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ファラデーの伝 電気学の泰斗
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ファラデーの伝 電気学の泰斗
愛知敬一
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Chapter 5 of 14

研究と講演

三三 研究室で

ファラデーは、まず研究せんとする問題を飽くまで撰んで、それからこれを解決すべき実験の方法を熟考する。新しい道具が入用と思えば、その図を画いて、大工に言いつける。あとから変更するようなことはほとんどない。またもし実験の道具が既にある物で間に合えば、その品物の名前を書いて、遅くとも前日には助手のアンデルソンに渡す。これはアンデルソンが急がなくて済むようにとの親切からである。

王立協会内のファラデーの実験室

実験の道具がすっかり揃ってから、ファラデーは実験室に来る。ちゃんと揃っているか、ちょっと見渡し、引出しから白いエプロンを出して着る。準備したものを見ながら、手をこする。机の上には入用以外の物は一品たりとも在ってはならぬ。

実験をやりはじめると、ファラデーは非常に真面目な顔になる。実験中は、すべてが静粛でなければならぬ。

自分の考えていた通りに実験が進行すると、時々低い声で唄を歌ったり、横に身体を動して、代わるがわる片方の足で釣合をとったりする。予期している結果を助手に話すこともある。

用が済むと、道具は元の所に戻す。少くとも一日の仕事が済めば、必ずもとの所に戻して置く。入用のない物を持ち出して来るようなことはしない。例えば孔のあいたコルクが入用とすると、コルクとコルク錐を入れてある引出しに行って、必要の形に作り、それから錐を引出しにしまって、それをしめる。どの瓶も栓なしには置かないし、開いたガラス瓶には必ず紙の葢をして置く。屑も床の上に散して置かないし、悪い臭いも出来るだけ散らさぬようにする。実験をするのに、結果を出すに必要であるより以上な物を一切用いないように注意した。

実験が済めば、室を出て階上に登って行き、あとは書斎で考える。この順序正しいことと、道具を出来るだけ少ししか使わないこととは、ファラデー自身がしただけでなく、ファラデーの所で実験の指導を受けた者にも、そうさせた。そうさせられた人からグラッドストーンが聞いて、伝に書いた。それをそのまま著者は紹介したのである。

「自然界に適当な質問をしかけることを知っている人は、簡単な器械でその答を得ることをも知っている。この能のない人は、恐らく多くの器械を手にしても、良い結果は得られまい」というのが、ファラデーの意見である。従ってファラデーの実験室は能率が良くは出来ているが、非常に完備しているとはいえなかった。

かようにファラデーは、うまい実験の方法を考えて、ごく簡単な器械で重大な結果を得るということを努めたので、実験家だからというても、毎日朝から夜まで実験室に入り浸りで、手まかせに実験をした人ではない。戦略定って、しかる後始めて戦いに臨むという流儀である。後篇の電磁気感応の発見の所で述べるように、途中に日をおいて実験しているので、この間によく考え、器械の準備をさせて置いたのである。

三四 研究の方針

ファラデーの研究した大方針は天然の種々の力の区別を撤廃して一元に帰させようというのである。

それゆえファラデーが喜んだのは、永久ガスが普通の蒸気と同様に、圧力と寒冷とで液化した時である。感応電流が電池から来る電流と同じく火花を出した時である。摩擦電気や電気鰻の発する電気が、電池から来る電気と同様な働きをした時である。電池の作用はその化学作用と比例するのを見た時である。偏光を重ガラスに送ったのが磁気の作用で偏光面が廻転した時である。酸素やビスマスも磁性のあることを知った時である。

ファラデーは研究している間、大きな紙に覚え書きを取って行き、実験が終るとそれを少し書きなおし、一部の順序を換えたり、不要の箇所を削ったりし、番号のついた節を切る。これで論文が出来あがる。かかる疑問を起して、かくかくの実験を行い、これは結果が出なかったということまで書きつづり、最後に良い結果の出た実験を書く。

