Vol. 2May 2026

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滝見の旅

伊藤左千夫

七月十五日は根岸庵の会日なり。十七日にいでたたんと長塚に約す。十六日夕より雨ふりいでて廿日に至りて猶やまず。 長雨のふらくやまねば二荒の瀧見の旅を行きがてにすも根岸庵よりされ歌来る。 藁ずきの紙にもあるか君が身は瀧見に行かず雨づゝみするかえし 雨雲のおほひかくさば二荒山行きて見るとも多岐見えめやも此夕長塚来りて、雨ふるとも明日は行かん、という。古袴など取り出

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八幡の森

伊藤左千夫

市川の宿も通り越し、これから八幡という所、天竺木綿の大きな国旗二つを往来の上に交扠して、その中央に祝凱旋と大書した更紗の額が掛っている、それをくぐると右側の屑屋の家では、最早あかりがついて障子がぼんやり赤い、その隣りでは表の障子一枚あけてあるので座敷に釣ってあるランプがキラリと光を放っている、ほのくらい往来には、旅の人でなく、土地のものらしい男や婆さんやがの

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家庭小言

伊藤左千夫

近頃は、家庭問題と云うことが、至る所に盛んなようだ。どういう訳で、かく家庭問題が八釜敷なって来たのであろうか。其の原因に就いて考えて見たらば、又種々な理由があって、随分と面白くない原因などを発見するであろうと思われる。乍併、此の家庭問題を、色々と討究して、八釜しくいうて居る現象は、決して悪い事でない、寧ろ悦ぶべき状態に相違ないのであろう。只其の家庭問題を、彼

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子規と和歌

伊藤左千夫

正岡君については、僕などあまりに親しかッたものですから、かえって簡単にちょっと批評するということ難かしいのです、そりゃ彼の人の偉いところやまた欠点も認めて居ないこともないのですが、どうも第三者の位置にあるよう、冷静な評論は出来ませんよ。 僕も初めから正岡君とは手を握って居た訳ではないのです、むしろ反対の側にあったもので時には歌論などもやったものです、それが漸

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井戸

伊藤左千夫

吾郷里九十九里辺では、明治六年に始めて小学校が出来た。其前年は予が九つの年で其時までも予は未だ学文ということに関係しない。毎日々々年配の朋輩と根がらを打ったり、独楽を打ったり、いたずらという板面を仕抜いていた。素裸で村の川や溝へ這入っては、鮒鰌をすくったり、蛙を呑んでいる蛇などを見つけては、尻尾を手づかみにして叩き殺す位なことは、平凡ないたずらの方であった。

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絶対的人格 正岡先生論

伊藤左千夫

子規子の世を去るなり、天下の操觚者ほとんど筆を揃てその偉人たることを称す、子規子はいかなる理由によって偉人と称せられたるか、世人が子規子を偉人とするところの理由いかんと見れば、人おのおのその言うところを異にし、毫も帰一するところあるなく、しこうしてただその子規子は偉人なりという点においてのみ、一致せるの事実を見たるは最も味うべき点なりとす。 しかり世人は相当

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正岡子規君

伊藤左千夫

子規画「左千夫像」 (明治33年頃) 吾が正岡先生は、俳壇の偉人であって、そしてまた歌壇の偉人である。万葉集以降千有余年間に、ただ一人あるところの偉人であるのだ。 しかるに先生が俳壇の偉人であると云うことは、天下知らざるものなき程でありながら、歌壇の偉人であると云うことを知っているものは、天下幾人も無いと云うに至っては実に遺憾と云わねばならぬ。 先生の訃音が

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師を失いたる吾々

伊藤左千夫

貴墨拝見仕候、新に師を失いたる吾々が今日に処するの心得いかんとの御尋、御念入の御問同憾の至に候、それにつき野生も深く考慮を費したる際なれば、腹臓なく愚存陳じ申べく候 正岡先生の御逝去が吾々のために悲哀の極みなることは申までもなく候えども、その実先生の御命が明治三十五年の九月まで長延び候はほとんど天の賜とも申すべきほどにて、一年か一年半は全く人の予想よりも御長

