Vol. 2May 2026

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14,981종 중 11,808종 표시

絵だけ

上村松園

絵だけ 上村松園 ほかのことはテンとあきまへん。家のことも何もほったらかしで、どもならんのどす。絵だけです。絵のことを考えるだけです。 熱心なことは誰方にも負けんつもりでおりますが、写生は若い時分からようしました。今のように乗物の便利な時代と違いますから、二里でも三里でも歩いて行くのです。ガタ馬車に乗るというても何処にもあるというわけでありませんさかえな。足

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絵はがき

堀辰雄

一九三〇年八月十七日、K村にて 僕がホテルのベッドに横になつて、讀書をしてゐたら、窓から、向日葵の奴がしきりにそれをのぞきこむのだ。 どうもうるさくつてしかたがない。 そこで僕は立ち上つていつて、窓をしめてきてやつた。 うすぐらくなる。本なんか讀んでゐるよりは晝寢にもつてこいだなと思つてゐると、……いつのまにか僕はすこし眠つてしまふ。 やがて僕は目をさます。

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絵にそへて

原民喜

絵にそへて 原民喜 この絵は何処だとはっきり云はないがいいかも知れません。題は子供心のあこがれとでも云ふのでせうか。そこの島の八月、今から凡そ二十年も前のことですが、公園に始めてホテルが出来たのです。杉に囲まれた瀟洒な石の建築の脇には山から湧いて流れる溪流があって家鴨が白い影を浮かべてゐました。芝生の綺麗な傾斜に添って、白い砂利道を行くと、噴水のある滝の前に

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絵本

林芙美子

絵本 林芙美子 赤い屋根だつたけれど、小さい家にお婆さんがひとりで住んでゐた。 お婆さんは耳も遠いし、眼もかすんで不自由だつたけれど、何かいつも愉しさうだつた。娘の子のつかふやうな針箱をそばに置いて、涼しい処でゐねむりをするので好きだつた。家ぢゆうあけつぱなしなので白い蝶々がお婆さんの鼻さきにまで飛んで来た。初めは何かい喃と、ぢつと眼をこらしてめやにのたまつ

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ロマンチツクな絵本

三岸好太郎

弱い外光の中、舟底椅子にもたれてウトウトと昼寝をしたのだがさめた。 ぼんやりした日の中に、黄色いアトリエの壁が見える。アカシヤの影像が、ぼんやりとうつる。小さい小さい姫蔦が、あちらこちらのびて、一つの波紋を作つて居る様だ。 チヨロチヨロと赤いトカゲが出て来た。 チヨロチヨロと黒いトカゲが出て来た。 にらみ合つた二匹のトカゲ一緒になつて遊び出した。 黒いトカゲ

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「絵本」

堀辰雄

もう十數年前のことである。小林秀雄と永井龍男とがはじめて出合つた時の話である。 小林が先づ永井に「君は志賀直哉を讀むか?」と聞いた。「うん、好きだ」と永井は即座に答へた。「ぢや、佐藤春夫はどうだ?」と小林が再び聞いた。「ああいふのも好きだ」と永井は答へた。そのとき永井はいくらか微笑を浮かべはしなかつたかと私は想像する。それから二人は大いに意氣相投じたさうであ

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絵画の不安

中井正一

絵画の不安 中井正一 真に在るものは不安の上にある、というハイデッガーの考えかたには何ものか深いものがある。存在して、しかも存在のさながらの姿より隔てられているという嘆き。存在のふるさとに還りたきのぞみ。それがわれわれの「今」であり、「ここ」であり、「自分」の露わな現つである、と彼はいう。 その意味で、真の自分の姿は永遠なる「問い」の上にある。 言葉の上に、

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「絵画の見かた」あとがき

中村研一

矢崎君と私とは同年輩で、約三十年程前に或る所で知り合ったが、そのころ彼は大學の一、二年生であったろうし、私は美術學校の一、二年生の頃であった。青年らしく二人はすぐ大の仲よしになり、約二年位の間兄弟のように親しくしたものである。そのころの彼は專ら哲學とドイツ語の勉強をしていて、後年美術史の大家にならうなどとは、當時私は夢にも考えていなかったのである。其後雙方別

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絵筆に描き残す亡びゆく美しさ

上村松園

絵筆に描き残す亡びゆく美しさ 上村松園 京の舞妓の面影は、他のものの変り方を思えば、さして著しくはありませんが、それでもやはり時代の波は伝統の世界にもひたひたと打ち寄せているようです。髪の結方とか、かんざしとか、服装の模様とかが、以前に比べると大分変って来ています。髪なんか、昔の純京風は後のつとを大きく出して、かたい油つけをつけたものですが、近ごろは、つとも

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『絵はがき』評

折口信夫

『絵はがき』評 折口信夫 堀辰雄氏の創作集が七冊本になつて、叢刊せられる。最初に出たのが、この『絵はがき』である。堀氏は、日本の新旧生活様式に対して、まるで異郷人がする様に、えきぞちつくな目を瞠つてゐる。その綴る文章も、日本の古典の持つ明るさと、西欧の文体にある爽かさとを兼ねてゐる。今度の本には、その一等若い生活の印象せられた懐しい作品が多い。 散文において

