人生は擬似体験ゲーム
太田健一
ゲームを始める前に次の説明書をよくお読み下さい。 説明書 ◎この度は弊社の擬似体験ゲーム用ND『スーパーテセウスの冒険』をお買い上げ頂き、まことにありがとうございました。 ◎さあ、あなたはアテネの王子スーパーテセウスです。恐竜をやっつけて絶世の美女アリアドネ姫を三人の魔女から救い出し、宇宙制覇に乗り出しましょう。宇宙は大魔王ミノスの毒牙によって危機に瀕してい
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太田健一
ゲームを始める前に次の説明書をよくお読み下さい。 説明書 ◎この度は弊社の擬似体験ゲーム用ND『スーパーテセウスの冒険』をお買い上げ頂き、まことにありがとうございました。 ◎さあ、あなたはアテネの王子スーパーテセウスです。恐竜をやっつけて絶世の美女アリアドネ姫を三人の魔女から救い出し、宇宙制覇に乗り出しましょう。宇宙は大魔王ミノスの毒牙によって危機に瀕してい
太田健一
一番ヶ瀬隼人が日記をつけ始めたのは半年前、大学の図書館で何気なく立ち読みしていた古い医学書の中に、二十歳を過ぎると人間の脳細胞は一日十万個ずつ死んでいき、一度死んだ脳細胞は決して再生することがないという恐るべき記述を見出した日からだった。彼はその日アパートに戻って電卓で計算した。自分は今二十一歳と二ヶ月だ。自分の脳細胞が二十歳の誕生日までは百五十億個あったと
中村清太郎
これは私の前著「山岳渇仰」――戦時最悪の条件下で生れた――に次ぐ第二集で、あれに洩れたものと、その後の文章から選んで、ささやかな一本に纒めたものである。書名はその中の一篇から採った。 山は私にとって全くありがたい存在なのである。いつからか私は山に向えば、思わずぬかずき、拝む癖がついている。いわば山は、わたくし流の自然教の偶像といってもいい。 思えば明治の探検
飯田平作
我日本の政治に關して至大至重のものは帝室の外にある可らずと雖ども、世の政談家にして之を論ずる者甚だ稀なり。蓋し帝室の性質を知らざるが故ならん。過般諸新聞紙に主權論なるものあり。稍や帝室に關するが如しと雖ども、其論者の一方は百千年來陳腐なる儒流皇學流の筆法を反覆開陳するのみにして、恰も一宗旨の私論に似たり。固より開明の耳に徹するに足らず。又一方は直に之を攻撃せ
鮎川義介
私が井上侯の所へいつたのは學生時代のことであつたから、二十歳くらいであつたろう。それから五、六年いたように思う。 明治初期の頃の書生は、青雲の志に燃えた者が多かつた。その頃は教育機關がまだ整備されておらなかつたので、そのような若者は偉い人の所へ書生に入つて、そこで勉強するというのが、出世をする一つの道程であつた。今のように大學が各所にあつて、學資さえあればど
円城塔
伊賀に生まれた。 ついては、三重県産ということになるかもしれない。もっとも、生まれたときにはまだ県というものはなかった。 その頃、人類はまだ遠くアフリカ大陸にあった。人類とはいえ「ようやく樹から降りてきた」というくらいのところであって、また樹上に戻ったりした。いわゆるホモ・サピエンスまでは遠く、極東よりもはるかである。 恐竜はさすがに絶滅している。数千万年前
円城塔
鴨川の石をすべてひっくり返してやろうという願をかけたのは、その誕生日のことであったという。 七本の蝋燭の立つ牡丹餅を前に宣言した。 親は止めた。 兄も止めた。 まだこの世に気配さえない弟だけが、その願掛けを喜んだ。その願いとは、弟が欲しいというものであったからである。いまだ道理をわきまえぬ未存在のものであるから、ただただ無邪気に自らが兄に望まれたことを祝った
円城塔