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大雨の前日

伊藤左千夫

此頃は実に不快な天候が続く。重苦しく蒸熱くいやに湿り気をおんだ、強い南風だ。そうして又、俄の出来事に無数の悪魔が駈出して来た様な、にくにくしい土色した雲が、空低く散らかり飛び駈けって、引切りなしに北の方へ走り行く。時々空が暗くなって雲が濃くなると一頻りずつ必ず雨を降らせる。 こんな天気が今日で三日目だ。意地悪く息の長い風だ。人間は嘆息する、呼吸が為に息苦しい

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竹乃里人

伊藤左千夫

先生が理性に勝れて居ったことは何人も承知しているところだが、また一方には非度く涙もろくて情的な気の弱いところのあった人である、それは長らく煩って寝ていたせいでもあろうけれど、些細なことにも非常に腹立って、涙をこぼす果ては声を立てて泣くようなことが珍らしくない、その替わりタワイもないことにも悦ぶこともある。 一昨年の秋加藤恒忠氏が、ベルギー公使に赴任する前にち

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浅草詣

伊藤左千夫

一月十一日、この日曜日に天気であればきっと浅草へ連れて行くべく、四ッたりの児供等と約束がしてあるので、朝六時の時計が鳴ったと思うと、半窓の障子に薄ら白く縦に筋が見えてきた、窓の下で母人の南手に寝て居った、次の児がひょっと頭をあげ、おとッさん夜があけたよ、そとがあかるくなってきました、今日は浅草へゆくのネイ、そうだ今日はつれてゆくよ、今まで半ねぶりで母の乳房を

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白菊

伊藤左千夫

茅野停車場の十時五十分発上りに間に合うようにと、巌の温泉を出たのは朝の七時であった。海抜約四千尺以上の山中はほとんど初冬の光景である。岩角に隠れた河岸の紅葉も残り少なく、千樫と予とふたりは霜深き岨路を急いだ。顧みると温泉の外湯の煙は濛々と軒を包んでたち騰ってる。暗黒な大巌石がいくつとなく聳立せるような、八ヶ岳の一隅から太陽が一間半ばかり登ってる。予らふたりは

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老獣医

伊藤左千夫

糟谷獣医は、去年の暮れ押しつまってから、この外手町へ越してきた。入り口は黒板べいの一部を切りあけ、形ばかりという門がまえだ。引きちがいに立てた格子戸二枚は、新しいけれど、いかにも、できの安物らしく立てつけがはなはだ悪い。むかって右手の門柱に看板がかけてある。板も手ごしらえであろう、字ももちろん自分で書いたものらしい、しろうとくさい幼稚な字だ。 「家畜診察所」

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伊藤左千夫

朝霧がうすらいでくる。庭の槐からかすかに日光がもれる。主人は巻きたばこをくゆらしながら、障子をあけ放して庭をながめている。槐の下の大きな水鉢には、すいれんが水面にすきまもないくらい、丸い葉を浮けて花が一輪咲いてる。うす紅というよりは、そのうす紅色が、いっそう細かに溶解して、ただうすら赤いにおいといったような淡あわしい花である。主人は、花に見とれてうつつなくな

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廃める

伊藤左千夫

「や、矢野君だな、君、きょう来たのか、あそうか僕の手紙とどいて。」 主人はなつかしげに無造作にこういって玄関の上がりはなに立った。近眼の、すこぶる度の強そうな眼鏡で格子の外をのぞくように、君、はいらんかという。 矢野は細面手の色黒い顔に、こしゃこしゃした笑いようをしながら、くたびれたような安心したようなふうで、大儀そうに片手に毛布と鞄との一括を持ち、片手には

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告げ人

伊藤左千夫

雨が落ちたり日影がもれたり、降るとも降らぬとも定めのつかぬ、晩秋の空もようである。いつのまにか風は、ばったりなげて、人も気づかぬさまに、小雨は足のろく降りだした。 もうかれこれ四時過ぎ五時にもなるか、しずかにおだやかな忌森忌森のおちこち、遠くの人声、ものの音、世をへだてたるものの響きにもにて、かすかにもやの底に聞こえる。近くあからさまな男女の話し声や子どもの

