Chapter 1 of 1

Chapter 1

透明猫

海野十三

崖下の道

いつも通りなれた崖下を歩いていた青二だった。

崖の上にはいい住宅がならんでいた。赤い屋根の洋館もすくなくない。

崖下の道の、崖と反対の方は、雑草のはえしげった低い堤が下の方へおちこんでいて、その向うに、まっ黒にこげた枕木利用の垣がある。その中にはレールがあって、汽車が走っている。

青二は、この道を毎日のように往復する。それは放送局に働いている父親のために、夕食のべんとうをとどけるためだった。したがって、青二の通るのは夕方にかぎっていた。

その日も青二は、べんとうを放送局の裏口の受付にとどけ、守衛の父親から鉛筆を一本おだちんにもらい、それをポケットにいれて、崖下の道を引っかえしていったのである。

あたりはもう、うすぐらくなっていた。

まだ春は浅く、そしてその日は曇っていて、西空に密雲がたれこみ、日が早く暮れかけていた。

青二は、すきな歌を、かたっぱしから口笛で吹いて、いい気持で歩いていった。

そのとき、道ばたで、「にゃーお」と、猫のなき声がした。

青二は猫が大好きだった。この間まで、青二の家にもミイという猫がいたが、それは近所の犬の群れにかこまれて、むざんにもかみ殺されてしまった。青二はそのとき、わあわあと泣いたものだ。ミイが殺されてから、青二の家には猫がいない。

「にゃーお」また猫は、道ばたで鳴いた。崖下の草むらの中だった。

青二は口笛を吹くのをやめて、猫の鳴き声のする方へ近づいた。

が、猫の姿は見えなかった。どこへにげこんだのだろうと思っていると、また「にゃーお」と猫はないた。

青二はぎくりとした。というのは、猫のないたのは彼が草むらの方へ顔をつきだしているそのすぐ鼻の先ともいっていいほどの近くだったからである。

しかも、猫の姿は見えなかった。

青二は、うしろへ身をひいて、顔色をかえた。ふしぎなこともあればあるものだ。たしかに猫のなき声がするのに姿が見えないのである。

「にゃーおん」猫はまたないた。青二は、ぶるっとふるえた。彼は、あることを思いついたのだ。

(これはひょっとすると、死んだミイのたましいがあらわれたのではないだろうか)

死人のたましいが出てくる話は、いくどもきいたことがある。しかし死んだ猫のたましいが出てきた話は、あまりきいたことがなかった。でも、今はそうとしか考えようがないのだった。

「おいミイかい」

青二は、思いきって、ふるえる声で、そういって、声をかけた。

「にゃーお」返事が、同じところからきこえた。

「あっ!」青二は、おどろきの声をあげて、その場にすくんでしまった。というわけは、彼はそのとき、草の上に二つの光るものがういているのを見つけたからである。

それはなんだか、えたいの知れないものだった。ただぴかぴかと光って、行儀よく二つがならんでいた。大きさはラムネのガラス玉を四つ五つあわせたぐらいあって、全体はうす青く、そしてまん中のところが黄色で、そのまた中心のところが黒かった。

(目玉のようだが、いったいなんだろう)

とたんに、また「にゃーおん」とあまえるような声がきこえた。たしかにその二つの玉のすぐそばから声が出たようである。

青二は、こわいはこわいが、その光った二つの正体を見きわめないではいられなかった。そこで、彼は勇気を出して、草むらの中へふみこむと、両手でその玉をぎゅっとつかもうと――。

「うわっ」青二は、いそいで手を引くと、その場にとびあがった。玉をつかむ前に、掌が、ごそごそとする毛のようなものにふれたからであった。

よっぽどそのへんでやめて、逃げだそうと思ったけれどもともと青二は、ものずきなたちだったから、ふみとどまった。そしてもう一度、その二つの玉の方へ両手をもっていった。

