もりのおひめさま
オルファースジビュレ・フォン
もりのなか もりの おひめさまが まどから かおを のぞかせてみる すると あさつゆの おんなのこが そよかぜさんに いわれておまいり おがわのほとり あさつゆみんなで ひめさまの きらきら ふわふわな かみを とかし まっかなドレスと ぴかぴかのくつで みじたくおわり おひめさまに あまい はちみつを さっと もってくる こけのこたち もんのそばの こかげ
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オルファースジビュレ・フォン
もりのなか もりの おひめさまが まどから かおを のぞかせてみる すると あさつゆの おんなのこが そよかぜさんに いわれておまいり おがわのほとり あさつゆみんなで ひめさまの きらきら ふわふわな かみを とかし まっかなドレスと ぴかぴかのくつで みじたくおわり おひめさまに あまい はちみつを さっと もってくる こけのこたち もんのそばの こかげ
寺田寅彦
この間日本へ立寄ったバートランド・ラッセルが、「今世界中で一番えらい人間はアインシュタインとレニンだ」というような意味の事を誰かに話したそうである。この「えらい」というのがどういう意味のえらいのであるかが聞きたいのであったが、遺憾ながらラッセルの使った原語を聞き洩らした。 なるほど二人ともに革命家である。ただレニンの仕事はどこまでが成効であるか失敗であるか、
斎藤茂吉
森鴎外の作、「うたかたの記」といふ短篇は、ミユンヘンを場面として、巨勢といふ若い日本洋画家と、マリイといふ独逸少女との恋愛を物語り、少女は湖水に溺れて、『少女は蘇らず。巨勢は老女と屍の傍に夜をとほして、消えて迹なきうたかたのうたてき世を喞ちあかしつ』といふに終る、まことに可憐な小説である。これは夙に水沫集に収められて多くの人に読まれた。そこで、巨勢といふ洋画
豊島与志雄
キンショキショキ 豊島与志雄 一 今のように世の中が開けていないずっと昔のことです。ある片田舎の村に、ひょっこり一匹の猿がやって来ました。非常に大きな年とった猿で、背中に赤い布をつけ、首に鈴をつけて、手に小さな風呂敷包みを下げていました。 村の広場で遊んでいた子供達は、その不思議な猿を見付けて、大騒ぎを始めました。けれども猿は平気な顔付で、別に人を恐がるふう
中谷宇吉郎
十二月の初め頃、ちょっと用事があって、ワシントンへ出かけた。実は用事といっても、大したことはなかったので、久しぶりにケリイさんに会ってみたいという気持もあったからである。 ケリイ博士といえば、日本の自然科学関係者の間には、非常に親しい名前である。終戦後間もなく日本へやってきて、総司令部の経済科学局で、自然科学方面の主任を、ずっとやっていた物理学者である。たし
新美南吉
サルト サムライ 新美南吉 五ニンノ サムライガ タビヲ シテ アル ヒ ヤマミチヲ トホリカヽルト、木ノ 下ニ 一ピキノ サルガ ヰマシタ。 「アノ サルヲ キラウ。」 「サウダ、ワタシガ キル。ワタシハ モウ 一ツキアマリ カタナヲ ヌカナイノデ、ウデガ ムヅムヅスル。」 「イヤ、ワタシガ キル。ワタシノ カタナハ ヨク キレル。」 「ダメダ ダメダ、キ
ドイルアーサー・コナン
「どうやらワトソン、そろそろ僕が行かねば。」とホームズが言ったのは、座して朝食をともにしているある朝のことだった。 「行く! どこへ?」 「ダートムア――キングス・パイランドへ。」 驚きはない。むしろこの尋常ならざる事件にまだ関わりないのがただ不思議なくらいだ。この件は現下、イングランド全土の噂の種だった。終日わが友は部屋のうちを低回しつつ項垂れては眉根を寄
