Chapter 1
ただようてくる温ったかい三平汁の香堪え兼ねて牧草の束に顔を埋めるしのびよる背筋の冷さ浅い眠りの夢は破れるああ! 一杯の飯を食いたい
赤い毛布を巻きつけた むくんだ足寒気は骨の中まで突き通す伸び放題の鼻ひげに呼吸は霜をたくわえ鼻孔はきんきんとひからびる
破目板の隙間から躍り込む風小屋に舞う雪神楽やがて粉雪はうず高く層を重ねる辛うじて乾草の小屋に宿り打ち震え闇の中に聞く猛けるサガレンの夜の吹雪
凍れる大地の呻きを聞き凍傷の指先にガンジキの紐結び北極星の白い光を仰ぎ見た幾夜かたった一尾の干鱈を盗む為に野良犬のように漁場の闇に足音忍んだ沢の百姓のささくれた手から馬鈴薯貰い露命支えた幾日であったか
とど えぞの生え繁る山々深い熊笹の峯々背丈より高い蕗の密生する沢の湿地で****た棒頭の**が嚇し続ける豊真鉄道工事場で精根枯らして働き倒れる章魚人夫
朝霧が山襞に立ちこめる頃露に光る虎杖の群落踏み折り現場へ送られ鶴嘴とスコップと畚と口汚ねえ棒頭の罵声とびんたと棒に追い捲くられ星屑戴いて飯場へ戻る裸体の章魚人夫
片言の日本語 一言云うた――ヤボ! 返事ぬかすか生いうか棒頭の拳が唸りへたへたと草の上にへたばった朝鮮人 金吹きだす二筋の血汐ぶち折られた前歯唯 ぎろりと睨み返す終業が他の現場より遅いと云うただけなのだ流れる鼻血に怯え声挙げて泣きだした少年金の弟
嶽土を掘り崩しトロで運び山のどてっ腹へ風穴開ける雲突く橋脚の足場組立縄を結んで丸太つたう瞬間ぐらつく頂上から芋虫の様に転落した仲間叩きつけられ腹は裂けおんこの幹に肉片が散らばった血は倒れた蕗の葉に生臭い斑点を浴せ水溜りにとけた不様に潰れた肉体が土饅頭と変り果て雑草の根にからまれ白骨となってしまってもあいつの肉親は何も知る事は出来ない
シベリア嵐が丸太小屋を揺がし軒の氷柱が伸びては太り節くれだっては崩れ落ちる章魚部屋で白樺の根っこいぶらし若芽と馬鈴薯、塩鱒の汁も食い倦きて又来る南樺太の四月兎は残雪の谷間に木の芽立ちをさがし野地だもの梢もふくらんだ雨が雪をとかし夜の寒気に又凍れるサガレンの春未だ絞り残した肉体が俺達にはあったのか古い仲間と欺されて来た新しい章魚と砂と岩石と土埃と棒頭の**と
日を追うて枕木の数はふえ鉄路は伸びた隧道は骨をしゃぶって口を開け鉄橋は血をすすって谷を跨いだ章魚は建設車で奥地へ送られ土砂を担い崖土を崩し岩盤砕きトロッコを押し俺達の足が折れ腕が千切れ盲目となり血へどを吐いて棒頭の**を頭で殴った
毛だらけの腕振り廻し喧嘩する俺の相棒鶴嘴の利く事が得意でトロを威張り指で五寸釘曲げて力む――俺の肋骨一枚骨だで弾丸だて通らぬサ夜の飯場で胸板ひろげる奴奴の女房へ着かないだろう手紙書いてやる俺上りを片っ端から焼酎にしぷんぷん臭い顔すりつける奴だがバットの一箱そっとくれむくれた俺の足をさすり小廻りの荷駄手伝ってくれた奴
滝の沢口の隧道で崩土にやられた仲間達の中に地下足袋片っ方引っ懸けて掘り出されて来た奴唇は紫に破れ血はへばり傷だらけの胸にはもう動悸が無い
真夜中の飯場の外で唸き声が聞える樺太犬が鈍く吠えた飛丁だぞ!棒頭達がどたどた崩れ出た暗闇の中に**が峯を揺った逃げ遅れ窓下に這いつくばった仲間きれぎれに悲鳴を挙げたならならと並べられた逆釘の板莚疲れ切った俺達の脳髄へ針を突き通す夜っぴて谷底から聞えてくる呻き明け方の草の上に伸びている水漬けされた仲間の死骸
豊原と真岡の市街地の空に煙火打ち挙げ鉄道事務所は日章旗で飾られる鉄道開通だ 開通祝賀会だ未開の宝庫が開かれた豪商 請負者 利権政治家 庁と庁鉄の高官達が新線の車窓に乾杯する頃土塊のように投り出された章魚人夫歯車一枚二枚で宗谷海峡は渡れないサガレンの慌しい秋が去って季節の風はカムチャッカからシベリヤから雪と氷をともなった
今更がつがつと残飯を貰いぼろマントに逃げ去る体温を止めなければならないのか何故この積雪の上に循環不順の心臓を破裂させ人間の脱穀をぶち捨てて仕舞わないのだ
雪は陸と海を覆い昆布一切れも見えぬ海端ゴメと烏はひらひらと流氷の上を飛び交いぬくもりのない光を反射する太陽赤ただれた雪盲はまぶしく水腫れた足を曳ずる
流氷の張りつめた海原の雪に俺はガンジキの足跡残すはるかな流氷の下をひたひたと洗う潮青空を流れゆく白雲振り返る陸は低く連り点接する白樺の裸木豊真線の雪をけって俺達の俺達の鉄路に汽車はひえびえと警笛をひびかす
氷塊の間隙に水音たてるのだ病み疲れた肉体ゆらゆらと漂流している俺の肉体氷下魚は死屍に群り雪はうず高く覆い潮は打ち寄せては凝結し真白い氷の棺となり潮流に乗せて海峡を北へ葬送するのであろうに
ああだが!荒み果てた俺の心の隅っこにもせめぎ切れぬ人の面影海峡二つの彼方の内地には齢老いたお母あが居るのだ俺を此のどん底へ追いつめた生活のきずながあるのだ今はもう畑一切れもないさびれた故郷の村があるのだ
水平線の果て波浪は輝き赤々と沈む太陽焼ける雪 たぎりたつ波照り返す 波と雲と落陽と氷流ととろける赤と金色生きている!生きている空と海陸も海も 天地いっぱいああ何にも生きている世界だ
ぼろっ切れを投げ捨てろ胸を 胸の皮引き剥がして仕舞えぐっと胸突きあげてくるものそいつが空いっぱい氾濫するのだ今!大陸へ沈む太陽赤い翼馳ってシベリアを越えロシアの空に暁の訪れをするのだ
俺は大口開き頬すじ落ちる涙をなめてせまる思いの胸をはだけ夕焼の光をぐっと呑み込む
明日の為に! 此の傷いた身体を曳ずろう何処までも何時までも曳ずって行こうぶたれけられてもしつこく生き伸びてやろう生きる為に体温をたくわえ大地の氷の解ける春を待とうサガレンの赤い夕焼を死んでいった仲間達に代って生れ変った浮浪者の肉としよう呻いている 生きている 戦っている無数の労働者の為に血に変えよう(『詩人』一九三六年四月号に広海太治名で発表)*〔原注〕ガンジキとはズックの履物の一種氷下魚とは結氷の下にセイソクする小魚
●図書カード