「あ、――」ふしぎな手ざわりを、青二は、感じた。毛の密生した動物の頭と思われるものに、ふれたからであった。

ふしぎな発見

「……猫の頭のようだが、しかしそんなものは見えないではないか」なんという気持ちのわるいことだろう、と青二は思った。

しかしこのとき彼は、さっきとはちがって、もうよほど落ちつきをとりもどしていた。もう一度その毛深い動物の頭にさわり、それから、おそるおそる下の方へなでていった。

全くおどろいた。たしかに、猫と思われるからだがあった。しっぽもあって、ぴんぴんうごいていた。足のうらには、たしか猫のものにちがいない土ふまずもあるし、爪もついていた。しかしそれは全く見えないのであった。

青二は、いよいよおどろいたが、もっとしらべをつづけた。

青二の目に見える二つの玉は、どうやらこの猫の目玉であるらしく思われる。

それから新発見があった。見えない猫の二本の前足が、細いゴムのバンドで結んであることだった。そのゴムのバンドは、草むらの中にあって、よくよく見ないと、青二の目には、はいらない場所であった。

こわいよりも、今や青二は、好奇心にわき立った。

青二は、そのあやしい猫のような動物を抱きあげた。たしかに猫ぐらいの重さが感じられた。青二は、それをしっかりと抱いて、道へ出た。そして、自分の家の方へ歩き出した。

その動物は、おとなしかった。もうなきはしなかった。青二のふところへ、もぐりこむようにして、からだをまげた。動物の温か味が青二の方へつたわって来た。

動物はねむり始めたらしい。

「いったいこれはなにかしらん。猫のたましいにしては、すこし変だし……」

青二には、このあやしい動物の正体を、はっきりいいあてることができなかった。

やがて青二は、家にかえりついた。

青二は「ただ今」といって、すぐ二階へあがった。青二は、途中で拾ってきたあやしい猫みたいな動物のことを、母親に話をしようかと思ったが、いやいやそうでない、そんなあやしいものを拾って来たことを、お母さんが知ったら、どんなにおどろくかしれない。そして早くそのようなものは捨てておしまいといわれるだろう。それではせっかくこわい目をして拾ってきたのに、つまらない事になってしまう。そう思って青二は、その怪しい動物を抱いたまますぐ二階の自分の部屋にあがってしまったのである。

二階へあがったものの、青二は、ちょっと困ってしまった。このあやしい動物をどこへおいたらいいかということだ。そのままおいておけば、きっと出ていってしまうだろう。逃げられたんでは、いやだ。

戸棚に入れようか。いや、猫はふすまを破ることなんか平気だから、戸棚では安心ならない。

「青二や。なにをしておいでだい。ご飯ですよ。早くおりていらっしゃい」

はしご段の下から、母親が二階へ声をかけた。

「はーい。今行くよ」

さあ、どうしようかと、青二は困ってしまった。

が、困ったときには、よく名案がうかぶものである。青二は、机のひきだしをひっぱりだして、ひもを探した。赤と青のだんだらの、荷物をくくるひもがあった。それを出すと彼はあやしい動物の後足二本を、そのひもでいっしょにぐるぐるしばってしまった。

こうすれば、このあやしい動物は、前足も後足も二本ずつしばられているんだから、もう歩くことができない。歩くことができなければ、この部屋から、出てゆくこともない。よしよし、これなら大丈夫と、青二はそれがすむと、机の上にそっとおいて、はしご段を下へおりていった。

夕飯のおぜんを、母親とかこんで、いつものように食べた。母親は、放送局にはかわったことがなかったかと聞いた。青二は、なにもかわったことがなく、お父さんは鉛筆を一本くれたと、答えた。

食事がすんだ。

母親が台所の方へいっているひまに、青二は皿の上からたべのこりの魚の骨をそっと掌へうつした。そして急に立って、二階へとんとんとあがっていった。

「青二、お待ちよ、りんごを一つ、あげるから……」

母親が声をかけたが、青二は、

「うん。あとでもらうから、今はいいよ」

と、いいすてて二階へあがった。すぐ机の前へとんでいった。

机の上には、見おぼえのある赤と青とのだんだらのひもと、ゴムのバンドがあった。気味のわるい二つの目玉らしいものも、そこにあった。

「にゃーお。う、う、う」

「これがほしいんだろう。さあ、おたべ」

青二は、魚の骨を、光る目玉の下へおいてやった。すると、かりかりと骨をかむ音がした。骨がくだけて、机の上からすこしもちあがった。そしてそれはやがて線のようにつながって、だんだんと上にあがり、それから横にのびていった。

