六
(エハガキ――新東京風景に添へて。宛名――R・区六八番、ボストン、U・S・A。ミセス・F・K――。)
(和訳して――上京後の第二信)
余の親愛なるミセス・Fよ。
余等の東京は斯んなに素晴しい装ひを凝して今や初夏の輝やかしい陽の下に生気溢れてゐる。これらの写真を見て君の思ひ出を呼び起すやうな風景は何処にも見あたらぬであらう。余等は、これらの近代風景を世界に誇り、市民は一勢に立ちあがつて第一文明の建設に余念なき有様である。東京市は何処の隅々までも元気に充ち溢れてゐる。先日の極東オリムピツクも大体吾軍の勝利であつた。
余は余の芸術の発展を希ふべく再び都に現れて、最早三ヶ月も経つたが、これらの新東京の空気を一杯に呑み込んで、ひたすら心躍るのみにて、未だ一つの短篇をも纏め得る余裕もなく、一途に生活の面白さに酔うてゐるかの如き状態である。だが生活期の後の芸術を信じて呉れるであらう。――それはさうと、君がこちらにゐる頃は簡単なるダンス・ホールなども見あたらなくて、屡々君と憂鬱を感じたことがあつたが、近頃は彼方此方の角々にも多くのホールが出来て、難なく、このまゝ出入することが自由だ。余は君と別れてからあの如く殆ど田舎に閉ぢこもりダンスの代りに夕暮時になると甚だ愚かな飲酒癖に慣れて家庭の者共に夥しい迷惑をかけ続けたが、此頃はそんな爺臭い騒ぎは打ち忘れて、宿で夕飯を済すと、稍ともすれば妻の手を引いて彼処に赴き、夕暮時の寂しさを綺麗に拭ひ去り、再び帰つて遅くまでも読書をするといふほどの長閑なアカデミアンになることも出来た。だが何んなに数々のダンス・ホールが現れても、嘗て君と舞ふた経験をもたなかつたら、あの如く羞みやの余が、この如く自由に彼処に出入することなどは出来なかつたらう! などと思ひ、いろ/\と君に感謝の念を抱いた。手紙は、田舎宛で呉れれば好い。こちらからの何か用事に関する通信は今後妻だけが書くことにしたから、ブロウクンの個所は小さな彼女のために同情をもつて判読してやつてくれよ。
●図書カード