三五 学者の評

デ・ラ・リーブは「ファラデーは予め一定の考案を持つことなしに、器械の前に立って研究を始めたことはない。また他の学者がやる様に、既知の事実をただ細かく実験して見て、定数を測定するというような事もしないし、既知の現象を支配する法則を精しく定めようとした事もない。ファラデーのは、これらとは非常に異なる方法で、神来によるかのごとくに既に研究された方面とは飛び離れ、全く新生面を開く大発見にと志した。しかしこの方法で成功しようというには一つの条件が必要で、それは即ち稀世の天才たるを要するということである。ファラデーにはこの条件が満足されたのだ。ファラデーは自分でも認めておったように、想像力の非常に豊富な人で、他の人が気もつかない様な所までも、平気で想像を逞しくして実験にかかったのである。」というた。

またケルヴィン男の言葉にも、「ファラデーは数学を知らなかった。しかし数学で研究される結果を忖度し得た。また数学として価値のあるような結果を清楚な言葉で表わした。実に指力線とか磁場とかいうのは、ファラデー専売の言葉であって、数学者も段々とこれを用いて有用なものにした。」

三六 実験して見る

ファラデーはいかによく書いたものでも、読んだだけでは、しっかりと、のみ込めない人であった。友人が新発見の話をして、その価値や、これの影響いかんというようなことを聞かされても、ファラデーは自分で実験して見たものでなければ、何とも返事が出来なかった。

多くの学者は学生や門弟を使うて研究を手伝わせるが、ファラデーにはこれも出来ない。「すべての研究は自分自身でなすべきものだ」というておった。

ロバート・マレットが話したのに、十八年前にムンツの金属という撓み易いが、ごく強い金属を硝酸第二水銀の液に漬けると、すぐ脆い硬い物になることをファラデーに見せようと思って持って行った。ファラデーが早速この液を作ってくれたので、自分がやって見せた。ファラデーの眼前で、しかもすぐ側で、やって見せたのだから、まさか疑ったわけではあるまい。しかしファラデーは見ただけでは承知できないと見えて、自分でまたやり出した。まずその金属の一片をとって、前後に曲げて見、それから液に漬け、指の間に入れて破って見た。この間ファラデーは黙ってやっておったが、漸う口を開いて、「そうだ、軟いが、なるほどすぐに脆くなる。」しばらくしてこれに附け加えて、「そう、もっと何か、こんな事は無いでしょうか。」「新しい事は、これ以外には別にない」と言うたら、ファラデーは多少失望して見えた。

ファラデーがある事実を知るのには、充分満足するまでやって見ることを必要とした。それですっかり判ると、その次にはこれを他の事実と結んで、一つにして考えようと苦心した。実験室の引出しの内に在った覚書に、こんなのがあった。

四段の学位

ある新事実の発見。

この新事実を既知の原理にて説明すること。

説明出来ないような新事実の発見。

その新事実をも説明し得るような一層一般的なる原理の発見。

M、F、

三七 実験に対する熱心

ファラデーの実験に対する熱心は非常なもので、電磁気廻転を発見したときに、踊って喜んだことは、前にも述べた通りである。光に対する磁気の作用をヂューマに見せたときも、実験がすむと、手をこすって、眼は火のように輝き、これを自分が発見したという喜ばしさが、ありありと見えたという話である。

自分の発見だけではない、人の発見した事でも、新しい実験は非常に喜んだ。ヘンリーがアメリカから来て、キングス・カレッジで他の科学者と一緒になったとき、皆が熱電堆から出る電気で火花を飛ばそうと試みた。ヘンリーがそれをやって成功したとき、ファラデーは小児のように喜んで、「亜米利加人の実験万歳」と怒鳴った。それからプリュッカーがドイツから来て、王立協会で真空管内の放電に磁石を働かせて見せたときも、放電の光が磁石の作用に連れて動くのを見て、ファラデーはそのまわりを踊って喜んだ。

