南洲手抄言志録 02 南洲言志録手抄序
秋月種樹
佐藤一齋ノ言志録凡一千三十四條。行ハル二于世ニ一。西郷南洲手二抄シ其ノ一百餘條ヲ一。藏ス二于家ニ一。余嘗テ遊ビテ二鹿兒島ニ一而觀ルレ之ヲ。沙汰精確。旨義簡明。亦可シ三以テ窺フ二南洲之學識ヲ一矣。嗚呼南洲夙ニ抱キ二勤王之志ヲ一。致シ二匪躬之節ヲ一。間關崎嶇。死シテ而復タ蘇ル。謀ツテレ國ヲ而不レ謀ラレ身ヲ。身益困ジテ而人益信ズ。言志録ニ所レ謂ハ。我執ツテ二公情ヲ
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秋月種樹
佐藤一齋ノ言志録凡一千三十四條。行ハル二于世ニ一。西郷南洲手二抄シ其ノ一百餘條ヲ一。藏ス二于家ニ一。余嘗テ遊ビテ二鹿兒島ニ一而觀ルレ之ヲ。沙汰精確。旨義簡明。亦可シ三以テ窺フ二南洲之學識ヲ一矣。嗚呼南洲夙ニ抱キ二勤王之志ヲ一。致シ二匪躬之節ヲ一。間關崎嶇。死シテ而復タ蘇ル。謀ツテレ國ヲ而不レ謀ラレ身ヲ。身益困ジテ而人益信ズ。言志録ニ所レ謂ハ。我執ツテ二公情ヲ
小笠原長生
夫レ幼童性質ノ清淨無垢ナルハ猶ホ絲ノ純白ナルカ如シ其ノ紅ト爲リ黒ト爲リ又青黄紫藍ト爲ルハ一ニ外物ノ感化ニ是レ由ル幼時ノ感染ハ第二ノ天性ト成リ畢生復タ脱却シ能ハサルモノナレハ孟母ノ居ヲ遷シ墨子ノ絲ニ悲ミタル等以テ先哲ノ善誘懇導ニ勉メタル苦心ノ一斑ヲ見ルヘキナリ抑帝國民カ古來尚武ノ氣象ニ富ミ百難ヲ排シテ勇往猛進シ以テ國威ヲ發揚セシハ歴史ノ證明スル所ニシテ就中南北
江南文三
佐渡が島を出て 江南文三 佐渡が島を出てからひと月あまりになりました。白山神社の附近にたんぼがあつて赤蛙を取りに行つた東京、傳通院のぐるりが草原で蜻蛉やおおとを取りに行つた東京、あの附近に銘酒屋があつて、今日なくなつてしまつた「およなはいよ」と言ふ言葉で客をよんでゐた頃、お米屋さんがばたりばたりと足で踏んで米を搗いて居た頃、その前に鷄がくつくと鳴いてこぼれた
薄田泣菫
4・12(夕) 蚯蚓が風邪の妙薬だといひ出してから、彼方此方の垣根や塀外を穿くり荒すのを職業にする人達が出来て来た。郊外生活の地続き、猫の額ほどな空地に十歩の春を娯まうとする花いぢりも、かういふ輩に遭つては何も角も滅茶苦茶に荒されてしまふ。 箏曲家の鈴木鼓村氏は巨大胃を有つた男として聞えてゐる人だが、氏は風邪にかゝると、五合飯と味噌汁をバケツに一杯食べて、そ
マルサストマス・ロバート
第一章 ノルウェイにおける人口に対する妨げについて 現代ヨオロッパ諸国を概観するに当って、吾々の研究の助けとなるものは、出生、死亡、及び結婚の記録簿であるが、それは完全で正確ならば、一般に行われている人口に対する妨げが積極的妨げであるか予防的妨げであるかを、ある程度正確に、吾々に指示するものである。たいていのヨオロッパ諸国民の習慣は、もちろん、彼らの境遇が近
土井八枝
「仙臺の方言」と「土佐の方言」へはそれぞれ斯道の大家の序を頂戴したが、今度の隨筆集の序はどなたに御願ひしようかと出版者に相談した處、御良人がいゝでせうと曰はれました、どうかよろしくとの申出である。一寸考へた、亡妻を褒める文(蘇東坡の如き)はある、妹の詩集や遺稿への序(袁子才の如き)はあるが、現に生きて居る女房の文集に序を書いた例は見た事がない。「涵芬樓古今文
シェリーメアリー・ウォルストンクラフト
ウォルトン隊長――イギリスの探検家。 フランケンシュタイン――スイスに生れた若い化学者。本篇の主人公。 怪物――フランケンシュタインの創造した巨大醜悪な生きもの。 フランケンシュタインの父――名はアルフォンス。かつて長官その他の顕職にあった。怪物に殺される。 エリザベート――フランケンシュタインの許婚者。怪物に殺される。 クレルヴァル――名はアンリ。フランケ
下村湖人