彼の趣味は箱庭であり、鉄道の方はあとからついてきた。だから最初は、小さな庭でも家のミニチュアでも構わなかった。かといって、押絵を風呂敷に包んで旅するような趣味があるわけでなし、縮小するのは持ち運びのためではなかった。旅をするのが面倒なので、宇宙の方をとじこめてしまう。そういう気風が彼にはあった。すなわち、旅をするなら箱庭の中を旅したいのであって、箱庭を持って
円城塔
カーテンの向こうには窓があったが、夜一色に塗りつぶされて、なにも見えはしないのである。折角奮発してみた窓つき個室も、こうしてみると意味がなかった。硝子一枚隔ててしまうと、闇は鏡と変わらなくなる。鏡は闇より厄介だから、結局カーテンで隠してしまった。 出航がおおよそ19時、観光港着がだいたい7時ということだから、あらかじめわかっていたのである。そもそもが寝ている
安倍能成
ここに初旅といふのは新春の旅といふ意味ではなく、生れて初めての旅といふことであり、それを更に説明すれば、生れて初めて宿屋に泊つた経験といふことである。この間寺田さんの「初旅」といふ文章を読んで居たら、ふと私自身の初旅を想ひ出し、それを書いて見る気になつたのである。 私の初旅は中学一年の頃だから、私の十四の夏のことであつた。明治二十九年、ちやうど日清戦争の翌年
小穴隆一
四十年も前の事である。母に死なれた子供達はその父に連れられて凾館から祖父が住む信州に、倅に後添が出来た、孫共は祖父に連れられて再び凾館の倅へといつた次第で、そのをりの私の祖父の手帖に綴ぢた道中記には、確松島見物の歌などもあつた筈ではあるが、東北の人に東北は始めてですかと聞かれれば、始めてですと答へるよりほかにないその東北に、其の一つ一つが珍しい旅をすることが
小穴隆一
花巻・盛岡を巡つて帰つて、私は一顆の栗一顆の小なしを茶の間の卓上に置いてをいた。 一顆の栗と一顆の小なしはそのまゝに、幾日かそのまゝに置かれてあつた。さうした幾日かの後、それら一顆の物は二つとも箪笥の上にあつた。また幾日かして、小なしのはうは黍団子のやうに大事に、隆チヤンとタカチヤンに半分づゝやつてしまつた。 (クラムポンはわらつたよ。) 私は斯う言ふのであ
小穴隆一
龍之介先生の顏――岡本一平が畫いた似顏は、首相加藤友三郎とちやんぽんだ。 小説の事はいはずもがな、支那で六圓に買つてきた古着を、坪何兩といふ品と泉鏡花に思込ませた人だ。(坪トハ錦繍、古渡リ更紗ナドニ、一尺四方、又ハ一寸四方ナルヲイフ) 不思議によく猿股を裏がへしに着けてゐる。 顏を寫す時、西洋の文人、自分の一家一族の人の寫眞に至るまでどつさりみせて、やつぱり
上田広
鉄道聯隊の兵隊さんを指導することになった。私には本当に久し振りであった。なんでも運転係の助役さんの話では、今度は特別よい機関士ばかりを指導者に選んだと云うことだが、私にしても大変嬉しいわけである。私もこれで三十年近くも機関士をやっているのだから、例えばその兵隊さんがずぶの素人でも、大した頭の持ち主でなくとも、立派に一人前にしてやらなければならない。僅か三ヶ月
新井紀一
消燈喇叭が鳴つて、電燈が消へて了つてからも暫くは、高村軍曹は眼先きをチラ/\する新入兵たちの顔や姿に悩まされてゐた。悩まされてゐた――と云ふのは、この場合適当でないかもしれない。いざ、と云ふ時には自分の身代りにもなつて呉れる者、骨を拾つても呉れる者、その愛すべきものを自分は今、これから二ヶ年と云ふもの手塩にかけて教育しようとするのであるから。 一個の軍人とし
大隈重信
歸郷毎に櫛田神社參拜――平ヶ里は私の領地――仁比山山王社――九州の古社寺――私も諸君と兄弟格――神埼商工業の發展――名物の素麺饂飩――副産物としての藁製品――産業發達と學問の應用――諸君の多幸多福 本日は斯く盛大に私の爲めに歡迎せらるゝは實に忘るゝ能はざる所である。私は郷里に歸る毎に必ず櫛田神社に參拜するのを例としてゐる。吾輩と神埼とは密接な關係がある。即ち
