雪霊続記
泉鏡花
雪霊続記 泉鏡花 一 機会がおのずから来ました。 今度の旅は、一体はじめは、仲仙道線で故郷へ着いて、そこで、一事を済したあとを、姫路行の汽車で東京へ帰ろうとしたのでありました。――この列車は、米原で一体分身して、分れて東西へ馳ります。 それが大雪のために進行が続けられなくなって、晩方武生駅(越前)へ留ったのです。強いて一町場ぐらいは前進出来ない事はない。が、
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雪霊続記 泉鏡花 一 機会がおのずから来ました。 今度の旅は、一体はじめは、仲仙道線で故郷へ着いて、そこで、一事を済したあとを、姫路行の汽車で東京へ帰ろうとしたのでありました。――この列車は、米原で一体分身して、分れて東西へ馳ります。 それが大雪のために進行が続けられなくなって、晩方武生駅(越前)へ留ったのです。強いて一町場ぐらいは前進出来ない事はない。が、
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雪霊記事 泉鏡花 一 「このくらいな事が……何の……小児のうち歌留多を取りに行ったと思えば――」 越前の府、武生の、侘しい旅宿の、雪に埋れた軒を離れて、二町ばかりも進んだ時、吹雪に行悩みながら、私は――そう思いました。 思いつつ推切って行くのであります。 私はここから四十里余り隔たった、おなじ雪深い国に生れたので、こうした夜道を、十町や十五町歩行くのは何でも
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小説文體 泉鏡花 僕は雅俗折衷も言文一致も、兩方やツて見るつもりだが、今まで經驗した所では、言文一致で書いたものは、少し離れて見て全躰の景色がぼうツと浮ぶ、文章だと近く眼の傍へすりつけて見て、景色がぢかに眼にうつる、言文一致でごた/\と細かく書いたものは、近くで見ては面白くないが、少し離れて全躰の上から見ると、其の場の景色が浮んで來る、油繪のやうなものであら
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小説に用ふる天然 泉鏡花 小説を作る上では――如何しても天然を用ゐぬ譯には行かないやうですね。譬へば惚れ合つた男女二人が話をしながら横町を通る時でも、晴天の時と、雨天の時とは、話の調子が餘程違ひますからね。天然と言つても、海とか、山とかに限つたことはありません。室内でも、障子とか、襖とか、言ふものは、天然の部に這入つてもよからうと思ひます。だから其の室内の事
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作物の用意 泉鏡花 私が作物に對する用意といふのは理窟はない、只好いものを書きたいといふ事のみです。されば現代の風潮はどうあらうと其事には構はず私は私の好きなものの、胸中に浮んだものを書くばかりです。人間には誰にでも好き嫌ひがあつて自分が嫌ひなものでも文壇の風潮だと云つて無理に書いたものは、何等の興味が無くつて丁度毛脛に緋縮緬が搦んだ樣なものですから、私は何
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芥川龍之介氏を弔ふ 泉鏡花 玲瓏、明透、その文、その質、名玉山海を照らせる君よ。溽暑蒸濁の夏を背きて、冷々然として獨り涼しく逝きたまひぬ。倏忽にして巨星天に在り。光を翰林に曳きて永久に消えず。然りとは雖も、生前手をとりて親しかりし時だに、その容を見るに飽かず、その聲を聞くをたらずとせし、われら、君なき今を奈何せむ。おもひ秋深く、露は涙の如し。月を見て、面影に
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遺稿 泉鏡花 この無題の小説は、泉先生逝去後、机邊の篋底に、夫人の見出されしものにして、いつ頃書かれしものか、これにて完結のものか、はたまた未完結のものか、今はあきらかにする術なきものなり。昭和十四年七月號中央公論掲載の、「縷紅新草」は、先生の生前發表せられし最後のものにして、その完成に盡されし努力は既に疾を内に潜めゐたる先生の肉體をいたむる事深く、其後再び