母に死別してからの次郎の生活は、見ちがえるほどしっとりと落ちついていた。彼は、なるほど、はたから見ると淋しそうではあった。彼の眼の底に焼きつけられた母の顔が、何かにつけ、食卓や、壁や、黒板や、また時としては、空を飛ぶ雲のなかにさえあらわれて、ともすると、彼の気持を周囲の人たちから引きはなしがちだったのである。しかし、母が、臨終の数日まえに、 「あたしは、乳母
マロエクトール・アンリ
ジャンチイイの石切り場 わたしたちはやがて人通りの多い往来へ出たが、歩いているあいだ親方はひと言も言わなかった。まもなくあるせまい小路へはいると、かれは往来の捨て石にこしをかけて、たびたび額を手でなで上げた。それは困ったときによくかれのするくせであった。 「いよいよ慈善家の世話になるほうがよさそうだな」とかれは独り言のように言った。「だがさし当たりわたしたち
ブロンテシャーロット
最初に、「ジエィン・エア」の意圖と特長を簡敍しよう。 「ジエィン・エア」は、十九世紀の半ば(一八四七)に出版せられて、英吉利の讀書界に、清新な亢奮と、溌剌とした興味を植ゑつけた名篇である。 傳記に依れば、或る時、作者は、妹のエミリー(詩人作家)とアン(作家)に向つて、かく云つたといふ―― ――一體小説の女主人公を、既定の事實として一列一體に美人に描くのは間違
ゴーゴリニコライ
だらだらと退屈な長の道中のあいだ、寒さや、雪融や、泥濘や、寝ぼけ眼の宿場役人や、うるさい鈴の音や、馬車の修理や、啀みあいや、さては馭者だの、鍛冶屋だの、その他いろんな街道筋の破落戸どものためにさんざん悩まされた挙句、やっとのことで旅人の眼に、自分を出迎えにこちらへ近寄って来るような、懐かしい我が家の灯影がうつりだす――と、やがて彼の目前には見馴れた部屋々々が
ダンテアリギエリ
第一曲 かのごとく酷き海をあとにし、優れる水をはせわたらんとて、今わが才の小舟帆を揚ぐ 一―三 かくてわれ第二の王國をうたはむ、こは人の靈淨められて天に登るをうるところなり 四―六 あゝ聖なるムーゼよ、我は汝等のものなれば死せる詩をまた起きいでしめよ、願はくはこゝにカルリオペ 七― 少しく昇りてわが歌に伴ひ、かつて幸なきピーケを撃ちて赦をうるの望みを絶つにい
岡本綺堂
青蛙堂は小石川の切支丹坂、昼でも木立ちの薄暗いところにある。広東製の大きい竹細工の蝦蟆を床の間に飾ってあるので、主人みずから青蛙堂と称している。蝦蟆は三本足で、支那の一部に崇拝される青蛙神を模造したものである。 この青蛙堂の広間で、俳句や書画の会が催されることもある。怪談や探偵談などの猟奇趣味の会合が催されることもある。ことしの七月と八月は暑中休会であったが
スティーブンソンロバート・ルイス
もしも船乗調子の船乗物語や、 暴風雨や冒険、暑さ寒さが、 もしもスクーナー船や、島々や、 置去り人や海賊や埋められた黄金や、 さてはまた昔の風のままに再び語られた あらゆる古いロマンスが、 私をかつて喜ばせたように、より賢い 今日の少年たちを喜ばせることが出来るなら、 ――それならよろしい、すぐ始め給え! もしそうでなく、 もし勉強好きな青年たちが、 昔の嗜
林不忘
さっきの雷鳴で、雨は、カラッと霽れた。 往来の水たまりに、星がうつっている。いつもなら、爪紅さした品川女郎衆の、素あしなまめかしいよい闇だけれど。 今宵は。 問屋場の油障子に、ぱっとあかるく灯がはえて、右往左往する人かげ。ものものしい宿場役人の提灯がズラリとならび、 「よしっ! ただの場合ではない。いいかげんに通してやるゆえ、行けっ!」 「おいコラア! その
岡本綺堂