「き、気持がわるいなあ」

青二は、ぞっとした。魚の骨が、動物の口へはいってくだかれ、それから食道をとおって、胃ぶくろの方へ行くらしい。それが透いてみえるのだった。

「ふーん。たしかにこれは見えない猫だ。透明猫だ。なぜこんなふしぎな動物が生きているんだろうか」

青二は、おそろしくもなったが、またこの見えない猫が貴重なものに思われてきて、膝の上にのせてしきりになでてやった。

そのうちに、二つの目玉が動かなくなった。透明猫は、膝の上でねむりはじめたらしい。しかしそのとき、青二がふしぎに思ったのは、拾ったときはたいへんはっきり見えていた目玉が、今はぼんやりとしか見えないことだった。

おそろしき事件

あくる日、青二はいつものように五時に起きた。

父親は、まだねていた。放送局から夜おそく帰ってくるので、父は朝おそく起きるならわしだった。

だからその朝も、青二は母親といっしょに朝のおぜんについた。茶の間は、台所のとなりで、光線があまりはいらない部屋だった。

「どうしたの、青二。お前の顔は、へんだね。気分でもわるいのかい」

母親が心配そうにきいた。

青二は、べつに気分もわるくなかった。だからそのとおり答えた。

「でもね、青二。どうもへんだよ。なんだかお前の顔は、かげがうすいよ。ぼんやりしているよ」

そういわれても、青二は本気にしなかった。

「お母さんは、あんなことをいっているよ。お母さんの目の方が、今日はどうかしているんでしょう。目がかすんでいるんじゃない」

「あら、そうかしら。もっとも、もう春になりかけているんだから、のぼせるかもしれないからね」

その話は、そのままになった。青二の母親は、朝の用事をまだたくさんもっていたから。青二は二階へあがった。

机の上に、小さい座ぶとんがのせてある。その座ぶとんの上を見るとまん中がひっこんでいた。そして、ゴムのテープと、赤青のまだらの紐が結ばれたままあった。その座ぶとんの上に、例のあやしい動物がねていることはたしかだった。

だが、ふしぎなことに、二つの目玉は、どこにも見えなかった。

「あの目玉はどこへ行ったんだろう」

青二は、そばへいって、手さぐりで動物をなでてみた。猫の頭にちがいないものが、たしかに手にさわった。

しかし目玉は見えなかった。もしや目玉がなくなったのかと思って、青二は片手で動物の頭をおさえ、もう一方の手で目玉をさぐってみた。すると、

「ふうっ」と、動物はあらあらしい声をたてて、座ぶとんからはねあがった。

そうでもあろう。いきなり目玉へ指をつっこまれたのでは、びっくりする。

青二の手がひりひり痛んだ。見ると、血が出ている。今動物のために、ひっかかれたんだ。

が、このとき青二は、おどろきのあまり、心臓がどきんと大きくうってとまった。それは、なんだか自分の手が、はっきり見えないのだった。ぼんやりとしか見えないのだった。

「どうしたんだろう」さっき青二の母親がいったことばが思い出された。「青二、どうしたの。お前の顔は、かげがうすいよ」と、いわれたのを。

青二は柱にかかっている鏡の前へいって顔をうつしてみた。

「おゃっ」

大きなおどろきにぶっつかった。鏡にうつった青二の顔は、うすぼんやりしていた。校服はちゃんとはっきりしているのに、くびから上が、ぼんやりしているのだった。

やっぱり自分も、のぼせ目となったのかと思い、青二は、いくども目をこすって、鏡の中にうつる自分の顔を見なおした。

だが、そのかいは、なかった。いくど見なおしても、彼の顔はぼんやりしていたし、両手をうつしてみても、やはりそれもはっきりうつらなかった。

「えらいことになった」と、青二はその場にうずくまってなげき悲しんだ。

なぜそんなことになったのか、青二には、わからなかった。あの見えない猫と同じようなふしぎな現象が、今自分のからだの上にあらわれて来たのだ。

「これからどうなるだろうか。自分もあの猫のように、からだがすっかり見えなくなってしまうのではあるまいか。ああ、そうなったら、もう生きてはいられない。自分は化け物あつかいされるだろうから……」