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化鳥 泉鏡花 一 愉快いな、愉快いな、お天気が悪くって外へ出て遊べなくっても可いや、笠を着て、蓑を着て、雨の降るなかをびしょびしょ濡れながら、橋の上を渡って行くのは猪だ。 菅笠を目深に被って、※に濡れまいと思って向風に俯向いてるから顔も見えない、着ている蓑の裙が引摺って長いから、脚も見えないで歩行いて行く、脊の高さは五尺ばかりあろうかな、猪、としては大なもの
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怨霊借用 泉鏡花 一 婦人は、座の傍に人気のまるでない時、ひとりでは按摩を取らないが可いと、昔気質の誰でもそう云う。上はそうまでもない。あの下の事を言うのである。閨では別段に注意を要するだろう。以前は影絵、うつし絵などでは、巫山戯たその光景を見せたそうで。――御新姐さん、……奥さま。……さ、お横に、とこれから腰を揉むのだが、横にもすれば、俯向にもする、一つく
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星女郎 泉鏡花 一 倶利伽羅峠には、新道と故道とある。いわゆる一騎落から礪波山へ続く古戦場は、その故道で。これは大分以前から特別好物な旅客か、山伏、行者の類のほか、余り通らなかった。――ところで、今度境三造の過ったのは、新道……天田越と言う。絶頂だけ徒歩すれば、俥で越された、それも一昔。汽車が通じてからざっと十年になるから、この天田越が、今は既に随分、好事。
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「ああ、奥さん、」 と言った自分の声に、ふと目が覚めると……室内は真暗で黒白が分らぬ。寝てから大分の時が経ったらしくもあるし、つい今しがた現々したかとも思われる。 その現々たるや、意味のごとく曖昧で、虚気としていたのか、ぼうとなっていたのか、それともちょいと寝たのか、我ながら覚束ないが、 「ああ、奥さん、」 と返事をした声は、確に耳に入って、判然聞こえて、は
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星あかり 泉鏡花 もとより何故といふ理はないので、墓石の倒れたのを引摺寄せて、二ツばかり重ねて臺にした。 其の上に乘つて、雨戸の引合せの上の方を、ガタ/\動かして見たが、開きさうにもない。雨戸の中は、相州西鎌倉亂橋の妙長寺といふ、法華宗の寺の、本堂に隣つた八疊の、横に長い置床の附いた座敷で、向つて左手に、葛籠、革鞄などを置いた際に、山科といふ醫學生が、四六の
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「あなた、冷えやしませんか。」 お柳は暗夜の中に悄然と立つて、池に臨むで、其の肩を並べたのである。工學士は、井桁に組んだ材木の下なる端へ、窮屈に腰を懸けたが、口元に近々と吸つた卷煙草が燃えて、其若々しい横顏と帽子の鍔廣な裏とを照らした。 お柳は男の背に手をのせて、弱いものいひながら遠慮氣なく、 「あら、しつとりしてるわ、夜露が酷いんだよ。直にそんなものに腰を
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三尺角 泉鏡花 一 「…………」 山には木樵唄、水には船唄、驛路には馬子の唄、渠等はこれを以て心を慰め、勞を休め、我が身を忘れて屈託なく其業に服するので、恰も時計が動く毎にセコンドが鳴るやうなものであらう。また其がために勢を増し、力を得ることは、戰に鯨波を擧げるに齊しい、曳々!と一齊に聲を合はせるトタンに、故郷も、妻子も、死も、時間も、慾も、未練も忘れるので
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黒百合 泉鏡花 序 越中の国立山なる、石滝の奥深く、黒百合となんいうものありと、語るもおどろおどろしや。姫百合、白百合こそなつかしけれ、鬼と呼ぶさえ、分けてこの凄じきを、雄々しきは打笑い、さらぬは袖几帳したまうらむ。富山の町の花売は、山賤の類にあらず、あわれに美しき女なり。その名の雪の白きに愛でて、百合の名の黒きをも、濃い紫と見たまえかし。 明治三十五年寅壬
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傳へ聞く、唐土長安の都に、蒋生と云ふは、其の土地官員の好い處。何某の男で、ぐつと色身に澄した男。今時本朝には斯樣のもあるまいが、淺葱の襟に緋縮緬。拙が、と拔衣紋に成つて、オホン、と膝をついと撫でて、反る。 風流自喜偶歩、と云ふので、一六が釜日でえす、とそゝり出る。懷中には唐詩選を持參の見當。世間では、あれは次男坊と、敬して遠ざかつて、御次男とさへ云ふくらゐ。