半七老人は或るとき彼のむかしの身分について詳しい話をしてくれた。江戸時代の探偵物語を読む人々の便宜のために、わたしも少しばかりここにその受け売りをして置きたい。 「捕物帳というのは与力や同心が岡っ引らの報告を聞いて、更にこれを町奉行所に報告すると、御用部屋に当座帳のようなものがあって、書役が取りあえずこれに書き留めて置くんです。その帳面を捕物帳といっていまし
三遊亭円朝
一席申し上げます。お耳慣れました西洋人情話の外題を、松の操美人の生埋とあらためまして…これは池の端の福地先生が口うつしに教えて下すったお話で、仏蘭西の侠客が節婦を助けるという趣向、原書は Buried a life という書名だそうで、酔った時はちと云い悪い外題でございますが、生きながら女を土中に埋め、生埋めに致しましたを土中から掘出しまする仏蘭西の話を、日
穂積陳重
父は話好きであります。私が子供の時には、父は御定まりの桃太郎から始めて大江山鬼退治の話などをしてくれたものです。私がだんだん成人するとともに、父の話も次第に子供離れがして来まして、私が法科大学生の時代には、自然法律談が多く出ることになりました。しかし父はむつかしい法理論や、込み入った権利義務の話はあまりしませんでした。私とても学校でさんざん聞かされた後ですか
福沢諭吉
慶應義塾の社中にては、西洋の学者に往々自から伝記を記すの例あるを以て、兼てより福澤先生自伝の著述を希望して、親しく之を勧めたるものありしかども、先生の平生甚だ多忙にして執筆の閑を得ずその儘に経過したりしに、一昨年の秋、或る外国人の需に応じて維新前後の実歴談を述べたる折、風と思い立ち、幼時より老後に至る経歴の概略を速記者に口授して筆記せしめ、自から校正を加え、
島崎藤村
橋本の正太は、叔父を訪ねようとして、両側に樹木の多い郊外の道路へ出た。 叔父の家は広い植木屋の地内で、金目垣一つ隔てて、直にその道路へ接したような位置にある。垣根の側には、細い乾いた溝がある。人通りの少い、真空のように静かな初夏の昼過で、荷車の音もしなかった。垣根に近い窓のところからは、叔母のお雪が顔を出して、格子に取縋りながら屋外の方を眺めていた。 正太は
島崎藤村
第八章 一 「もう半蔵も王滝から帰りそうなものだぞ。」 吉左衛門は隠居の身ながら、忰半蔵の留守を心配して、いつものように朝茶をすますとすぐ馬籠本陣の裏二階を降りた。彼の習慣として、ちょっとそこいらを見回りに行くにも質素な平袴ぐらいは着けた。それに下男の佐吉が手造りにした藁草履をはき、病後はとかく半身の回復もおそかったところから杖を手放せなかった。 そういう吉
江戸川乱歩
いつ、どこで、どうして、死ぬかということが、ただ一つ残っている問題だった。 青山浩一は、もと浜離宮であった公園の、海に面する芝生に腰をおろして、向うに停泊している汽船を、ボンヤリと眺めていた。 うしろには、まっ赤な巨大な太陽があった。あたりは見る見る夕暮の色を帯びて行った。ウイーク・デイのせいか、ときたま若い二人づれが通りかかるほかには、まったく人影がなかっ
岡田武松
岩波文庫に収めた北越雪譜は不図も読書子の称賛を得て、昨年三月には第二刷を発行し、茲にまた第三刷を発行するに至つたのは校訂子の欣喜に堪へないところである。第二刷のときも、註解に若干の増補を為したが、今回は本書の完璧を期する為めに、書中の挿画全部を天保の初版によつてやり直した、雪譜初版刊行の年月に就ては、判然としない点がある、岩波文庫版の解説には、初篇の一を天保
トルストイレオ
『されど我なんじらに告げむ、およそ婦を見て色情を起す者は、心の中すでに姦淫したるなり。』 (マタイ伝第五章二十八節) 『弟子イエスにいいけるは、もし人妻においてかくの如くば娶らざるにしかず。イエス彼等にいいけるは、この言は人みな受納るること能わず。ただ賦けられたる者のみこれをなし得べし。』 (マタイ伝第十九章十、十一節)