またジェームス・ヘイウードがイーストパンで烈しい雷雨のときに、偶然ファラデーに出逢った。ファラデーは「丁度協会の塔に落雷するのを見た」といって、非常に喜んでおった。

三八 発見の優先権

発見の優先権については、ファラデーは非常に重きを置いた。ファラデーのように、誠心誠意の人でもあり、また感覚の鋭敏な人でもあり、かつ初めに苦しい経験を甞めた人でもあり、また他方で巨万の富をすてて科学の発見を唯一の目的とした人の事であるから、もっともなことである。初めの苦しい経験というのは、デビーの助手をしておった時代に、電磁気廻転につきてウォーラストンとの間に行き違いがあり、その後に塩素の液化の発見についてデビーとの間にごたごたがあった事で、これがため、ローヤル・ソサイテーの会員の当選を危からしめた程である。

この後、ファラデーは研究を発表する時に、月日を明記した。ところが一八三一年に、電磁気感応を発見したときにも、また不思議なことで行き違いが起った。ファラデーの発見は同年の九月から十月の間のことで、これを十一月二十四日にローヤル・ソサイテーで発表した。それより二週間を経て、概要を手紙に書いてパリのハセットの所へ送った。この手紙が行き違いを生ずる源となった。ハセットはこの手紙を十二月二十六日にパリのアカデミーに送ったが、その二十八日の新聞ル・タンに掲げられた。それでローヤル・ソサイテーで発表した元の論文は、この時まだ印刷出来なかった。

このル・タンに載せた手紙をイタリアのノビリとアンチノリとの両人が見て、この先きは自由に研究してよいと思ったから、ファラデーの発見の委細は知らないで、感応の研究をし、その結果をまとめた。一八三二年一月三十一日附であったが、妙なことには雑誌アントロギアの一八三一年の十一月号の遅れたのに出たので、事情をよく知らない大陸の人々の眼には、ファラデーの論文より此方が早く出たように思われた。

ファラデーはノビリ等の論文を英訳して、これに弁明を附し、一八三二年六月のフィロソフィカル・マガジンに出した。またその後に、ゲー・ルーサックの所へも、長い手紙を書いて送り、ノビリ等の論の誤謬をも詳しくいってやった。

科学上の発見の優先権を定める規則として、現今はその発見が学界に通知された日附によることになっているが、これはファラデーの事件から定まったことである。

ファラデーは、実験上の発見は盗まれるものなることを知っておったので、この後は学界で発表するまでは秘密にして、外の人に知らせなかった。反磁性の発見をしたときも、ごく心易いデ・ラ・リーブにだけは手紙で報導したが、それもローヤル・ソサイテーで発表するまでは、他の人に話してくれるなと、特に書き添えて置いた。

ファラデーが後進の人達に話したのには、研究をどんどんとやり、やりてしまったら、まとめてすぐに発表せよというので、すなわち「勉強し、完了し、発表せよ」というのであった。

三九 学界の空気

ファラデーが最初デビーに手紙を送ったときには、商売は利己的のもので嫌だと言った。デビーは、それは世間見ずの若い考で、数年も経つとその非をさとるだろうと言った。

幾年か後に、クロッス夫人がファラデーの実験室に来た時に、学界の空気に感心したと見えて、ファラデーに「俗人の浅墓な生活や日日の事に齷齪するのとは全くの別天地で、こんな所で研究をしておられたら、どんなに幸福でしょう」と言った。ところが、ファラデーは頭を振り顔色を変え、悲しそうな声で「私が商売をすてて学界に入った頃には、これでもう度量の狭い、妬み深い俗の世界は跡にしたと思っておったが、これは誤りで、智識は高くなっても、やはり人間の弱点や利己心は消えぬものだということを悟りました」と答えた。

四〇 実用

科学上の発見の話が出ると、すぐに「それが何の用に立つのか」ときかれる。これの答は、人間には智識慾があって智識を得んとするゆえこれを満たすものはみな有用だといいてもよい。しかし問う者は恐らくかかる答では満足すまい。「実用向きで何の用に立つのか」という所存であろう。それに答えるのも、ファラデーの場合にはむずかしくはない。

