Chapter 1 of 1

田中貢太郎訳

膠州の竇旭は幼な名を暁暉といっていた。ある日昼寝をしていると、一人の褐色の衣を着た男が榻の前に来たが、おずおずしてこっちを見たり後を見たりして、何かいいたいことでもあるようであった。竇は訊いた。

「何か御用ですか。」

褐衣の人はいった。

「殿様から御招待にあがりました。」

竇は訊いた。

「殿様とはどんな方です。」

褐衣の人はいった。

「すぐ近くにおられます。」

竇はそれについていった。褐衣の人はぐるりと路を変えて、牆をめぐらした家の旁を通って案内していった。楼閣の建ち並んでいる処があった。褐衣の人はそこを折れ曲っていった。そこにはたくさんの人家が軒を並べていたが、どうしてもこの世の中のものではなかった。そこにはまた宮廷に事えている官吏や女官などがたくさん往来していたが、皆、褐衣の人に向って訊いた。

「竇さんは見えましたか。」

褐衣の人は一いち頷いた。不意に一人の貴い官にいる人が出て来て、竇を迎えたがひどく恭しかった。そして堂にあがって竇はいった。

「もともとお目みえしたことがないから、拝謁しておりませんのに、どうした間違いかお迎えを受けましたが、私にはその故が解りかねます」

貴い官にいる人はいった。

「王様が先生が清族で、そのうえ代代徳望のあるのをなつかしく思われて、一度お目にかかってお話したいと申しますから、御足労を煩わしたしだいです。」

竇はますます駭いて訊いた。

「王はどうした方です。」

貴い官にいる人はいった。

「暫くすると自然にお解りになります。」

間もなく二人の女官が来て、二つの旌を持って竇を案内していった。立派な門を入っていくと殿上に王がいた。王は竇の入って来るのを見ると階段をおりて出迎えて、賓主の礼を行った。礼がおわると席についた。そこには饗宴の筵が設けてあった。殿上の扁額を見ると桂府としてあった。竇は恐縮してしまって何もいうことができなかった。王はいった。

「お隣になっておるから御縁が深い。どうかゆっくりうちくつろいでくださるように。」

竇は王のいうなりになって酒を飲んだ。酒が三、四まわると笙歌が下から聞えて来たが、鉦や鼓は鳴らさなかった。その笙歌の声も小さくかすかであった。やや暫くして王は左右を顧みて、

「朕が一言いうから、その方達に対句をしてもらおう。」

といって一聯の句を口にした。

「才人桂府に登る、四座方に思う。」

竇がそこでそれに応じていった。

「君子蓮花を愛す。」

すると王がいった。

「蓮花はすなわち公主の幼な名だ。どうしてこんなに適合したであろう。これはどうしても夙縁だ。公主にそう伝えてくれ、どうしても出て来て君子にお目にかからなければならないと。」

暫くたってから珮環の音がちりちりと近くに聞えて、蘭麝の香をむんむんとさしながら公主が出て来た。それは十六、七の美しい女であった。王は公主に命じて竇を展拝さしていった。

「これが蓮花です。」

公主はすぐいってしまった。竇は公主を見て心を動かした。彼は黙りこんでじっと考えていた。王は觴をあげて竇に酒を勧めたが、竇の目はその方にいかなかった。王はかすかに竇の気持ちを察したようであった。そこで王がいった。

「子供はもう婚礼させなくてはならないが、ただ世界が違っているのを慚じるのだ。どう思う。」

竇は癡のように考えこんでいたので、そこでまたその言葉が聞えなかった。竇の近くにいた侍臣の一人が竇の足をそっと踏んでいった。

「王が觴をあげたが君はまだ見ないですか。王がいわれたが君はまだ聞かないですか。」

竇はぼんやりしていて物を忘れたようであった。そこで気がついてひどく慚じた。席を離れていった。

「臣は優渥なお言葉を賜りながら、覚えず酔いすごして、礼儀を失いました。どうかおゆるしくださいますように。」

そして竇が退出しようとすると起っていった。

「君に逢ってから、ひどく好きになった。なぜそんなにあわてて帰られる。君がもういることができないなら、強いはしないが、もし君が心にかけていてくれるなら、更に改めてお迎えをしよう。」

とうとう彼の褐衣の内官に命じて、竇を送って帰らした。その途中で内官は竇にいった。

「さっき王が婚礼をさすといったのは、あなたを馬にして結婚させようとしていたようですよ。なぜ黙っていたのです。」

竇は足ずりして悔んだがおっつかなかった。そこでとうとう家に帰った。帰ったかと思うと忽ち夢が醒めた。簷には夕陽が残っていた。竇は起きて目をつむってじっと考えた。王宮へいったことがありありと目に見えて来た。晩になって竇は、斎の燭を消して、また彼の夢のことを思ったが、夢の国の路は遠くていくことができなかった。竇はただ悔み歎くのみであった。

