澤西祐典
澤西祐典 · Japanese
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澤西祐典 · Japanese
Full text
Original (Japanese)
「貴様は別府のこと、何もわかっちょらんな。これやからよそ者は好かんちゃ、偉そうにしくさってから」
首藤は、大分合同新聞の夕刊に、太田の写真入り記事を見つけ、彼から言われた言葉を思い出した。途端、頬に熱が上った。新聞を乱暴に丸め、ごみ箱に投げ捨てる。大阪行きのフェリーの船内には、陽気な音楽が流れていた。
――どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
たしかに家業の薬屋は、ずいぶん前から立ち行かなくなっていた。けれど、まさか別府を去ることになろうとは、首藤は夢にも思わなかった。
大阪に着いたら、仕事の合間に覚えた八卦占いでもやって、しばらく気ままに暮らすのも悪くない。そんな風に努めて明るく考えてみたが、やはり、やる瀬ない思いが、首藤の胸に込み上げてきた。その上、生まれも育ちも別府だというのに、「よそ者」扱いされたのもやはり面白くなかった。
まとまりもなくそんなことを思っていると、船内の音楽が途切れ、船内放送が流れた。どうやら出航に際して、テープ投げのイベントが行われるらしい。夕風にでも当たれば気分も変わるに違いないと思い、首藤は船内アナウンスに促されるまま、甲板へと足を運ぶことにした。
「テープ投げは、出航とともに始まりますので、今しばらくデッキでお待ちください」
フェリーのクルーに紙テープを手渡されながら、首藤は辺りを見渡した。デッキには、すでに大勢の子供や家族連れが詰めかけ、フェリーの欄を埋めていた。船出を心待ちにしている子供の群れに、初老に差しかかった大人が一人っきりで混じるのは多少気が引けた。けれど、テープを受け取ってしまった手前、今さら船内に引っ込むのも気まずかった。首藤は、親子連れと若いアベックの間に、ひと一人分の隙間を見つけてもぐり込んだ。
別府の町もこれで見納めと思って来たが、フェリーターミナルの建物に阻まれ、町並みはほとんど見えなかった。喋る相手もいない首藤は、ぼんやりと物思いに耽るしかなかった。出航の時を待ちながら、首藤はここに至るまでの一連の騒動を思い返していた。
* * *
……事の発端は、一人の外国人だった。男は、首藤ら、別府の地元の人がよく出入りする喫茶店に現れ、自分はヴァーミリオン・サンズから来た芸術家だと名乗った。
近ごろ山の上にできた国際大学の影響もあって、異国人は珍しくなかったが、そんな名前の都市は誰も聞いたことがなかった。そこは、どんな場所なのかと聞いてみると、男は口で説明する代わりに、懐から一枚の古ぼけた写真を出した。
写真には、オレンジ色の広大な砂漠が写っていた。地表から風に舞い上げられた砂が、まるで調べを奏でそうな具合に――それも身を引き裂かれんばかりの哀しい恋の歌でも聴こえてきそうな模様を浮かべて、写っていた。その中央には、珊瑚でできた高い塔が建っている。
しかし、何よりも首藤らの目を惹いたのは、塔の上に浮かぶ雲だった。見事な白い雲の塊が、凛々しい一角獣の姿をして、空に浮かんでいた。さらに、その一角獣の傍らには、純白の少女の雲像が、どこか引き攣った表情を浮かべて傅いていた。
男は、これが私の故郷だ、と告げた。そして、雲の周りに写ったグライダーらしき影を指さし、自分は雲の彫刻家なのだと改めて名乗った。首藤らは、驚きのあまり目を白黒させ、賛嘆の声を洩らした。
雲の彫刻について矢継ぎ早に質問したあと、しばらくしてから、首藤は「その雲の彫刻家が、別府にいったい何の用ちゃ」と男に尋ねた。
――私は別府で新しい催しをやりたいと思って来ました。
そう言いながら、男は懐からもう一枚、写真を出してきた。今度は、鉄輪の旅館街を写したパノラマ写真だった。夕日に照らされた、幾本もの巨大な湯けむりが、地面からもくもくと立ち昇っている。まるで雲が地面から湧いてきたようだった。
――私は湯けむりを彫刻しに来たのです。
男は別府に来た訳を明かした。話を聞くと、彼はその湯けむりの写真に魅せられ、遠路はるばる別府を訪れたらしかった。鉄輪一帯の湯けむりを彫刻し、別府に湯けむり彫刻の楽園を造るのが目的だという。また、竜巻地獄の噴泉を捉え、蛇だか竜だかを大空に解き放ちたいとも言った。
首藤は男の話を聞き、
「それはいい。どんどんやれ」と囃し立てた。他の客も面白がり、喫茶店での話は大いに盛り上がって終わった。
