Chapter 1 of 210

さっきの雷鳴で、雨は、カラッと霽れた。

往来の水たまりに、星がうつっている。いつもなら、爪紅さした品川女郎衆の、素あしなまめかしいよい闇だけれど。

今宵は。

問屋場の油障子に、ぱっとあかるく灯がはえて、右往左往する人かげ。ものものしい宿場役人の提灯がズラリとならび、

「よしっ! ただの場合ではない。いいかげんに通してやるゆえ、行けっ!」

「おいコラア! その振分はあらためんでもよい。さっさと失せろっ」

荷物あらための出役と、上り下りの旅人のむれが、黒い影にもつれさせて、わいわいいう騒ぎだ。

ひがしはこの品川の本宿と、西は、琵琶湖畔の草津と、東海道の両端で、のぼり下りの荷を目方にかけて、きびしく調べたものだが、今夜は、それどころではないらしい。

ろくに見もせずに、どんどん通している。

大山もうでの講中が、逃げるようにとおりすぎて行ったあとは、まださほど夜ふけでもないのに、人通りはパッタリとだえて、なんとなく、つねとは違ったけしきだ。

それもそのはず。

八ツ山下の本陣、鶴岡市郎右衛門方のおもてには、抱き榊の定紋うった高張提灯を立てつらね、玄関正面のところに槍をかけて、入口には番所ができ、その横手には、青竹の菱垣を結いめぐらして、まんなかに、宿札が立っている。

逆目を避けた檜の一まい板に、筆ぶとの一行――「柳生源三郎様御宿」とある。

江戸から百十三里、伊賀国柳生の里の城主、柳生対馬守の弟で同姓源三郎。「伊賀の暴れン坊」で日本中にひびきわたった青年剣客が、供揃いいかめしく東海道を押してきて、あした江戸入りしようと、今夜この品川に泊まっているのだから、警戒の宿場役人ども、事なかれ主義でびくびくしているのも、むりはない。

「さわるまいぞえ手をだしゃ痛い、伊賀の暴れン坊と栗のいが」

唄にもきこえた柳生の御次男だ。さてこそ、何ごともなく夜が明けますようにと、品川ぜんたいがヒッソリしているわけ。たいへんなお客さまをおあずかりしたものだ。

その本陣の奥、燭台のひかりまばゆい一間の敷居に、いま、ぴたり手をついているのは、道中宰領の柳生流師範代、安積玄心斎、

「若! 若! 一大事出来――」

と、白髪あたまを振って、しきりに室内へ言っている。

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