ある晩、竇は友人と榻を一つにして寝ていた。と、忽ち前の褐衣の内官が来て、王の命を伝えて竇を召した。竇は喜んでついていった。

竇は王の前へいって拝謁した。王は起って竇の手を曳いて殿上にあげ、すこし引きさがって坐っていった。

「君がその後、子供のことを思ってくれたことを知っておる。子供と婚礼してもらいたいが、君は疑わないだろうか。」

竇はそこで礼をいった。王は学士や大臣に命じて宴席に陪侍さした。酒が闌になった時、宮女が進み出ていった。

「公主のお仕度がととのいました。」

供に三、四十人の宮女が公主を奉じて出て来た。公主は紅い錦で顔をくるんでしっとりと歩いて来た。二人は毛氈の上へあがって、たがいに拝しあって結婚の式をあげた。

式がおわると公主は竇を送って館舎に帰った。夫婦のいる室は温かで清らかであった。竇は公主にいった。

「あなたを見ると、ほんとに楽しくって、死ぬることも忘れるが、ただこれが夢でないかと心配するのです。」

公主は口に袖をやっていった。

「私とあなたと確かにこうしているではありませんか。どうしてこれが夢なものですか。」

朝になって起きると、竇はたわむれに公主の顔に白粉をつけてやった。竇はまたその後で帯で公主の腰のまわりをはかり、それから指で足のまわりをはかった。公主は笑って訊いた。

「あなたは気が違ったのではありませんか。」

竇はいった。

「わたしは時どき夢のためにあやまられるから、精しくしらべておくのです。こうしておけば、もし、これが夢であっても、想いだすことができるのですから。」

竇の戯れ笑う声がまだおわらないうちに、一人の宮女があたふたと走って来ていった。

「妖怪が宮門に入りましたから、王は偏殿に避けられました、おそろしい禍がすぐ起ります。」

竇は大いに驚いて王の所へかけつけた。王は竇の手を執って泣いていった。

「どうか棄てないで、国の安泰をはかってくれ。天が、を降して、国祚が覆ろうとしておる。どうしたらいいだろう。」

竇は驚いて訊いた。

「それはどんなことでございます。」

王は案の上の上奏文を取って竇の前に投げた。竇は啓けて読んだ。それは含香殿大学士黒翼の上奏文であった。

含香殿大学士、臣黒翼、非常の妖異を為す、早く郡を遷し、以て国脈を存することを祈る。黄門の報称に拠るに、五月初六日より、一千丈の巨蟒来り、宮外に盤踞し、内外臣民を呑食する一万三千八百余口、過ぐる所の宮殿、尽く邱墟と成りて等し。因て臣勇を奮い前み窺いて、確かに妖蟒を見る。頭、山岳の如く、目、江海に等し。首を昂ぐれば即ち殿閣斉しく呑み、腰を伸ばせば則ち楼垣尽く覆る。真に千古末だ見ざるの凶、万代遭わざるの禍、社稜宗廟、危、旦夕に在り。乞う皇上早く宮眷を率いて、速やかに楽土に遷れよ云云。

竇は読み畢って顔の色が土のようになった。その時宮女が奔って来て奏聞した。

「妖物がまいりました。」

宮殿の中は哀しそうに泣く泣き声で満たされた。それは天日もなくなったような惨澹たるものであった。王はあわてふためいて何をすることもできなかった。ただ泣いて竇の方を向いていった。

「子供はもう先生に願います。」

竇は息をきって帰った。公主は侍女と首を抱きあって哀しそうに泣いていた。竇が入ってゆくのを見ると公主は衿にとりついていった。

「あなたは、なぜ私をすてておくのです。」

竇は公主がいたましくてたまらなかった。そこで腕に手をかけて抱きかかえるようにしていった。

「わたしは貧しいから、立派な邸宅のないのを慚じます。ただ茅廬があります。しばらく一緒に匿れようではありませんか。」

公主は目に涙をためていった。

「こんな場合です。そんなことをいってる時ではありません。どうか早く伴れてってください。」

竇はそこで公主を扶けて宮殿を逃げだしたが、間もなく家へ着いた。公主はいった。

「これなら安心です。私の国に勝っております。私はこうしてあなたについてまいりましたが、お父様とお母様はどこにおりましょう。どうか別にも一つ家をたててください。国の者も皆まいりますから。」

竇は貧しいので急に家を新築することはできなかった。竇は困った。公主は泣き叫んでいった。

「妻の家の急を救ってくだされないで、夫がどこに必要です。」

竇はそれをなぐさめて自分の室へ入った。公主は牀につッぷしたなりに啼き悲しんでよさなかった。竇は心を苦しめたが他に手段がなかった。と、急に目があいた。竇は始めて夢であったということを知った。そして、気がつくと耳もとで物の啼く声が聞えていたが、じっと聞くと人の声ではなかった。それは二、三疋の蜂が枕もとを飛びながら鳴く声であった。竇は叫んだ。

「不思議なことがあるぞ。」

一緒に寝ていた友人がその故を訊いた。竇はそこで夢の話を友人に告げた。友人も不思議がって一緒に起きて蜂を見た。蜂は竇の袂と裳の間にまつわりついて払っても去らなかった。

友人はそこで竇に蜂の巣を造ってやれと勧めた。竇は友人の言葉に従ってそれを造り、両方の堵を堅くした。すると蜂の群が牆の外から来はじめたが、それは絡繹として織るようであった。蜂はまだ巣の頂上ができあがらないのに、一斗ほども集まって来た。竇はその蜂がどこから来たかと思って、来た所をしらべてみるとそれは隣の圃からであった。その隣の圃には蜂の巣が二つあって、三十年あまりも蜂が棲んでいた。竇はそれを隣の老人に話した。老人は圃にいってその巣を覗いた。巣の中はひっそりとして蜂はもう一疋もいなかった。壁をあばいてみるとその中に蛇がいた。蛇の長さは一丈ばかりもあった。老人はそれを殺してしまった。そこで夢の中の蟒は、すなわちその蛇であったということが解った。蜂は竇の家へ移ってますます蕃息した。

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