かといって、首藤は彼の運動を実際に手助けしたわけではない。実質的に男を支援したのは、別府を拠点とするアートNPO集団や、別府駅の高架下でカフェを開く若者たちのグループだった。彼らの支援を得て、男の活動は順調な滑り出しを見せ、湯けむり彫刻は、別府を彩る新たなプロジェクトとして一大運動になりそうな気運を見せた。
首藤らも、どんな彫刻ができるのか、好き勝手に空想を巡らせ、顔を突き合わせる度によもやま話に花を咲かせた。
例えば駅前にある銅像を真似て、諸手を天に掲げた油屋熊八の像を彫るのはどうだろうか、と誰かが言い出せば、それならば子供が好きだった熊八のために、マントにしがみつく小鬼は勿論の事、熊八の後から子供の像を次々とこさえ、音頭を取るように、ぞろぞろと天へ昇らせてはどうか、と別の者が口を出した。そうかと思えば、また別の者が口を挟み、最後には竜巻地獄から飛び出してきた竜の背に乗り、皆で天高く翔け上がればなお面白かろう、などと意見を出した。
もちろん、首藤も負けじと、自ら考案した湯けむりの像を披露した。しかし、渾身の案が、――鉄輪の空に秘宝館を再現するという会心のアイディアが、場に大笑いをもたらしたものの、誰からも真剣に取り合ってもらえなかったことですっかり意気消沈して以来、自ら湯けむりの像を考えるのはやめ、人の案に口を出すだけになってしまった。
いずれにしろ、そのような形で別府のあちこちで湯けむりの像が考案され、彫刻の話題は、表立った告知がされる前から、地元に受け入れられ、浸透していった。
ところが、活動が本格化しようという段、――各所への根回しも終え、正式に許可を申請しようという段になってから、突如謎の怪文書が出回るようになり、雲行きが怪しくなった。怪文書は連日、市内の至るところで配られ、新たなビラが撒かれるまで、一週間と日を置くことはなかった。その文面は、
「湯けむりを陵辱したらんとする、空賊行為を許すな!」
「鉄輪に血の雨が降る!」
「上がるは湯けむりか! グライダー墜落の白煙か!」
といった、安全面を危惧するもっともらしいものもあれば、
「これは、米軍の再統治への布石なり。進駐軍の歴史を忘れるなかれ」
などといった穏やかでない文言も飛び交った。首藤は新しい怪文書が出回る度に、現物を必ず手に入れ、そこに書かれている内容を面白おかしく知りあいに話して聞かせた。
むろん、怪文書の内容は、湯けむり彫刻への反対意見に留まらず、活動の中心にいる人物への誹謗中傷にまで及んだ。しかし、そのどれもが取るに足らないことを針小棒大に書きたてた中身のない記事であった。なかには、
「括目せよ! かの怪しげなる芸術家N氏の真実! ヴァーミリオン・サンズからやって来たN氏について、この度驚くべき事実が明らかとなった。N氏が度々訪れる柴S温泉での目撃談によると、かのN氏のものは、見た者がたまげるほどの大きさで、まさにミリオン・サイズとでも称すべき代物だとか。温泉に入ろうと湯船を跨いだところ、アレが温泉の縁に当たり、入るのに大層難儀したとか。あるいは湯船に大蛇が浸かっていると思ったら、N氏のそれであったとか。彼が入り浸るカフェでは、そのミリオン・サイズの宝刀を求め、夜な夜な……」
云々といった、あまりに卑俗、下品極まりないものまであった(むろん、首藤がその文面を喜々として読み、真相を確かめようと、男が現れる温泉に押し掛けたことは言うまでもあるまい)。
さて、初めはまともに取り合う者もいなかった怪文書だが、そのあまりの勢いに気圧され、世論は少しずつ反対派へと靡いていった。彫刻についてあれやこれやと議論するのを楽しみにしていた人々も、大っぴらに湯けむりの話題をするのが、憚られるようになった。
面白くないのは、男を中心とした若者たちのグループである。彼らは怪文書の出処を突き止めようと躍起になった。そして遂に、太田泰造という老人が、首謀者らしいと突き止めた。
太田は、怪文書のことなど皆目知らぬと白を切ったが、表舞台に引っ張りだされたことを幸い、今度は大手を振って反対運動を始めた。鉄輪をグライダーで飛び回るなど危険極まりない、というのがその表向きの反対理由だったが、そんなものは「別府に相応しくない」というのが本音らしかった。
首藤は、若者たちと太田一派の小競り合いを面白がって眺めていた。けれど、両者の衝突は遂に暴力沙汰に発展しそうになり、それはいけないというので、双方に面識がある首藤が仲裁役を買って出た。といって、初めから両者を和解させようという気は首藤になかった。両者が相見える瞬間を特等席で見物しようというのが首藤の腹の中であった。
