あめんちあ
富ノ沢麟太郎
あめんちあ 富ノ沢麟太郎 彼はどっしり掩いかぶっている雨催いの空を気に病みながらもゆっくりと路を歩いていた。そうして水溜のように淡く耀いている街燈の下に立止るたびに、靴の上へ積った砂埃を気にするのであったが、彼自身の影さえ映らない真暗な路へさしかかると、またしても妙に落着きを装うて歩きつづけるのであった。 彼がようやく辿り着いたこの路は、常に歩きつけているな
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富ノ沢麟太郎
あめんちあ 富ノ沢麟太郎 彼はどっしり掩いかぶっている雨催いの空を気に病みながらもゆっくりと路を歩いていた。そうして水溜のように淡く耀いている街燈の下に立止るたびに、靴の上へ積った砂埃を気にするのであったが、彼自身の影さえ映らない真暗な路へさしかかると、またしても妙に落着きを装うて歩きつづけるのであった。 彼がようやく辿り着いたこの路は、常に歩きつけているな
宮沢賢治
うずのしゅげを知っていますか。 うずのしゅげは、植物学ではおきなぐさと呼ばれますが、おきなぐさという名はなんだかあのやさしい若い花をあらわさないようにおもいます。 そんならうずのしゅげとはなんのことかと言われても私にはわかったようなまたわからないような気がします。 それはたとえば私どもの方で、ねこやなぎの花芽をべんべろと言いますが、そのべんべろがなんのことか
槙村浩
おさんどんが舟こいだ 真黒どんが舟こいだ そんなに舟こいでどこへ行く 夢のお国へよめ入に 誰がなかうどしましたか なかうどはきつねでございます 「それ見ろ、きつねにだまされた 大方よめ入りするなんて お釜の所へ行くのだろ」 (大正十一・七・一一) ●図書カード
ささきふさ
おばあさん ささきふさ 一 「おばあさんがいよいよ來るんですとさ。」 私はひとごとのやうに云つて、彼の顏色をチラと窺つた。 「來られるのかね。」 「來るときめてゐるらしいわ。」 私達夫婦は何事につけてもあまり多くを語らない。大きな卓の向うで、彼は僅かな言葉を洩らす間も、たいてい何かを讀んでゐる。私は傳へなければならない僅かをやうやうの思ひで云つてしまふと、い
槙本楠郎
おふくろよおれは おまえまでそう かわっていようとは おもわなかったまえば が 一ぽんしか のこっていなかったというのではないあたま が まっしろになっていたからというのでもないまた こし が ひんまがっていたからというのでも むろん ないおふくろよおれは あのばんおまえが もりあげて だしてくれる むぎめしのしみて ざくろのみのように ポツポツするやつをや
小川未明
ぽっちりと した 目のように、あかるく ひかる ものが、おかあさんぼし。きらきらと ひかりの つよいのが、おとうさんぼし。そして、森の 上で ひかる、うす赤いのが、おじいさんぼし。その そばで、ときどき みえたり、きえたり するようなのが、おばあさんぼしですよと、おねえさんが いいました。 「おかあさんぼしは、なに して いらっしゃるの?」 と、たけちゃんが
壺井栄
生まれた時から和子はおじいさん子でした。そんな小さい時のことなど、知ろうはずはないのですが、おじいさんの話を聞いていると、まるでおじいさんに育てられたような気がするほど、おじいさんは、和子の小さい時のことを知っていました。和子のことをカ子と呼び、 「カ子が小さい時にのう。」 と語りだすと、きょうだいのない和子は、ひとりっ子のさびしさを忘れて、おじいさんの語る
斎藤緑雨
かくれんぼ 斎藤緑雨 秀吉金冠を戴きたりといえども五右衛門四天を着けたりといえども猿か友市生れた時は同じ乳呑児なり太閤たると大盗たると聾が聞かば音は異るまじきも変るは塵の世の虫けらどもが栄枯窮達一度が末代とは阿房陀羅経もまたこれを説けりお噺は山村俊雄と申すふところ育ち団十菊五を島原に見た帰り途飯だけの突合いととある二階へ連れ込まれたがそもそもの端緒一向だね一
小川未明
駅前の広場で、二人の女はとなりあって、その日の新聞を、ゆき来の人に売っていました。一人は、もう年をとった母親であったが、一人は、まだ若い、赤ん坊をおぶった女でありました。 朝のうちは、電車のつくたび、乗り降りするものがはげしいので、新聞もよく売れたが、正午近くなると、買うものが、あまりなかったのです。 冬の日は、広場の土を白々とてらしていました。ただ、紙くず
鈴木三重吉
かたつむり 鈴木三重吉 一 トゥロットのお母ちやまは、朝、いろんな人たちと一しよに、馬車でそとへお出かけになりました。ド・ヴレーさんといふよそのをぢさまが、馬のたづなをとり、もう一人のをぢさまがラッパをならして、みんなでたのしさうに出ていきました。トゥロットは、ちひさくて、足手まとひになるので別荘にのこされました。 トゥロットは、女中のジャンヌと二人であそぶ
中谷宇吉郎
金沢の郷土の漬け物に、かぶらずしというものがある。大きいかぶらを、厚さ一センチくらいに切り、中に切れ目を入れて、その中に塩ブリをはさむ。それを重石を強くしてこうじでつけたもので、非常にうまい漬け物である。 北陸地方では、すしといえば、たいてい押しずしであって、江戸風の握りずしは、近年になって、はいってきたものである。普通は米の上にマスやサバあるいはイワシを乗