大隈重信
我輩の東方平和論は、本誌に於ては今度を初めてとするが、前後を通じてこれで三度である。その第一回は今より約二十年前、ちょうど日清戦後列強の間に支那分割の形を現じた時であった。最初列強は支那を目するに眠獅を以てした。それは当時清朝の重臣曾紀沢の巴里に於ける演説に、自国を擬するに眠れる獅子を以てし、一たび覚醒せんか、支那はまた今日の支那に非ず、獅子一吼百獣震駭する
大隈重信
近来夫婦共稼ぎという声を盛んに聞く様になった。これは勿論生活の圧迫から来たのであろう。文明の進歩につれて、生活問題が益々むずかしくなって来て、夫婦共稼ぎということもまた避け難き数とはなったのである。然るに中には妻を働かせるのをなんだか夫自身に意久地がないかに思ったり、思われたりするのを非常に恥辱として反対するものもあり、また実際妻が何処へか勤めつつあるを秘し
大隈重信
支那人は優れた古い文明をもっている。またその国は優大なる天才の生れた国で、彼等は古来優大なる思想を遺したので、支那民国も今日存する訳だから、支那民族も国家的生活を必要としないはずがない。しかし、これが境遇の如何によって、また永い時代の悪政によって如何にも変化する。支那人は何としても国家的に団結して、共同の利益のために、いわゆる政治的に国家的に己を捨て、国に尽
大隈重信
およそ他の物に触れて初めて競争なるものが生ずる。競争なければ進歩はない。即ち人間は安逸にして自己の生存を妨ぐるものに接せざれば、その働き、その活動力歇んで進歩することが出来ない。古代民族の勃興を見るに、一としてこの原理原則に従わざるものはなかった。遊牧の民族は子孫の益々多きを加うるに従って、従来の狭小なる土地に生活し十分に食を充たすことを得ずして、草原に走っ
大隈重信
元来、平和は弱いものであるから、強い者が出てこれを破ろうと思えば容易に破り得らるるものである。故にあくまで平和主義を持して国際競争場裡に立ち、優勝を制せんことは、過去は勿論、現時に於てもほとんど絶対に不可能のことである。如何なる場合にありても戦争をせないということは、即ち敵手国に屈従をあえてするという意味である。かの宋朝が絶対平和主義を持して北方の強たる金及
大隈重信
人生百般の事の中、およそ政治ほど面倒なものはない。恐らく人間の仕事のあらゆる仕事の中にて、政治は最も困難なる事業の一つであろうと思う。全体、政治の術……予は学問とは言わぬ、術というが、政治の術はすべて国民の政治的心理の上に、人の心の上に働く術である。術にはいろいろあるが、この術の中で最も困難なる術の一つであると思う。これを平易に説明すると、たまたま何か功を為
大隈重信
日本は亜細亜諸国中婦人の地位が一番進んでおる。総じて亜細亜諸国では婦人が全く一家の内に閉塞せられて、憫むべき境遇に陥っておるにも拘わらず、日本だけは常に婦人が相当の地位をもっておるのである。ところが亜細亜の他の国に於ては、宗教の上、あるいは儒教の主意の上から、婦人が相当の地位をもっておらぬ。ことに儒教の上からは女子と小人とは養い難しという如き教義が社会の上に
大隈重信
漸次増加する所の早稲田学園の学生諸君、もはやかくの如く群衆する所の多数の学生を容るる家のないということは諸君に対して甚だ申訳のないことである。しかしながら物は必要から生ずるのである。学生の数が増すと、余儀なくされて家が出来て来るのである。私は実際学校の事務には与っていない。そこで能くは存ぜぬが、今や学長が述べられた種々な事柄の中に一つ大切なるものが落ちておっ