Chapter 1 of 6

「妙なことを頼まれましたよ、親分」

ガラツ八の八五郎、明神下の平次の家へ、手で格子戸を開けて――これは滅多にないことで、大概は足で開けるのですが――ニヤリニヤリと入つて來ました。

十月の素袷、平手で水つ洟を撫で上げ乍ら、突つかけ草履、前鼻緒がゆるんで、左の親指が少し蝮にはなつて居るものゝ、十手を後ろ腰に、刷毛先が乾の方を向いて、兎にも角にも、馬鹿な威勢です。

「顎の紐を少し締めろよ、馬鹿々々しい」

口小言をいひ乍らも、平次は座布團を引寄せて、八五郎のために座を作つてやるのでした。

「でも、若い娘に忍んで來てくれと頼まれたのは、あつしも生れて始めてゞ」

八五郎は斯う言つて、顎を撫でたり、襟を掻き合せたりするのです。

「願つたり叶つたりぢやないか、相手は誰だ」

「親分も知つてゐなさるでせう。相手は本郷二丁目の平松屋源左衞門の義理の娘ですが、先づその親父のことから話さなきやわかりません」

「知つてゐるとも。昔は武家だつた相だな、松平といふ祖先の姓を名乘つては、相濟まないといふので、松平を引つくり返して平松屋は、義理堅いやうなふざけた話だ」

「その平松屋源左衞門といふのは、本郷一番の金貸で、五年前に亡くなつた、松前屋三郎兵衞の跡だといふことも、御存じでせうね」

「そんな事も聽いたやうだな」

「松前屋三郎兵衞は、松前樣のお金を融通して、一代に萬といふ金を拵へたが、主人三郎兵衞は女房のお駒と、小さい娘のお君を遺して五年前に病死――それにも變な噂がありますが、兎も角も、用心棒に置いた居候の浪人、松平源左衞門といふのが、ズルズルべつたり、祝言無しで後家のお駒と一緒になり、平松屋と暖簾を染め直して、金貸稼業を續けたが、不思議なことに、先代の松前屋三郎兵衞が溜めて置いた筈の、一萬兩近い金が、何處に隱してあるかわからない」

「フーム」

「一萬兩の金の見付からない自棄もあつたでせう、平松屋源左衞門は三年前から女道樂を始め年上の女房お駒が嫌になつて、茶汲あがりのお萬といふのを引入れ、女房のお駒と、先代松前屋の娘お君を邪魔にし、離屋へ別に住まはせることにした」

「薄情な野郎だな」

「一萬兩の金が目當ての入婿だから、金が無いとわかると、年上の女は邪魔にもなるでせうよ。ところが、女房のお駒はきかん氣の女で――少しは氣も變になつたでせうが、――私は此家の心棒だから、梃でも動かないと言ひ出し、離屋の窓々に頑丈な格子を打ち付け、四方の戸に錠をおろして、鍵は自分の手に持つたのが一つだけ、娘のお君の外には、誰も離屋に寄せつけ無い。後添の主人源左衞門は、元は武家で腕に覺えがあるから、私を殺しに來るに違ひない――といふのだ相で」

「成る程、そんな事もあるだらうな」

「三度の食事も娘が運んで、下女のお鐵でさへも、滅多に離屋へは寄せつけないといふから大變でせう」

「で、その娘がお前を口説かうといふのか」

「さうなんで、へツ、へツ」

「餘つ程の不きりやうか」

「と、飛んでも無い。江戸一番と言つちや嘘になるが、本郷通りで三番とは下りませんよ。昔話の同じ町に生れた八百屋お七だつて、あれ程では無いだらうと、町内の年寄は言ひますが」

「そんな娘がねえ」

「あつしには勿體ないといふんでせう、親分」

「ヒガむなよ。そんなわけぢやねえ、わけがあり相だと思つただけの話さ」

「娘のお君は十八、少し淋しいけれど、可愛い娘ですよ、でも、氣が變になつた母親の介抱をして、降るほどの縁談にも首を縱に振らないのが、あつしに逢ひ度いといふから面白いでせう」

八五郎はまた長んがい顎を撫で廻すのです。

「良い氣のものだよ」

「母親のお駒が、殺されさうな氣がして叶はないと、湯島の吉に頼んで來たから、此間から折を見て二三度行つて見るうちに、娘のお君の方が何んか物を言ひ度さうにして居るから、昨日店の前で逢つたとき、思ひ切つてそつと訊いて見ると、――親分、明後日の晩は義理の父親の源左衞門が留守だから、そつと亥刻(十時)頃裏口から入つて、土藏の蔭へ來て下さい――と斯う言ふぢやありませんか」

「で?」

「行つてやつたものでせうか。ね、親分」

「あ、氣味が惡い。人の膝なんかゆすぶりやがつて、金の相談なら引受けるが、情事の相談はお門違ひだよ。たつて訊き度かつたら神明樣の境内に居る、白い髯の小父さんに訊くが宜い」

「あの易者は當りませんよ。此間紙入を落した時十二文の見料を出して訊くと、水に縁があり、木に縁があるところを搜せといふから、一生懸命ドブを引つ掻き廻して居ると、叔母さんが佛壇の中から見付けてくれましたよ。婆アに縁があり、線香に縁があるとでも吐しや宜いのに」

「話はそれつ切りか」

「おまけがありますよ。――番頭の爲之助といふのは、平松屋源左衞門が、武家だつた頃の味噌摺用人だつたさうで、五十年輩のニヤニヤした爺仁ですが、あつしとお君が話して居るのを見かけて、――後で、お孃さんも可哀さうだ、親分は幸ひ仲が良いやうだから、何んとか言つてやつて下さいよ。あの人が嫁にでも行けば、世話の仕手が無くなつて、内儀のお駒さんも自分で拵へた座敷牢から出て來る氣になるかも知れません――と、斯んなことを言つて居ましたが」

「フーム、面白いな。番頭の言ひ草は『娘を口説け』と言はぬばかりだ。岡つ引なんてものは、あまり人樣に好かれる稼業ぢやないが」

平次は何やら考へて居ります。

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