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福沢諭吉 ペンは剣よりも強し
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福沢諭吉 ペンは剣よりも強し
高山毅
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Chapter 3 of 21

なんだ、石ころじゃないか

ところが、そのとき、兄さんの三之助が、ほご紙(ものをかきそこなって、不用になった紙)を部屋いっぱいにひろげて、整理をしていました。

いつもなら諭吉は、便所へいくのに、その部屋をとおらないのですが、いまはいそいでいるものですから、近道をして、つい、ほご紙をふんでしまったのです。すると、

「こりゃ、まてっ、諭吉。」

と、兄さんが大きな声でしかりつけました。

「おまえは、目がみえぬのか。これをみなさい。なんとかいてある。奥平大膳大夫と、とのさまのお名まえがかいてあるではないか。」

と、えらいけんまくです。八つ年上の兄さんのいうことですから、しかたがありません。諭吉は、

「ああ、そうでございましたか。でも、わたしは、つい、しらなかったものですから。」

と、いいわけをしました。

「しらなかったで、すむか。目があればみえるはずだ。とのさまのお名まえを足でふむとは、なんたることか。臣子の道(けらいや、子のまもるべきこと)をわきまえない、ふこころえものだぞ、おまえは。」

「わたしは、とのさまを足でふんだわけではありません。たまたま、わたしのふんだほご紙に、とのさまのお名まえがかいてあっただけのことです。」

「だまれっ、とのさまのお名まえのかいてあるものを、足でふみつけたことは、とのさまをふみつけたとおなじことだ。お父上が生きておられたら、これをなんといわれるか、かんがえてみるがよい。」

日ごろは弟思いの兄さんが、ほんとうにかんかんになっておこっているのです。諭吉は便所にはやくいきたいので、いまは、あやまるよりほかに方法がないとおもいました。

「これは、わたしがわるうございました。これからは気をつけますから、かんにんしてください。」

と、おじぎをしてあやまり、いそいで便所にいきました。やっと、ときはなされたような気持ちになりました。

しかし、気がおちついてくると、兄さんのことばには、なっとくのできないものがあります。

(なんだ、とのさまの頭をふんだというのではない。ただ、名をかいてあるほご紙をふんだだけのことだ。紙の上の字など、かまうことはないじゃないか。それを、兄さんはあんなにおこったりして……。)

と、諭吉はふまんにおもい、そして、紙の上の文字を、ただたいせつにするということに、うたがいがわいてきました。

兄さんがいうように、とのさまの名のかいてあるほご紙をふみつけてわるいのなら、神さまの名まえのかいてあるおふだをふんだら、どうなるだろうか。こうかんがえた諭吉は、さっそく、その夜、神だなから、おふだを一まいとって、こっそり足でふんでみました。ところが、べつにかわったことはおこりませんでした。

(うん、なんともない。これはおもしろいぞ。よし、こんどは、便所にもっていって、ためしてみよう。)

おもいきって、便所の中へおとしてみました。なにごとかおこったら、すぐとびだせるように用意して、こわさのために手足のふるえるのをがまんして、じっとようすをみていました。しかし、やはりなにごともおこりません。

(そうれ、みろ。兄さんがよけいなことをいってしかったが、あんなことをいうのはおかしいんだ。)

と、諭吉はあんしんもし、また、かたくしんじることができたので、とくいにもなりました。

しかし、こればかりは、兄さんにはもちろん、お母さんにもねえさんにもはなせません。はなせば、きっとしかられるにちがいありませんから、一人でそっと、自分の心の中にしまっておきました。

諭吉は、兄さんのいうことになっとくがいかず、それをそのままにしておかずに、じっさいにためしてみて、自信をえたわけでした。すると、もっと、いろいろなことをためしてみたくなりました。

諭吉のおじさんの家の庭のかたすみに、おいなりさんをまつった小さなほこらがありました。それを、大人たちは、しんみょうな顔つきでおがんでいますが、いったい、おいなりさんの正体はどんなものか、それをしりたくてたまりません。しかし、大人たちは、神さまの正体をみるなどということは、だいそれたことで、ばちがあたって目がつぶれたり、手や足がまがってしまうぞ、とおどかすばかりで、諭吉によくわかるようなせつめいをしてくれません。そこで、

(よし、ぼくがみてやろう。)

と、ある日、あたりに人のいないのをみすますと、いなりのほこらのとびらを、そっとひらいてみました。おっかなびっくりであけたのですが、そのとたんに、

「なあんだ、石ころじゃないか。」

と、おもわず声をだしたほどでした。ほこらの中には、なんのへんてつもない石ころが、一つはいっているだけではありませんか。

みたところ、道ばたにころがっている石ころと、ちっともかわったところはありません。これに、なにかとくべつに神さまの力がやどっているのでしょうか。もし、そうだとすれば、この石ころをほうりだして、そのへんにころがっているべつの石をほこらにいれたら、どんなことになるでしょうか。大人たちは、にせのおいなりさんをありがたがらなくなるでしょうか。

諭吉は、それをためしてみるために、ほこらの石をとりかえておきました。

べつだん、なんのかわったこともおこりません。それどころか、あくる朝、おいなりさんをみにいくと、近所のおばあさんが、おみきとあぶらあげをそなえて、なにやら口の中でぶつぶつとなえながら、しんみょうにおがんでいるではありませんか。

(あっはっはっ。ばかなおばあさんだな。ぼくの入れた石ころに、おみきとあぶらあげをあげておがむなんて……。)

と、諭吉は、おかしさをこらえて、その場をたちさりました。

けれども諭吉は、このことを、だれにもはなしませんでした。はなせば、しかられるにきまっているし、自分でも、けっしてよいことをしたとはおもっていなかったからです。それでも、このいたずらによって、神さまのばちがあたるなどということは、ありはしないのだということを、諭吉ははっきりとしることができました。

Chapter 3 of 21
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