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「旦那樣、畫師ぢやげにござりまして、ちよつくら、はあ、お目に懸りたいと申しますでござります。」 旦那は徐羣夫と云ふ田舍大盡。忘其郡邑矣、とあるから何處のものとも知れぬが、案ずるに金丸商店仕入れの弗箱を背負つて、傲然と控へる人體。好接異客、は可いが、お追從連を眼下に並べて、自分は上段、床の前に無手と直り、金屏風に御威光を輝かして、二十人前の塗ばかり見事な膳、青
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「團子が貰ひたいね、」 と根岸の相坂の團子屋の屋臺へ立つた。……其の近所に用達があつた歸りがけ、時分時だつたから、笹の雪へ入つて、午飯を濟ますと、腹は出來たし、一合の酒が好く利いて、ふら/\する。……今日は歸りがけに西片町の親類へ一寸寄らう。坂本から電車にしようと、一度、お行の松の方へ歩行きかけたが。――一度蕉園さんが住んで居た、おまじなひ横町へ入らうとする
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それ熱ければ梅、ぬるければ竹、客を松の湯の揚場に、奧方はお定りの廂髮。大島擬ひのお羽織で、旦那が藻脱の籠の傍に、小兒の衣服の紅い裏を、膝を飜して控へて居る。 髯の旦那は、眉の薄い、頬の脹れた、唇の厚い、目色の嚴い猛者構。出尻で、ぶく/\肥つた四十ばかり。手足をぴち/\と撥ねる、二歳ぐらゐの男の兒を、筋鐵の入つた左の腕に、脇へ挾んで、やんはりと抱いた處は、挺身
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妙齡 泉鏡花 雨の日のつれ/″\に、佛、教へてのたまはく、昔某の國に一婦ありて女を生めり。此の婦恰も弱竹の如くにして、生れし女玉の如し。年はじめて三歳、國君其の色を聞し召し、仍ち御殿にお迎へ遊ばし、掌に据ゑられしが、忽ち恍惚となり給ふ。然るにても其の餘りの美しさに、ひととなりて後國を傾くる憂もやとて、當時國中に聞えたる、道人何某を召出して、近う、近う、爾よく
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花間文字 泉鏡花 晩唐一代の名家、韓昌黎に、一人の猶子韓湘あり。江淮より迎へて昌黎其の館に養ひぬ。猶子年少うして白皙、容姿恰も婦人の如し。然も其の行ひ放逸にして、聊も學ぶことをせず。學院に遣はして子弟に件はしむれば、愚なるが故に同窓に辱めらる。更に街西の僧院を假りて獨り心靜かに書を讀ましむるに、日を經ること纔に旬なるに、和尚のために其の狂暴を訴へらる。仍て速
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聞きたるまゝ 泉鏡花 吾聞く、東坡が洗兒詩に、人皆養子望聰明。我被聰明誤一生。孩兒愚且魯、無災無難到公卿。 又李白の子を祝する句に曰く、揚杯祝願無他語、謹勿頑愚似汝爺矣。家庭先生以て如何となす? 吾聞く、昔は呉道子、地獄變相の圖を作る。成都の人、一度是を見るや咸く戰寒して罪を懼れ、福を修せざるなく、ために牛肉賣れず、魚乾く。 漢の桓帝の時、劉褒、雲漢の圖を畫
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術三則 泉鏡花 帝王世紀にありといふ。日の怪しきを射て世に聞えたる、嘗て呉賀と北に遊べることあり。呉賀雀を指してに對つて射よといふ。悠然として問うていふ、生之乎。殺之乎。賀の曰く、其の左の目を射よ。すなはち弓を引いて射て、誤つて右の目にあつ。首を抑へて愧ぢて終身不忘。術や、其の愧ぢたるに在り。 また陽州の役に、顏息といへる名譽の射手、敵を射て其の眉に中つ。退
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怪談女の輪 泉鏡花 枕に就いたのは黄昏の頃、之を逢魔が時、雀色時などといふ一日の内人間の影法師が一番ぼんやりとする時で、五時から六時の間に起つたこと、私が十七の秋のはじめ。 部屋は四疊敷けた。薄暗い縱に長い一室、兩方が襖で何室も他の座敷へ出入が出來る。詰り奧の方から一方の襖を開けて、一方の襖から玄關へ通拔けられるのであつた。 一方は明窓の障子がはまつて、其外