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が、あまり五月蝿く自信あり気に頼むし、それに、既に一つの理論と成算を胸に抱いているというので、微かな好奇心も動き、溺れる者は藁をも掴みたい気でいるマダム・セレスティンは、それならと言うのでその勇ましい名のガリバルジ青年をロウモン街分署のモウパア警部の許へ向けてやった。
「十四号室の鍵は、あれから警察で預かっているんです。誰もあの部屋へ這入ってはならないことになっていますから、第一に、係りの警部さんのお許しを得なければなりません」
女将は、ガリバルジを伴れて警察へ出頭する。
リカルド・ガリバルジ――哲学者と熱血将軍を一緒にした、兎に角、非道く英雄的な名前である。この姓名で安心した訳ではないが、警察で大議論やら大懇願の末、とうとう、そんなに言うなら、まあ、やってみなさいということになった。が、人の恐れる自殺室へ単身踏み込むのだから、モウパア警部も心配でならない。只では許せないとあって、前もって色いろ要心を採る。先ず苦笑している勇士ガリバルジ君を、御丁寧に医師に健康診断させた。かかることを思いつき、且つ執拗に主張するだけに、既に幾分精神に異常を呈しているのではないか何うか、妖怪などという比較的強烈な刺戟に耐え得る精神的、並びに肉体的健康の所有者なりや否や、些少の動揺にも死を想うほど、霊界の誘惑に弱き、換言すれば、自殺の懼れある性格なのではないか如何――などというのだが、医者はこのすべてを否定して、ガリバルジ青年は、稀に見る健康者であり、その上充分信頼していい腕力家だと証言した。この若者なら、自殺室の怪と闘って、その正体を究め、立派に生きて出て来るだろうと折紙が附けられた訳だ。尚一層念を入れて、その日のうちに十四号室に、警察との直通電話が急設された。必要があれば、一瞬にしてモウパア警部を呼ぶようにというのだ。交換の方にも厳命が下って、単に受話器を持上げただけで、直ちに警部の卓上電話と接続され、消魂しい鈴の音が鳴り響こうという趣向である。電話が来次第、警部はおっ取り刀でホテルへ駈けつける約束だ。もしモウパア警部が不在なら、居合わせた刑事連が、それっと繰り出す手筈まで定った。騒ぎが大きいので、リカルド・ガリバルジ君は微苦笑を洩らして、
「そんなにして戴くには及びませんよ。大丈夫です。私は一つ大体見当のついていることがあるんです。この私が自殺する?――そんな心配は毛頭ありませんから、安心して、解決がつくまで十四号室に置いて下さい。マダム・セレスティンのお礼と、新聞社の呈供している賞金とで、私は私のジョルジェットと結婚して幸福になる心算です。その金を得るために、考えついたことなのです。それに、私には或る確固した推理が立っているので、かくして実地探究を思い立ったのですから、必ず近いうちに、自殺室の不思議を不思議でなく、あなた方の前に説明して御覧に入れましょう」
名前に背かない、頼母しいガリバルジ君である。意気揚々とホテル・アムステルダムに進出して、三階十四号室に陣取る。これが月曜日のことで、それから毎日、昼二回、夕方一度、苦労性のモウパア警部は勇士の部屋へ電話を掛けて、
「アロウ、ムッシュウ・ガリバルジ? 何うですな、変った事はありませんかな?」
「メルスイ・ビヤン。平穏無事です」ガリバルジ君は、暢気な声だ。
「マダムは三度三度、素晴らしい御馳走をして呉れて、おまけに、すてきもない古い葡萄酒がふんだんにあります。おかげで、肥りましたよ」
全く、何ごともなく日が経って行って、女将セレスティンは、安堵の胸を撫で下ろす。三、四時間おきに、マダムの心尽しの、何かしら変った食べ物や飲みものなどが、十四号室のガリバルジ君へ届けられる。本をしこたま持込んで来て、ガリバルジは、一日いっぱい読書しているのだ。朝のうち、女中が部屋を掃除する間に、ロウモン街へ散歩に出る。帰途には必ず警察へ立ち寄って、モウパア警部に会う。もう神秘は解かれたも同じようなものだと言って、ガリバルジは大得意に談笑していた。
