Chapter 1 of 6

兄は礼助の注いで出した茶の最後の滴りを、紫色した唇で切ると、茶碗を逆に取つて眺めながら、

「今どき螢出のこんな茶碗なんか使ふの止めや。物欲しさうであかんわ。筋の通つたのがないのなら、得体の知れんものでも使うたがええ。茶を頭葉つかふのなら、それ相応につろくせんとあかんでな。」かう云つて一寸黙つたが、突兀として、

「――お前まだ独りか?」と問うた。

礼助は苦笑と共に答へた。

「驚いたな。いくら僕だつて、結婚でもすれば兄さんに知らせますよ。」

すると兄は、あははと大きく笑つてから、

「そらそやろな。――どうも埃り臭いでな。独り身といふやつは、何としても埃りくさい。何ぼ掃除しても家中が埃り臭い。埃りが有る無いの問題やない、埃りを消す匂ひがないのやでな。――いいかげんに貰うたらどうや?」と云つた。

「埃くさいか。名言だな。」

「埃はどうでもいいがな、どうや、貰うたらどうや?」

「いいのがあれば何時でも貰ひますよ。」

礼助としては、此種の質問にしばしば遭つてゐるので、何時も決つた返事をするより他に仕方がなかつた。

「どんなのがええのや? 参考に聞いて置かう。わしの心当りにないとも限らんでな。」

兄の単刀直入に礼助も気軽な返事をした。

「実枝さんみたいな気立の人ならいい。」

「実枝みたいな? そんならどうや一層のこと実枝を貰つたら?」

礼助は特に実枝の事を云ふつもりではなかつた。兄弟共通に知つてゐる女性では、他に適当の心当りがないので、差当り此の従姉の娘を挙げてみたまでであつた。しかし、兄から、そんなら実枝を貰つたらと云はれると、不意に顔が固くなるのを覚えた。では、やはり、そつと収つて置いたものを礼助は口に出したのだらうか。礼助は否、と云ひ切れはしなかつた。彼は固いままの顔を些か赤くして、咄嗟に何とか云はなければならなかつた。

「でも子供があるからな。」

「子供がなければいいのか?」

「そんな事云つても無理ぢやないか。子供があるんだもの。」

「子供を他所へ遣ればどうや?」

この兄の語気は強かつた。礼助はへたばりさうになりながら、辛うじて、

「さうもいかん。」と云つた。「――考へておく。」

「さうか。」

短く云つて兄は、また、

「さうか。――お前、一度京都へ来たらどうや。何ならわしの帰るとき一緒に行かんか。もう一年位行かんのやろ?」

「さう、一年くらゐ行かんかも知れん。一緒といふ訳にもゆかんが、――そのうち行きます。とにかく久しぶりだから。」

「そんならお出で。待つてる。」

兄は猶一碗の茶を喫すると、腰を上げてから、

「一寸用達して、そのまま夜行で帰る。もう寄らんよ。」

「ぢや送りません。御機嫌よう。――あ、だけど京都へお帰りになつても黙つてゐて下さい。でないと僕行つても一寸具合が悪いし、第一行きにくくなるから。」

兄は承知して帰つて行つた。

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