一
「親分は長い間に隨分多勢の惡者を手掛けたわけですが、その中で何んとしても勘辨ならねエといつた奴があるでせうね」
ガラツ八の八五郎は妙なことを訊ねました。
晩秋のある日、神田の裏長屋の上にも、赤蜻蛉がスイスイと飛んで、凉しい風が、素袷の襟から袖から、何んとも言へない爽快さを吹き入れます。
「それはある」
平次は煙管を指の先で廻し乍ら、あれか、これかと考へて居る樣子でした。
「滅多に人を縛らない親分が、憎くて/\たまらなかつたといふ相手は一體どんな野郎です」
「主殺し、親不孝、――そんなのは惡いに相違ないが、――本當に憎くてたまらないのは子さらひだよ」
「へエ――?」
「梅若丸の昔から、人さらひの種は盡きないが、子供をさらはれた親の歎きを思ふと、俺は斯う息づまるやうな氣がするよ、――世の中にあれほど殺生な惡事はないな」
「そんなものですかねエ」
八五郎は長んがい顎を撫て感心して居りました。
「ところで八」
「へエー」
「近頃俺は、誘拐された子供を搜してくれと頼まれてゐるんだ」
「搜してやりや宜いぢやありませんか」
「相手がよくないよ」
「へエー」
「二千二百石取の御大身、お旗本の歴々だ。町方の者をゴミ見たいに扱ふから、俺は旗本や御家人は大嫌ひなんだが、跡取の男の子がさらはれたとなると、氣の毒でもあるな」
「氣の毒がる位なら、行つて搜し出してやりませう。金にする氣でさらつたのならまだ何うにかなるが、取還す手段がなきや、可哀想ぢやありませんか」
八五郎はやつきとなりました。わがガラツ八は稀に見る女人崇拜者であると共に、かなりセンチメンタルな人道主義者でもあつたのです。
「可哀想には可哀想だが、そのお屋敷には凄いお妾が一人飼つてあるから、御家騷動が絡んでゐさうなんだ。土臺木つ葉旗本などが御大層に――家名を絶やさない爲、――云々と勝手な理由をつけて、碌でもない子を幾腹も産ませるなんざ僭上の沙汰だよ。俺は暇で/\仕樣がないんだが、そんな揉め事には首を突つ込み度くないよ」
「成程ね」
平次の潔癖の前に、八五郎は一應承服しました。が、
「――でも、さらはれた子供と、その母親が可哀想ぢやありませんか。末成り冬瓜見たいな餓鬼でも、生みの母親に取つちや掛け替へはない筈で――、暇で/\仕樣がない身體なら、ちよいと覗いてやるのも功徳ぢやありませんか」
と、ガラツ八らしくこね返します。
「ウーム、その通りかも知れないね。女の考へは女に訊くに越したことはない、何うだお靜行つたものかな」
錢形平次は裏庭で張物をしてゐるらしい、白い姉さん冠りに聲を掛けました。
「八さんの言ふのは尤もですよ。行つて上げたら宜いぢやありませんか」
まだ充分に若くも美しくもある戀女房のお靜は、子供を持つた經驗はありませんが、それでも女らしく、斯う思ひやりのある言葉を傳へるのでした。
「何處です、先は」
八五郎は少し乘出します。
「飯田町――餅の木坂の堀江頼母樣、二千二百石取の旗本だ。此處には奧方のお鈴さんと、お妾のお若といふのがゐる。堀江頼母といふ人は、働き者で良い男だが、中年まで奧方に子供がなかつた。尤も奧方の里方は微祿して、ろくな後ろ楯がなかつた爲に、奧方の押しが利かないせゐもあつたらう。五年前に妾のお若といふのを容れ、間もなく徳松といふ子が生れた、――川柳の『來た月を入れてはつはつ位なり』といふ奴だ」
「へツ」
八五郎は面白さうに額を叩きました。
「ところが、意地の惡いものだ、それから間もなく奧方も懷妊して、翌る年同じく男の子を生んだ。それは秀太郎といつて今年四才になる」
「――」
「跡取は歳は一つ下でも本妻の子の秀太郎と、世間でも親類方でも疑はなかつたが、妾のお若といふのが強かで、殿樣に油をかけて御寵愛を一人占めにした。この女は櫓下で叩込んだ古狸で、お芋の煮えたも御存じないやうな、二千二百石の殿樣を手玉に取るなんざ朝飯前だ」
「へエ――よくある節ですね」
「殿樣は近頃本妻のお鈴の方に疎々しくなつて、家の跡取も、年上といふ理由をつけて、庶腹の徳松にきめるつもりらしい、――が、それでも奧方が丈夫で光つてゐるし、嫡子の秀太郎が四つといふ可愛盛りで、何んにも知らずに慕つて來るのを見ると、妾の愛に溺れた殿樣でも、手つ取早く決めるわけに行かない」
「――」
「煮え切らない心持で日をくつてゐると、丁度三日前だ、門前で遊んでゐた秀太郎が、何時の間にやら見えなくなつた。屋敷の人達は出入りの者を狩り集めて、大騷動で搜したが、三日經つても歸つて來ない。奧方のお鈴さんは半狂亂で、三度の物も食はずに悲歎にくれてゐる、――何んとかして搜し出してくれ、此儘にして置いては、素姓の知れないお妾のお若の子が、由緒正しい堀江家の跡取に直されるかも知れない――と、用人の松山常五郎といふ人がやつて來て、たつての頼みだ」
「そいつは行つてやらなきや男が立ちませんね、親分」
八五郎は、妙に力瘤を入れます。
「俺は十手を預かる町方の御用聞で、男達ややくざぢやないが、兎も角行つて見るとしようか」
「さう來なくちや錢形の親分と言はさねエ」
「何をつまらねエ」
でも、平次は到頭動き出しました。