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絶句四章

萩原朔太郎

色白の姉に具されて。今日もまた昔談や。 あれいま。逍遙うんじて歸る山路。 遠音に渡るかほととぎすの。 つみとりてそぞろ心や くちづけさはに 願ふは君が髮ぐさ飾るやさし七草。 あかつきや破れし鐘樓に。肩ねびし人と登りぬ 見よ君。指ざす方に日は出らめ。 ああかの野路こそいと戀ひしや。 行きずりの小草の中に。床し小扇 誰がすさみぞや これ優しぐさ『秋の恨み』と。

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絶対矛盾的自己同一

西田幾多郎

現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、物というものがなくなって行くことでなければならない。物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは、逆に物が一つの世界の部分と考えられ

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絶景万国博覧会

小栗虫太郎

なんにしろ明治四十一年の事とて、その頃は、当今の接庇雑踏とは異なり、入谷田圃にも、何処かもの鄙びた土堤の悌が残っていた。遠見の北廓を書割にして、茅葺屋根の農家がまだ四五軒も残っていて、いずれも同じ枯竹垣を結び繞らし、その間には、用水堀や堰の跡などもあろうと云った情景。わけても、田圃の不動堂が、延宝の昔以来の姿をとどめていた頃の事であるから、数奇を凝らした尾彦

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絶望

徳田秋声

絶望 徳田秋聲 『オイ/\何處へ行くんだよ。』 とお大と云ふ裏町のお師匠さんが、柳町の或寄席の前の汚い床屋から往來へ聲をかける。 聲をかけられたのは、三人連の女である。孰も縞か無地かの吾妻に、紺か澁蛇の目かの傘を翳して、飾し込んでゐるが、聲には氣もつかず、何やら笑ひさゞめきながら通過ぎやうとする。 『オイ/\、素通は不可いよ。』とお大は一段聲を張あげて憤れつ

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絶望の足

萩原朔太郎

魚のやうに空氣をもとめて、 よつぱらつて町をあるいてゐる私の足です、 東京市中の掘割から浮びあがるところの足です、 さびしき足、 さびしき足、 よろよろと道に倒れる人足の足、 それよりももつと甚だしくよごれた絶望の足、 あらゆるものをうしなひ、 あらゆる幸福のまぼろしをたづねて、 東京市中を徘徊するよひどれの足、 よごれはてたる病氣の足、 さびしい人格の足、

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絶縁体

豊島与志雄

絶縁体 豊島与志雄 一 市木さんといえば、近所の人たちはたいてい知っていた。それも、近所づきあいをするとか、気軽に話しかけるとか、いうのではなかった。また、市木さんが世間的に有名だからでもなかった。往来で出逢って、会釈し合うこともなかった。だが、市木さんという名前がもちだされると、人々の間に、微笑めいた眼色や、好奇らしい眼色が、自然にかもし出された。というの

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続俳諧師 ――文太郎の死――

高浜虚子

豫て手紙で言つて來て居つた春三郎の兄の佐治文太郎の上京が事實となつて現はれて來た。上野の停車場に文太郎を迎へに行つた春三郎は自分の兄が斯く迄に田舍者だとは思はなかつた。古風な綿ネルのシャツを著て大きな鞄を重さうに提げて人込みの中をうろ/\としてゐた。それから漸く春三郎を見つけて、 「おゝ春三郎か」と言つた人の善ささうな顏には嬉しさが包み切れなかつた。 「私持

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続先生を囲る話

中谷宇吉郎

先生は書かれるものには、「とも考えられる」とか、「かも知れない」というような表現を始終用いておられるが、話をされる時には、特に少数の集りの場合には少し熱がはいってくると、随分はっきりと物をいわれたものであった。 僕はこの頃になって、科学者は総ての問題に口を入れて、決して恥しくないという自信を得たよ。この頃ネーチュアに、scientist という言葉がいけない

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続堕落論

坂口安吾

続堕落論 坂口安吾 敗戦後国民の道義頽廃せりというのだが、然らば戦前の「健全」なる道義に復することが望ましきことなりや、賀すべきことなりや、私は最も然らずと思う。 私の生れ育った新潟市は石油の産地であり、したがって石油成金の産地でもあるが、私が小学校のころ、中野貫一という成金の一人が産をなして後も大いに倹約であり、停車場から人力車に乗ると値がなにがしか高いの

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続戦争と一人の女

坂口安吾

続戦争と一人の女 坂口安吾 カマキリ親爺は私のことを奥さんと呼んだり姐さんと呼んだりした。デブ親爺は奥さんと呼んだ。だからデブが好きであつた。カマキリが姐さんと私をよぶとき私は気がつかないふうに平気な顔をしてゐたが、今にひどい目にあはしてやると覚悟をきめてゐたのである。 カマキリもデブも六十ぐらゐであつた。カマキリは町工場の親爺でデブは井戸屋であつた。私達は

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続 手紙 02 坂本乙女、春猪あて(推定、文久三年秋頃)

坂本竜馬

先便御こしの御文御哥など、甚おもしろく拝見仕候。私事ハ急用これあり、今日江戸へ参り申候間、其御被レ知かた/″\先日の御文御哥さしあげ申候。 ○先日大和国ニてすこしゆくさのよふなる事これあり。其中に池蔵太、吉村虎太郎、平井のあいだがらの池田のをとをと、水通のをさとのぼふずなど、先日皆うちまけ候よし。 これらハみな/\しよふがわるいニつき、京よりうつてを諸藩へお

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