すると、明日は土曜日である。
この、十四号室の自殺は、金曜日から土曜へかけて起るとなっていて、恐怖の夜だ。宵の口に二回、モウパア警部は直通電話を鳴らして、
「アロウ、ムッシュウ・ガリバルジ?――金曜日ですな。何うです、変ったことはありませんかな?」
その度びに、リカルド・ガリバルジ君の快活な声が、受話機を滑って来て答えた。
「メルスイ・ボクウ。平穏無事です」
が、翌土曜日の朝、昨夜を突破していて呉れたら、もう占めたものだが――と、不安に駆られていた女主人セレスティンは、三階から駈け降りて来た給仕人ポウルの只ならない様子にぎょっとして、玄関わきの帳場を飛び出した。
「また――? ポウル!」
ポウルは、口唇を真っ白にして、自分の言葉を噛むように、
「又やったらしいんです! いま十四号へ朝飯を持って行ったんですが、扉が堅く締まっていて、幾ら叩戸しても、返辞が――」
「おお、神――神よ!」
気丈夫な女将は、狂気のように狼狽てながらも、ポウルを随えて、一足とびに階段を跳び上った。とにかく、自分で確かめようというのだ。やがて三階、十四号室の前である。成程、寂然としている。開けて踏み込むと同時に、恐しい叫び声がマダムの口を突っ走って、彼女は、背ろに続くポウルの腕へ倒れ掛った。四度び、凄惨な光景が、室内に彼女を待ち構えていたのだ。発見者二人は、部屋へ這入るどころか、一目見るが早いか其の儘逃げるように階下へ転げ落ちて、直ちにモウパア警部へ急報する。刻を移さず、警部が部下を引き連れて駈けつけるとジェリィ菓子のように顫えているマダム・セレスティンを取り巻いて、一行は、跫音を轟かして三階へ駈け上る。マダムは、呼吸を切らして呶鳴りつづけた。
「死んでるんですよ! ガリバルジさんが! 死んでるんですよ!」
二つの窓がロウモン街の往来を見下ろしている。広い、小綺麗な十四号室だった。旧式な作りで、壁に、頑丈な鉄の鉤が打ち込んであって、それに重い窓掛を通す鉄棒がかかっている。豪傑リカルド・ガリバルジ君は、カアテンを片寄せる強い組紐で首を吊って、その鉤からぶら下がって死んでいた。顔が、別人のように青くふくれて、もう無機物を大きく見開いて寝台のある反対側の壁へ、かっと、見えない凝視を投げつけていた。それは、恐しい形相だった。何ごとか名状出来ない恐怖とショックが原因で縊死したことを示していて、これも、自殺であることは疑いを容れない。しかも、死にたい衝動、誘惑、或いは、死ななければならない理由が何んなに強かったか――その証拠に、ガリバルジ君は、坐るときのように、きちんと膝を折って、足首を腿へ縛りつけて、いても足が床へ届かないように注意して吊り下がっているのだ。何度もいう通り、鉤が割りに低いところにあり、それに綱が長いので、普通なら身長が立って縊死の目的は達せられないのである。
警察への直通電話は、室内線が切断してあった。晩飯を部屋へ取ったので、その時ついて来た焼肉用の鋭い小刀が、床に落ちていた。その刄に、電話線の包皮の絹糸の屑が、引っ掛っていた。
これで四人――ことごとく金曜日の夜、この三階の十四号室で自殺したのだ。
「自殺」――? モウパア警部は茲に初めて真剣に首を捻って、部屋の戸に巡査を立たして十四号室を警察の管理に移すと同時に、急遽上司である巴里警視庁のムッシュウ・ドュフラスの出張を求める。
捜査課長ドュフラス氏がホテル・アムステルダムへ駈けつけてみると、モウパア警部は、蒼白く沈黙しているリカルド・ガリバルジの死顔の上へ蹲踞み込んで、歯のあいだから、独り言を呻いていた。
「これは自殺じゃない! 断じて自殺じゃない!」
部屋へ這入ったドュフラス氏が、背ろから声を掛けた。
「ほほう、自殺でないとすると――?」
「ああ、ウィ! ムッシュウ・ドュフラス!」振り向いたモウパア警部は、興奮して、飛び付くように、「断然自殺ではありません。何かこれには、怖るべき犯罪が潜んでいると、本官は信じます」
ドュフラス捜査課長の肩越しに、警視庁から一緒に来た嘱託の法医学者ベルチョン博士の顔が覗いて、じっと静かに、このモウパア警部の言葉に肯定いていた。