話し合いは案の定、平行線をたどった。首藤も途中までは、黙って両者の激しい応酬を(にやにやしながら)聞いていたのだが、太田が繰り返す「別府らしくない」という主張に対し、ついつい、別府らしさとは何ぞやと口を挟んでしまった。
途端、太田は首まで真っ赤にさせ、「別府らしいとは、つまりはそういうことだ」と説明にならない説明をした。首藤は、一度口を開いたために辛抱が利かなくなり、「だから、その別府らしさとは何ぞや」と再び詰め寄ってしまった。それがいけなかった。そこから、話がこじれ出した。いたずら好きの首藤がこさえた日頃の怨みつらみもあってか、いつしか首藤は太田一派から目の敵にされ……
「これやからよそ者は好かんちゃ、偉そうにしくさってから」
話し合いの終わり近く、太田はそう吐き捨てた。
それからは、いつもは年の瀬まで待ってくれる支払いや借金の請求が、何故だか一時に家に押し掛け、首藤は首が回らなくなった。幸い、親も既に他界し、独り者の首藤は、誰に迷惑を掛けるでもなく、店をたたみ、タダ同然で土地を手放した。そうして、身一つで大阪行きのフェリーへと乗り込んだのである。
出航を告げる銅鑼が、港に鳴り響いた。
フェリーがゆっくりと岸を離れはじめ、乗客の手に握られた紙テープが、一斉に宙へと投げられた。船の側面に、赤、青、黄、ピンクといった色とりどりの線が、するすると伸びてゆく。子供たちが身を乗り出し、歓声を上げた。首藤の手からも白い紙テープが投げられ、風にはためいている。
知り合いが見送りに来ていないかと、首藤は今更ながら岸を探してみた。しかし、そもそも見送りに来ている人が数えるほどしかいなかった。
かつては、船が出る度にたくさんの人が港に押し掛け、別れを惜しむ声が飛び交ったものだが、今では、見送りの人よりも、テープを回収するスタッフの方が多かった。スタッフは紙テープを掴もうと、空に向けて慌ただしく手を動かしている。首藤は、誰かに別府を発つ日時を告げた訳でもなかったので、見送りがあるはずもないと自分で自分を慰めた。
フェリーターミナルに掲げられた「ようこそ別府へ」の赤いネオンが、徐々に遠ざかってゆく。船は、湾をなぞるように航行をはじめた。別府の町並みがフェリーターミナルの裏から現れ、首藤の視界をゆっくりと流れてゆく。
別府は、海と山に切り取られた狭い土地である。そのため、街の全景がすっぽりと視界に納まる。
火まつりが行われる扇山を頂点とした、三角形のなだらかな丘に家や建物が所狭しと建ちならんでいる。そのなかでも一等高いグローバル・タワーが、天高く突き出している。その象牙のような形をした塔の奥には、閉園と再開を繰り返すラクテンチも見えた。小さい頃、両親に手を引かれ、あひるの競走を見に行ったことを首藤はしみじみと思い出す。
町を、二両編成の電車がゆっくりと走って行く。車窓から見た別府大仏が懐かしかった。家の屋根屋根の向こうから、コンクリートでできた巨大な大仏が、不気味な顔でこちらを見ていた。あの頃は、電車が海岸沿いを走っていたなと首藤は思い返した。大仏がなくなった代わりに、それより遥かに大きい高層マンションが、街のあちらこちらに建っている。
鉄輪の辺りに目を遣ると、湯けむりがいつになく、くっきりと見えた。塗り固めたような湯けむりの太い柱が、マンションよりもはるかに天高くまで伸びている。夕焼けに染まる湯けむりを眺めていると、首藤には一連のごたごたが、まるで古ぼけた写真の中の出来事のように感じられた。
――彼らは、元気にやっているだろうか。
結局、若者たちと太田の話し合いはうやむやに終わってしまった。それでも彼らはめげることなく、湯けむりの彫刻を実現させようと奮闘していると聞いた。
しかし、首藤にはもはや関係のないことである。その、話し合いの場で、若者たちにまで白い目で見られたのを思い出した。怪文書が出回る度に、首藤があまりに面白がって吹聴したものだから、怪文書作成の嫌疑を掛けられ、太田一派だけでなく、若者たちからも敵視されたのだった。
首藤は、彼らのことを頭から追い払った。目の前に広がる、別府の夕景色に眺め入る。湯けむりは、勢いが増すでも弱まるでもなく、幼いころから変わらぬ様で、手を振るようにもくもくとのぼり続けていた。子供のころから自転車で駆け回った別府の町とも、これでお別れである。そう思うと、余計に湯けむりが首藤の目に沁みた。
* * *
……首藤を乗せたフェリーは別府を去っていった。その首藤が捨てた新聞には、「別府市××町では、三十日夜、町内への永年の功労者に賞状が贈られ、その一人、太田泰造さん(六九歳・大阪府出身)は、……」と書かれていた。
●図書カード
澤西祐典
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