青二は、ここで、重大な決心をしなければならなくなった。このままうちにいて、化け物あつかいされるか、それとも誰にも見つからない世界へにげていってしまうか。

いろいろと考えなやんだ末……青二は、そっと家を出てゆくことにした。

青二は、わずかの着がえをバスケットに入れ、また片手には、透明猫を入れたふろしき包みをもち、母親に気づかれないうちに、家を出てしまった。

ただ母親がなげくとかわいそうだと思ったから、

「ぼくは急に旅行をします。心配しないで下さい。そのうちに、かならず帰って来ます。そして、うんとおもしろいおみやげ話をしましょう」

と、いう遺書を、机の上において去った。

妙な福の神

どこというあてもなく、青二は歩きつづけた。

頭には、スキー帽をかぶり、風よけをふかくおろして顔をかくした。それからオートバイに乗る人がよくかけている風よけ眼鏡をかけた。そのガラスは黒かった。

くびのところを、マフラーでぐるぐるまいた。くびのあたりを人に見られないためだった。また両手には、手袋をはめた。

こうして歩いていれば、「あいつは寒がりだな」と思われるぐらいで、とがめられることはなさそうであった。

歩きながら、どうして世の中にこんな奇怪なことがあるのか、またどうしてそれが自分のからだをおそったのであろうかと、いろいろ考えつづけた。

そのうちに、歩きくたびれて、青二は小公園のベンチに腰をおろした。

おなかもすいたので、包をあけて、パンを取出してたべた。びんにつめていた水をのんだ。おなかのすいたのが少しなおり、のどのかわきがとまった。

だが、青二はかなしくなった。

「この次の食事から、自分で買って、たべなくてはならない。お金はすこしあるが、一日二日たてば、それもなくなるだろう。それから先はどうしたらいいのだろう」

青二はうちへもどろうかと考えた。

「いやいや、こんな化け物みたいなからだを持って帰ったら、お母さんがなげきかなしむばかりだ。どんなにうちがこいしくても、自分はうちへかえれないのだ」

ぽたぽたとあつい涙が青二のほおをつたって、膝のうえへ落ちた。

「おい坊や。なにをそんなにふさいでいるんだい」とつぜん声を青二にかけた者がいた。

青二はびっくりして顔をあげた。するとそこには一人の青年が立っていた。ダブルの背広を着、頭髪をながくのばして、きれいに分けた紳士風の青年だった。しかし服装の小ぎれいなわりに、顔はやけトタンのようにでこぼこし、四角な頬には、にきびがたくさんふき出ていた。

が、青年は、にこやかに笑顔をつくって、青二を見下ろしていた。

「泣くなんて、男の子のすることじゃないよ。おれだって引揚げて来たときは泣きたくなったさ。だけど、泣いたってしょうがないと思ってあきらめて、あとはどんな苦しいことがあっても、にこにこして暮らしているさ。楽天主義にかぎるよ。そして困ったら、三日でも四日でもよく考えるんだ。考えて、道がひらけないことってないよ。坊やお前はうちがないんだろう」

いいえ、と答えようとしたが、青二は今はうちを出たんだから自分はうちなしだ。だから青二はうなずいた。

青年は「そうだろうと思った」といって「それから、食うに困っているんだろう」ときいた。

青二は、やっぱりうなずくしかなかった。

「よおし、心配するな。おれについて来い。お前ひとりぐらいは、たらふく食わせてやる。さあ行こう」

どうしてその青年が、青二にそう親切なのか分らなかった。しかし今はその青年に力を借りるよりほか道がないことが、青二に分っていた。そこで青二は、この青年に、重大な秘密をあかすことにした。

ただし青二は、自分のことは、さすがにいいだすことが出来なかった。猫のことだけを話したのである。

すると青年六さんは、目をかがやかして喜んだ。

「え、そいつは、すばらしいじゃないか。たいへんな金もうけがころがりこんだものだ。いや……お前、これは大もうけになるぜ。おれに万事をまかせなよ。そして利益は五分五分に分けよう」

