのことさ」

「へツ、へツ」

「いやな笑ひやうをするぢやないか」

「その強さうな相手があつたら、何うします、親分」

「又ペテンにかけて俺を引出さうと言ふのか、その強さうな相手といふのは誰だ、――次第によつちや乘出さないものでもない」

平次は起直りました。春から大した御用もなく、巾着切や空巣狙を追ひ廻させられて、錢形の親分も少し腐つてゐた最中だつたのです。

「品川の大黒屋常右衞門――親分も知つてゐなさるでせう」

「石井常右衞門の親類かい」

「そんな氣のきかない淺黄裏ぢやない、品川では暖簾の古い酒屋ですぜ」

「フーン」

「其處の娘――お關といふのは、十八になつたばかりだが、品川小町と言はれる大したきりやうだ。手代の千代松と嫁合せ暖簾を分ける筈だつたが、近頃大黒屋は恐ろしい左前で、盆までに二三千兩纏らなきや主人の常右衞門首でも縊らなきやならねえ」

「――」

平次は默つてガラツ八の長廣舌に聽き入りました。この天稟の早耳は、又何か重大なものを嗅ぎつけて來た樣子です。

「幸ひ、池の端芽町の江島屋良助の伜良太郎が、フトした折にお關を見染めた」

「あの馬鹿息子がかい」

「息子は馬鹿でも、親爺は下谷一番の金持だ。上野の御用を勤めて、何萬兩と溜め込み、金の費ひ途に困つて、庭石の代りに小判を敷いたり、子供の玩具にしたり」

「嘘を吐きやがれ」

「それは嘘だが、兎に角、伜に日本一の嫁を貰ふんだからと嫌がる大黒屋へ人橋架けて口論き落し、その代り結納は千兩箱が三つ、こいつは空ぢやないぜ、親分」

「大黒屋へやつたといふのか」

三千兩の結納は、江戸の大町人のする事にしても、少し奢りが過ぎます。

「池の端の江島屋から、馬に積んで番頭と仲人夫婦が附添ひ品川大黒屋まで持つて行つて、江島屋の番頭太兵衞や、仲人の佐野屋佐吉夫妻が立ち會ひの上、三つの千兩箱を開けて見ると、こいつが皆な大粒の砂利になつてゐたといふから驚くぢやありませんか」

「何だと? 八」

錢形平次もさすがに驚きました。江戸の街の眞晝、三人も附添つて行つた三千兩の小判が、馬の背の上で砂利に化ける筈はありません。

「だから行つて見て下さいよ、――三千兩は目腐れ金だが――」

「大きな事を言やがれ」

一兩はざつと四匁、その頃の良質の小判は一枚でも今の相場にして一萬圓位につくわけで、三千兩の値打、直譯して三千萬圓、經濟力は五千萬圓にも相當するでせう。三貫とも纒まつた錢を持つたことのないガラツ八が、こんなこと言ふのは洒落にも我慢にもなりません。

「放つて置けば大黒屋の亭主は本當に首でも縊るかも知れませんよ。それに、品川小町のお關を見ただけでも、飛んだ眼の法樂だ――」

「止さないか、馬鹿野郎、――品川は繩張り違ひだ」

「池の端は親分の支配だ」

「支配――てえ奴があるかい、人聞きの惡い」

「兎に角行つて見ませう。人助けの爲だ」

「それぢや池の端の江島屋の方へ當つて見るとしようか」

「有難てえ、それで頼まれ甲斐があつたといふものだ」

漸く腰をあげた平次。ガラツ八はその後ろから、帆つ立て尻になつて煽ります。

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