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水籠

伊藤左千夫

表口の柱へズウンズシリと力強く物のさわった音がする。 この出水をよい事にして近所の若者どもが、毎日いたずら半分に往来で筏を漕ぐ。人の迷惑を顧みない無遠慮なやつどもが、また筏を店の柱へ突き当てたのじゃなと、こう思いながら窓の格子内に立った。もとより相手になる手合いではないが、少ししかりつけてやろうと考えたのである。 格子から予がのぞくとたんに、板塀に取り付けて

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新万葉物語

伊藤左千夫

からからに乾いて巻き縮れた、欅の落葉や榎の落葉や杉の枯葉も交った、ごみくたの類が、家のめぐり庭の隅々の、ここにもかしこにも一団ずつ屯をなしている。 まともに風の吹払った庭の右手には、砂目の紋様が面白く、塵一つなくきれいだ。つい今しがたまで背戸山の森は木枯に鳴っていたのである。はげしく吹廻した風の跡が、物の形にありありと残っているだけ、今の静かなさまがいっそう

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落穂

伊藤左千夫

水田のかぎりなく広い、耕地の奥に、ちょぼちょぼと青い小さなひと村。二十五六戸の農家が、雑木の森の中にほどよく安配されて、いかにもつつましげな静かな小村である。 こう遠くからながめた、わが求名の村は、森のかっこうや家並のようすに多少変わったところもあるように思われるが、子供の時から深く深く刻まれた記憶のだいたいは、目に近くなるにつれて、一々なつかしい悲しいわが

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古代之少女

伊藤左千夫

かこひ内の、砂地の桑畑は、其畝々に溜つてる桑の落葉が未だ落ちた許りに黄に潤うて居るのである。俄に寒さを増した初冬の趣は、一層物思ひある人の眼をひく。 南から東へ「カネ」の手に結ひ廻した垣根は、一風變つた南天の生垣だ。赤い實の房が十房も二十房も、いづれも同じ樣に垂れかゝつて居る。霜が來てから新たに色を加へた、鮮かな色は、傾きかけた日の光を受けて、赤い色が愈赤い

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八幡の森

伊藤左千夫

市川の宿も通り越し、これから八幡といふ所、天竺木綿の大きな國旗二つを往來の上に交扠して、其中央に祝凱旋と大書した更紗の額が掛つてゐる、それをくゞると右側の屑屋の家では、最早あかりがついて障子がぼんやり赤い、其隣りでは表の障子一枚あけてあるので座敷に釣つてあるランプがキラリと光を放つてゐる、ほのくらい往來には、旅の人でなく、土地のものらしい男や婆さんやがのつそ

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竹の里人 一

伊藤左千夫

同人が各自、種々なる方面より見たる故先生をあらはさむことにつとむ 考へて見ると實に昔が戀しい、明治三十三年の一月然かも二日の日から往き始めた予は、其以前の事は勿論知らぬのであるが、予が往き始めた頃はまだ頗る元氣があつたもので、食物は菓物を尤も好まれたは人も知つてゐるが、甘い物なら何でも好きといふ調子で、壯健の人をも驚かす位喰ふた、御馳走の事といつたら話をして

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市川の桃花

伊藤左千夫

停車場で釣錢と往復切符と一所に市川桃林案内と云ふ紙を貰つて汽車へのツタ、ポカ/\暖い日であつたから三等車はこみ合つて暑かつたが二等車では謠本を廣げて首をふつて居る髯を見うけた。市川で下りて人の跡へ付いて三丁程歩くと直ぐ其處が桃林だ、不規則な道はついて居るが人を入れまいとしつらへた垣根は嚴重で着物の裾に二つ三つかぎざきをせねば桃下の人となるわけには行かぬのであ

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茶の湯の手帳

伊藤左千夫

茶の湯の手帳 伊藤左千夫 一 茶の湯の趣味を、真に共に楽むべき友人が、只の一人でもよいからほしい、絵を楽む人歌を楽む人俳句を楽む人、其他種々なことを楽む人、世間にいくらでもあるが、真に茶を楽む人は実に少ない。絵や歌や俳句やで友を得るは何でもないが、茶の同趣味者に至っては遂に一人を得るに六つかしい。 勿論世間に茶の湯の宗匠というものはいくらもある。女子供や隠居

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