六さんはすっかり乗り気になった。

「ところでちょっと、その本尊さまというのを見せてくれよ」

そこで青二は、猫のはいっているふろしきを、六さんにさわらせた。

「なるほど、たしかにこの中に、猫みたいなものがはいっているぞ」

「そこで、ふろしきの中をのぞいてごらん」

青二は、ふろしきのはしをすこしあけて、六さんに中をのぞかせた。

「おや、いないね。あら、ふろしきの外からさわると、ちゃんとはいってるんだが……」

ふしぎに思った六さんは、こんどは手袋をはめた手を、ふろしきの中にさしいれた。

「ありゃりゃ、おどろいたなあ。ちゃんと猫みたいなもののからだにさわる。ふーん、やっぱり透明猫だ。インチキじゃねえ。へえーっ、お前はまあ、大した金のなる木を持っているじゃねえか。よし、これなら小屋がけをして、一人十円の入場料で、いらっしゃい、さあいらっしゃい、さあいらっしゃいとやれば、一日に二千人ははいる。すると一ン二が二で二万円」

青二はおどろいた。何といい計算の名人だろう。

「二万円はすこし少ないなあ。入場料を二十円にあげる。そのかわりお客をあおってしまう。ええっと『十万円の懸賞』だとゆくんだ。『もしこの透明猫がインチキなることを発見されたるお客さんには、即金で、十万円を贈呈いたします』と書いてはりだすんだ。するてえと、慾の皮のつっぱった連中がわんさわんさとおしかけて、十万円とふしぎな見世物の両方につられてどんどんはいる。二十円の入場料だってやすいくらいだ。まず一日に二万人ははいるね。すると二二ンが四で、四十万円だ。ほう、これはこたえられねえ」

大懸賞の見世物

その小屋がけは、六さんの顔がすこしはきく、ある盛り場にたてられた。

「現代世界のふしぎ、透明猫あらわる」

「これを見ないで、世界のふしぎを語るなかれ」

「シー・エッチ・プルボンドンケン博士曰く、“透明猫は一万年間に一ぴきあらわれるものであるんである”と」

「インチキにあらず。ちゃんと生きています。インチキを発見された方には、即金で金十万円也を贈呈します。透明猫普及研究協会総裁村越六麿敬白」 六さんはえらい名前までこしらえて、でかでかと、とびらにはり出した。

こいつは、はたして大あたりだった。二十円をはらって入場者がはいること、はいること。

「大入満員につきしばらく客どめ。そのあいだ、ここに出してある透明猫いけどりの大冒険の図をごらんなさい。こっちにあるのは、透明猫のいつわりなき写真でござい。今見おとせば、末代までも話ができん。さあ、いらっしゃいいらっしゃい。いや今しばらく大入満員の客どめだ」

六さんは、ものものしいかっこうで、さかんに小屋の前にあつまる群衆をあおりつける。

場内では、青二が、これまた太夫の服を着、顔と手足とのどはかくし、きれいにかざりたてた小宮殿のような透明猫のはいった箱のそばに立って、つめかける客の一人一人に、箱の上の穴から手を入れさせ、透明猫をなでさせるのであった。

猫はねむいところを、たくさんの人々になでられ、毛をひっぱられ、つかまれるので大むくれ。箱の中をあばれまわって、ふーっ、きゃあーっ、と、うなる。

それがまた客の人気にかなった。まだ順番のこない客たちは、箱をのぞきこんで、猫の声はすれど、その姿がさっぱり見えないのに興味をつのらせる。

これは魔術ではないかと、箱の中を隅から隅までさぐるお客も多かった。そういう人は、透明猫のために手をひっかかれたり、ごていねいに指の先をかみつかれたりして、おどろいたり、感心したりで引きさがるのであった。

初日の入場料のあがり高は、四十五万円もあって、六さんの胸算用をはるかにとびこした。

「まあ一万円とっときねえ、おれも一万円とる。これは今夜のうちに小づかいに使っちまっていいんだ。のこりの四十三万は、銀行に積立てておこう。毎日こんなにはいるんじゃあ、さつで持っていては、強盗にしてやられるからねえ。そして貯金が一千万円ぐらいになったら、ここへすごい常設館をたてて、大魔術とサーカスと透明猫と、三つをよびものにして、ここへ遊びに来る人の金をみんなさらってしまうんだ」

