Chapter 1 of 5

「親分、あツしもいよ/\來年は三十ですね」

錢形平次の子分、愛稱ガラツ八こと八五郎は、つく/″\こんなことを言つて、深刻な顏をするのでした。

「馬鹿だなア、松が取れたばかりぢやないか。そんなのは年の暮に出て來る臺詞だよ」

平次は相變らずの調子で、相手になつてやりながら、この男のトボケた口から、江戸八百八町に起つた――あるひは起りつゝある、もろ/\の事件の匂ひを嗅ぎ出すのです。

「こちとらは、大したお濕りがないから、暮も正月も氣が變りませんよ。これでうんと借金でもあると、暮は暮らしく、正月は正月らしい心持になるんだが――」

「相變らず間拔けな話だなア、どこの世界に八五郎に金などを貸すお茶人があるものか」

「有難い仕合せで。正月らしい心持にもならないかはり、首を縊る心配もないわけで」

「ところで、來年三十になつたら、どんなことになるんだ」

平次は話の捻を戻しました。

「來年は三十、さ來年は三十一でせう」

「不思議なことに人間は一つづつ年を取るよ」

「三十に手が屆かうといふのに、女房になり手のないのは心細いぢやありませんか」

ようやく八五郎は結論に辿りつきました。さう言つてなんがい顎を撫で廻すほど、彼氏は臆面もなく出來上がつてゐるのです。

お勝手の方で、その述懷を漏れ聽いてたまらなさうに笑つてゐる者があります。言ふまでもなく、平次の戀女房のお靜、それはまだ若くも美しもありました。

「呆れた野郎だ、俺のところへ、女房の催促に來たのか」

「そんなわけぢやありませんがね」

「それぢや良い娘でも見付かつて、橋渡しをしてくれといふのか」

「娘なら親分に頼むまでもなく、小當りに當つて見るが、相手が人の女房ぢや手の出しやうがありません。これぞと思ふ女がみんな亭主持ちなんだから、世の中が嫌になるぢやありませんか」

八五郎は飛んでもないことを言ひ出して、大して悲觀する樣子もなく、ニヤリニヤリとするのです。

「馬鹿野郎、人の女房などに眼をつけやがつて、水をブツかけて掴み出すよ」

荒つぽいことを言ひながらも、平次はとぐろをほぐしさうもなく、自棄に煙草盆を引寄せて、馬糞臭いのを二三服立てつゞけに燻らします。

「眼をつけたわけぢやありません。まア聽いて下さいよ。この世の中にあんな良い女房があると思つただけで、あつしは生きてゐる張合ひが付きましたよ」

「この世の中には――大きく出やがつたな」

「鎌倉町の油問屋越前屋治兵衞の内儀でお加奈さんの噂は、親分も聽いたことがあるでせう」

「知らないよ。越前屋治兵衞は大した身上だといふが、その内儀のことまでは詮索が屆かなかつたよ」

平次は突つ放したやうに言ひます。

「大した女房ですよ」

「さうですつてね。綺麗で愛想がよくて、悧巧で、申分のないお内儀さんださうぢやありませんか」

お靜はお勝手から合槌を打ちました。狹いお長屋で、どこからどこまでもお話が屆きます。

「あつしも最初は唯のお内儀だと思ひましたよ。地味で控へ目で、一向目立たない女なんだが、近頃主人の治兵衞と碁を打つやうになつて、ちよい/\出入りしてゐるうちに、廣い江戸中にも、あんな女は二人とはあるまいと思ふやうになりましたよ」

「恐ろしく思ひ込みやがつたな。氣をつけろ、相手は亭主持ちだ」

「その父親ほども年の違ふ亭主に、癪にさはるほどよくしてゐるんで、腹が立つぢやありませんか」

「何んだ、褒めたり腹を立てたり」

「二十七八でせうかね。いゝ年増なんだが、娘のやうな若々しい肌と、柔かい聲をしてゐますよ。ろくに紅白粉もつけず、少しもおしやれなんかしないのに、身だしなみがよくて、何んかかうフンハリと花の匂ひのするやうな女ですよ」

「フム」

「無愛想で素つ氣なくて、滅多なことでは人に笑顏も見せないのに、どうかした彈みで、チラリと、恐ろしく色つぽいところが出るんです。――出たと思ふとたんに消えちまつて、もとの素つ氣ない調子になるんだが、あつしはその稻妻より早く通り過ぎる、内儀の色つぽさを拜みたいばかりに、十日ばかり毎晩々々亭主の治兵衞のところへ碁を打ちに通ひましたよ。負けるのを承知でね」

「いよ/\以つてお前とは附き合ひたくないよ。人の女房に惚れて、下手な碁などを打ちに通ふとは、何といふ間拔な深草の少將だ」

「さうポンポン言つたものぢやありません。お蔭で私は大變なものを手に入れましたよ」

八五郎はそれが報告したかつたのです。

「何んだ、筋のある話を持ち込んで來たのか、早くブチまけてしまへばいゝのに」

平次は話が本題に入ると見ると、ようやくとぐろをほぐして、長火鉢の前にキチンとすわります。

「實は越前屋ではこの間から、變なことが續くんですよ」

「變なことといふと?」

「何んでもないが、妙に不氣味なことがあるんださうで、箪笥の中の脇差がそつと取出してあつたり、朝の味噌汁へ石見銀山がブチ込んであつたり、物置の天井にあげて置いた臼が、主人が戸をあけると、いきなり頭の上へ落ちて來たり」

「まるで猿蟹合戰だ」

「あぶなくて叶はないから、時々來て見てくれといふ主人の頼みで、十日ばかり下手な碁を打ちに行つたやうなわけですよ」

「で、何にか變つたことでも見付けたのか」

「お内儀お加奈さんが、雪で拵へた人形のやうに、ヒヤリとする程素つ氣ない癖に、何んかの彈みで、たまらないほど色つぽいところのあるのを見付けたんで」

「それつきりか」

「へエ、今のところ、それつきりで」

「怒鳴る張合ひもないよ、お前は」

錢形平次も苦笑ひに紛らす外はありません。

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