太宰治
きりぎりす 太宰治 おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました。私にも、いけない所が、あるのかも知れません。けれども、私は、私のどこが、いけないのか、わからないの。私も、もう二十四です。このとしになっては、どこがいけないと言われても、私には、もう直す事が出来ません。いちど死んで、キリスト様のように復活でもしない事には、なおりません。自分から死ぬという
槙本楠郎
つばめは、まいあさ早く、すずしいたんぼの上へ、ツーイ/\ととんで来ました。そして身がるさうに、ななめにとんだり、クルリとひつくりかへつたり、作物の頭とすれすれにとんだりして、目をさましたばかりの作物に、かう挨拶していきました。 「みんな、おはやう。かはつたことはありませんか?」 すると、朝露にぬれた作物たちは、みんな顔をあげて、つばめに挨拶しました。 「つば
新美南吉
かりうどが、ゆきの つもった やまへ、りょうに いきました。うさぎを 一ぴき みつけたので、きの あいだや こみちの うえを、おっかけまわって、やっとの ことで うちとめました。うさぎを ふくろに いれて、そこの きの したで ひとやすみ してから、うちの ほうへ かえりかけました。たにを ひとつ こして、こちらの やまへ きた とき、ぼうしが なくなって
上田敏
阿古屋の珠を 溶きたる酒は のこさで酌まむ。 ほせよさかづき ほせよ、ほせよ、觴。 のめや、うたへや、 うたへや、のめや。 あゝ、おもしろ あゝ、おもしろの さかほがひ。
土田耕平
文吉は、ある夏休の末のこと、親不知子不知の海岸に近い、従兄の家へあそびに行きました。 そして、毎日従兄と一緒に、浜へつれて行つてもらつて、漁夫たちの網をひくのを見たり、沖の方に、一ぱいにうかぶ帆舟を眺めたりしました。磯にうちよせてくる小波に、さぶ/\足を洗はせながら、素足で砂の上を歩くのは、わけてたのしいことでした。 二三日するうちに、文吉は、すつかり、海に
田中英光
「グッドバイ」「オォルボァル」「アヂュウ」「アウフビタゼエヘン」「ツァイチェン」「アロハ」等々――。 右はすべて外国語の「さようなら」だが、その何れにも(また逢う日まで)とか(神が汝の為にあれ)との祈りや願いを同時に意味し、日本の「さようなら」のもつ諦観的な語感とは比較にならぬほど人間臭いし明るくもある。「さようなら」とは、さようならなくてはならぬ故、お別れ
竹内浩三
しかられて 外へは出たが 我家から 夕餉の烟と 灯火の 黄色い光に 混ぜられた たのしい飯の音がする 強情はってわるかった おなかがすいた 風も吹く 三日月さんも 出て来たよ あやまりに 行くのも はずかしい さらさら木の葉の 音がした ●図書カード
樋口一葉
すゞろごと 樋口一葉 ほとゝぎす ほとゝぎすの声まだしらねば、いかにしてか聞かばやと恋しがるに、人の訪ひ来て、「何かは聞えぬ事のあるべき。我が宿の大樹にはとまりてさへ鳴くものを、夜ふけ枕にこゝろし給へ。近く聞く時は唯一こゑあやしき音に聞きなさるれど、遠くなりゆく声のいと哀れなるぞ」と教へられき。 時は旧き暦の五月にさへあれば、おのが時たゞ今と心いさみて、それ
樋口一葉
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形に紙を切りなし
樋口一葉
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三島神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長屋、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形に紙を切りなし
樋口一葉
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行来にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の申き、三嶋神社の角をまがりてよりこれぞと見ゆる大厦もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ処とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形に紙を切りなし
太宰治
たずねびと 太宰治 この「東北文学」という雑誌の貴重な紙面の端をわずか拝借して申し上げます。どうして特にこの「東北文学」という雑誌の紙面をお借りするかというと、それには次のような理由があるのです。 この「東北文学」という雑誌は、ご承知の如く、仙台の河北新報社から発行せられて、それは勿論、関東関西四国九州の店頭にも姿をあらわしているに違いありませぬが、しかし、
小川未明
お祖母さんは、あかりの下に針箱をおき、お仕事をなさっていました。そのうち、押し入れから行李を出し、なにか、おさがしになりました。 「おばあさん、なにをなさるの?」と、武ちゃんはいいました。 「つづれさせが鳴くから、うかうかしていられません。」と、おっしゃいました。 「つづれさせって?」 「ほら、リーリーと、鳴くでしょう。」 「こおろぎのこと、どうして、つづれ