六さんは、えらい鼻息であった。そしてその夜、青二をつれて、近所の奥まった家へつれこんで、すごいごちそうを注文し、酒をもってこさせて、大宴会をやった。

六さんの体に酒が入ると、急にことばがからんで来た。

「やいやい、坊や。なんだってお前は、まだ帽子をとらねえんだ。おれを甘くみてやがるとしょうちしねえぞ。こら、帽子をとれ。手前はこの総裁六さん――じゃあねえ、何とか六麿のアソンを何と思ってやがるんだ」

そばにいた女たちが、六さんをとめたけれど、六さんはとうとう青二におどりかかって、その帽子をひったくってしまった。

「ああっ――」「きゃあ――」えらいさわぎが起った。

六さんは一ぺんに酒のよいがさめてしまうし、女たちは悲鳴の声をひきながらその座敷からにげだした。

なぜ。青二の帽子の下には、なんにもなかった。首のない青二が、そこにめいわくそうに動いているだけだった。

六さんは、腰をぬかしてしまって、口をぱくぱく開くがひとこともいえなかった。

さて、その夜のさわぎもどうやら片づいて、六さんと青二は、そこを引きあげた。そのとき六さんは、口どめ料として、そのうちへ五万円を出した。

二人はホテルへとまった。

六さんはベッドの上で、青二に相談をかけた。どうだ青二も透明なものなら、透明猫の見世物よりも「透明人間あらわる」の方が、人がたくさん集まるから、青二が思い切って見世物になるようにすすめた。

「いやです。ぼくはいやです」

「ばかだねえ、お前さんは。こんなすばらしい儲け口は又とないよ。どうやすく見つもっても億円のけたのもうけ仕事だ。それをにがす法はない。さあ、透明人間でやってください」

下からおがまんばかりに、六さんはくどいた。しかし青二は、しょうちしなかった。

その夜はそのままとなり、次の日の朝が来た。青二はベッドから下りて背のびをしたが、ふと、となりのベッドを見ておどろいた。

なんということだろう。たしかに六さんと思われる人物が、そのベッドの上にねむっていたのであるが、顔も手足ももうろうとしていた。そして大きな二つの眼の玉だけが光っていた。六さんも透明人間になりつつあるらしい。

さわぎはその日に全市へひろがった。

それはあっちでもこっちでも、人間がかげがうすくなる事件、だんだんからだが消えて見えなくなってゆく事件が発生して、大さわぎとなった。

そういう人たちは、しらべてみると、みんな前の日に、「透明猫」の見世物を見て、そのあやしい猫にさわった者ばかりであったが、そういうことがはっきりするには、それから五日もかかった。

その間に、全市の透明人間は、ますますかずがふえていった。透明になった者が誰かのからだにさわると、かならずその人のからだがやがてもうろうとなって透明化することが分った。つまり伝染性があるのだ。

大きな恐怖がひろがっていった。だが、このさわぎは、事件発生後七日目に急に解決することとなった。

というのは、はじめの「透明猫」をつくった羽根木博士という学者が、その筋へ名乗り出たからである。

博士の研究は、肉体の透明化にあった。からだを、空気と同じ反射率、屈折率をもたせることにあった。博士は、かびの一種が、そういうことに強い働きのあることを発見し、自分の研究室でそのかびを培養しては、いろいろな虫やモルモットや猫に植えていたのである。

例の猫も、前足と後足とをそれぞれしばり、かびを植えた直後だったが、その後足のひもがとけたので、研究室から外へにげだし、崖の下へおちた。そのとき青二が通りかかって猫を拾ったわけだ。

しかし青二は猫にさわったので、青二もまた透明になった。見世物小屋でこの猫にさわった連中も、みな同じことだった。博士は、そのかびを殺す薬を用意していたので、それを注射することによって、透明人間たちはみんなもとの不透明にもどることが出来た。

青二も今はうれしく自分の家へもどることができた。六さんも心を改め、もうけをほんとうに山わけにした。青二のお母さんも、青二がもどってきたので大よろこびであった。のこる問題は、羽根木博士の研究のことであるが、博士は今まで発見していなかったこの研究の結果を、どういう方面に活かして使おうかと、今、考え中だそうである。

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