電気が医用になるというが、これもファラデーの電気ではないか。いずれの都市でも、縦横に引ける針金の中を一方から他方へと流れるものはファラデーの電流ではないか。家々の灯用として使い、また多くの工場では動力に用い、電車もこれで走っているではないか。大西洋なり太平洋なりを航海する船と通信したり大洋の向うの陸から此方の陸へと通信する無線電信も、ファラデーの電気ではないか。

しかし、ファラデー自身は応用の事には少しも手を出さなかった。せっかく、研究して実用に近い所まで来ると、急に方面を換えてしまった。特許も一つも取らなかった。さればといいて実用を軽んじたのではない。

王立協会の金曜講演には、有用な発見の事をよく話した。ゴムの原料や、これから出来た材料、エリクソンの発明にかかる太陽熱利用の機械、鏡にメッキするペチットジェンの方法、木材の乾燥や、それの腐蝕を防ぐ方法、ボネリーの電気応用絹織機、バァリーの考案にかかる上院の通気法等で、ファラデー一生の最後の講演はジーメンスのガス炉の話であった。

ファラデーが塩素につきて講演したとき、結末の所で言ったのに、

「新しい発見の事を聞くと、それは何の用に立つかと、すぐにきく癖の人がある。フランクリンはかような人には嬰児は何の用に立つのかと反問したそうだが、余はこれを用に立つようにしてくれと答えたい。始めて塩素をシールが発見した時には、実用にならなかったので、いわば嬰児であった。しかしこの嬰児が大きくなって、力づいてからは、今日立派に実用になっているではないか。」

つまり、ファラデーは嬰児を作ることに尽力したので、育てて実用にするのは他人に頼んだ訳である。

四一 講演振り

ファラデーは講演者としても非常に巧妙で、その頃肩をならべる者がなかった。それで、王立協会でやった講演は一八二三年にブランド教授の代理をした時に始って、同一八六二年に至る三十九年の長い間に亘った。かく名高くなったのは天禀にもよるであろうが、また熱心と熟練にもよること少なくない。初めにデビーの講演を聴いたときから、かかる点がうまいというような事まで観察しておった。後に王立協会に入ってから数週を経て、友人アボットに送った手紙に、講堂の事から講師の態度の事まで細かく論じた位で、常に注意を怠らなかった。

それから市科学会で講演するようになってから、スマートの雄弁術の講義を聴きに行き、その後(一八二三年)には一回、半ギニー(十円五十銭)の謝礼を出して単独に稽古をつけてもらった。そればかりでなく、ファラデー自身の講演をスマートにきいてもらって、批評を受けたこともある。但し、ファラデーの講演振りは雄弁術で教えるような人工的の所にはかぶれなくて、活気に満ちていた。

ファラデーの書いた物の中にも、

「決して句を繰り返すな。「決して修整するために跡に戻るな。「ちょっと、ある言葉を忘れても、チェッチェッとか、エーエーとか言わず、しばらく待っておれば、すぐに続きを思い出すものだ。こうすると、悪い習慣がつかないで、すらすらと出るようになる。「決して他人の言うてくれる批評を疑うな。」 姪のライド嬢はしばらくファラデーの所に厄介になっていたが、その話に、「マルガース君はいつも朝の講演を聴きに来る。これはファラデーの話し方のまずい所や、発音の悪い所を見出すためで、ファラデーはその通り全部訂正はしないが、しかし引きつづいて遠慮なく注意してくれというていた。」

ファラデーは前もって「ゆっくり」と書いた紙を作って置いて、講演が少し速くなり過ぎると思うと、助手のアンデルソンが傍から見せる。また「時間」と書いたのを作って置いて、講演の終るべき時間が近づくと、見せて注意するというようにしたこともある。

よく雛形を持ち出して説明をした。雛形は紙や木で作ったこともあるが、馬鈴薯を切って作ったこともある。

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