Chapter 1 of 6

「親分、變なことがありますよ」

八五郎のガラツ八が、長んがい顏を糸瓜棚の下から覗かせた時、錢形の平次は縁側の柱にもたれて、粉煙草をせゝり乍ら、赤蜻蛉の行方を眺めて居りました。この上もなくのんびりした秋のある日の夕刻です。

「びつくりさせるぢやないか、俺は糸瓜が物を言つたのかと思つたよ」

「冗談でせう。糸瓜が髷を結つて、意氣な袷を着るものですか」

ガラツ八はその所謂意氣な袷の衣紋を直して、ちよいと結ひ立ての髷節に觸つて見るのでした。

「だから、變なんだよ。糸瓜が髷を結つたり、意氣な袷を着たり――」

「まぜつ返しちやいけません」

平次とガラツ八は、相變らずこんな調子で話を運ぶのでした。

「ぢや、何が變なんだ、其處で申上げな」

「その前に煙草を一服」

「世話の燒ける野郎だ」

平次は煙草盆を押しやります。

「恐ろしい粉だ。埃だか煙草だか、嗅いで見なきや解らない」

「贅澤を言ふな」

「相變らずですね、親分」

ガラツ八は妙にしんみりしました。江戸開府以來と言はれた名御用聞の錢形平次が、その清廉さの故に、何時まで經つてもこの貧乏から拔け切れないのが、平次信仰で一パイになつて居るガラツ八には、不思議で腹立たしくてたまらなかつたのです。

「大きなお世話だ。粉煙草は俺が物好きで呑むんだよ。――それよりもその變な話といふのは何んだ」

「根岸の御隱殿裏の市太郎殺しの後日物語があるんで――」

「下手人でも判つたのか」

「あればかりは三輪の親分が一と月越し血眼で搜してゐるが判りませんよ」

「ぢや、何が變なんだ」

「親分に言はれて、此間から氣をつけてゐると、あの家の下女――お菊といふ十八九の可愛らしい娘が、毎日淺草の觀音樣へお詣りをするぢやありませんか」

「信心に不思議はあるまい。日參をして岡つ引に睨まれた日にや、江戸に怪しくない人間は幾人もゐないことになるぜ」

「それが變なんで」

「娘が綺麗過ぎるんだらう」

「その綺麗過ぎる娘が、觀音樣にお詣りをするだけなら構はないが、必ず御神籤を引くのはどうしたわけでせう」

「毎日か」

「一日も缺かしません。その上、引いたお神籤を八つに疊んで、仁王門外の粂の平内樣の格子に結はへる」

「毎日同じことをやるのか」

「あつしがつけてから十日の間、一日も缺かしませんよ。降つても照つても」

「時刻は?」

「巳刻(十時)から午刻(十二時)の間で」

「待ちな、元三大師の御籤には忌日があるものだ。日も時も構はず、毎日御神籤を引くのは、いくら小娘でも變ぢやないか、八」

「だからあつしが變だと言つたぢやありませんか――糸瓜に髷を結はせたり、意氣な袷を着せたのは親分の方で――」

「そんなことはどうでも宜い。――その娘は誰かと逢引をする樣子は無いのか」

「根岸から眞つ直ぐに來て、眞つ直ぐに歸りますよ。尤も、時々變な野郎が娘の後をつけて居る樣子ですがね、振り向いても見ませんよ」

「變な野郎?」

「若くて一寸澁皮のむけた娘の後をつけるんだから、どうせまともな人間ぢやありません」

「お前もそのまともでない人間の一人だらう」

「へツ」

「ところでその娘は、引いたお神籤を丁寧に讀むのか」

平次の問ひは妙なところへ立ち入ります。

「丁寧にもぞんざいにも、見ようともしませんよ」

「フーム」

「そのまゝ八つに疊んで帶の間へ挾んで、御神籤所から段々を降りて石疊を踏んで、仁王門を出て、粂の平内樣のお堂の前へ立つて、帶の間から先刻の御神籤を出して格子に結はへるんで」

「その手順に間違ひは無いだらうな」

「毎日同じことをやるんだから間違ひつこはありません。餘程念入りな願をかけるんでせうね」

「面白いな八、明日は俺が行つて、娘の所作を見極めよう。そいつは何んか理由がありさうだ」

「へエー、親分が乘出すんですか。――三輪の親分が氣を揉んで、見境もなく人を縛りますぜ」

「そんなこともあるまい」

平次は相變らず赤蜻蛉の亂れ飛ぶのを眺め乍ら、鐵拐仙人のやうに粉煙草の煙を不精らしく燻すのでした。女房のお靜は、貧しい夕食の仕度に忙しく、乾物を燒く臭ひが軒に籠ります。

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