牧野信一
丘を隔てた海の上から、汽船の笛が鳴り渡つて来た。もう間もなくお午だな――彼はさう思つただけで動かなかつた。いつもの通り彼は、まだこの上一時間か二時間はうと/\して過す筈だつた。日が射してまぶしいもので、頭からすつぽりとかひまきを被つたまゝ凝と小便を怺へてゐた。硝子戸も障子も惜し気なく明け放されて、蝉が盛んに鳴いてゐた。 「もう暫く眠つてやれ。」 彼は、たゞさ
新美南吉
ヒロツタ ラツパ 新美南吉 マヅシイ ヲトコノ ヒトガ アリマシタ。マダ ワカイノニ オトウサンモ オカアサンモ キヨウダイモ ナク、ホントウニ ヒトリボツチデ アリマシタ。 コノ ヲトコノ ヒトハ、ナニカ ヒトノ ビツクリスルヤウナ コトヲ シテ エラク ナリタイト カンガヘテ ヲリマシタ。 スルト チヨウド ソノ コロ、ニシノ ハウデ センサウガ オコツ
小川未明
風の吹くたびに、ひからびた落ち葉が、さらさらと音をたて、あたりをとびまわりました。空はくもって、木の枝がかなしそうにうごいています。急にお天気がかわりそうでした。 「雪がふると出られなくなるから、ちょっと、となり村まで用たしにいってくる。」と、父親は、身じたくをしながら、いいました。 「その間にぼくは、外につんであるまきをかたづけておこう。」と、兄の太郎がい
田山花袋
鴎外漁史の『しがらみ草紙』は、当年の文学書生であつた私達に取つては、非常に利益の多いものだつた。明治の文壇は、その大半を、この『しがらみ草紙』によつて覚醒させられたと言つても好いと私は思ふ。 ドイツを中心にして、ロシア、フランス、スペイン、ベルジユーム、オーストリア・ハンガリイ、諾威、丁抹、さういふ各国の文学がそこに移植せられた。鴎外氏は、医者の方でも医者の
林芙美子
暗い水のほとりで蝋燭の燈が光つてゐる。ほんのさつき、最後の夕映が、遠く刷き消されていつたとおもふと、水の上を一日ぢゆう漂うてゐた布袋草も靜かに何處かの水邊で、今夜の宿りに停つてしまふに違ひない……。漕ぎ出てゐる小舟の楫の音がいやにはつきりと聞える靜けさだ。ぴちやぴちやと水の音は聞いてゐる者のこゝろの芯にまで吸ひこまれるやうに、たまらない人戀しさと、淋しさを誘
小川未明
マルは かわいい ねこです。まあちゃんが とても かわいがって いました。 「ねえ おかあさん、マルが おしろいくさいよ。」 と、まあちゃんが いいました。 「どうしてでしょう。あんたの はなの せいじゃ ない?」 と、おかあさんは おっしゃいました。 「マルや、ここへ おいで。」 と、まあちゃんは マルを よびました。マルは よろこんで、まあちゃんの そば
太宰治
メリイクリスマス 太宰治 東京は、哀しい活気を呈していた、とさいしょの書き出しの一行に書きしるすというような事になるのではあるまいか、と思って東京に舞い戻って来たのに、私の眼には、何の事も無い相変らずの「東京生活」のごとくに映った。 私はそれまで一年三箇月間、津軽の生家で暮し、ことしの十一月の中旬に妻子を引き連れてまた東京に移住して来たのであるが、来て見ると
寺田寅彦
わずか数十年前の夜と今の夜とを比べると、正に夜と昼ほどの相違である。博覧会のイルミネーションを観て昔の行灯時代の事を想えば、今更のように灯火の進歩に驚かれる。 瓦斯灯でも従来の魚尾形をした裸火はだんだんにすたれて、白熱瓦斯、すなわちウェルスバッハ・マントルに圧倒されて来た。今日では場末の荒物屋芋屋でもこれを使っている。あのいわゆるマントルは布片にソリウム及び
岸田国士
「せりふ」について 岸田國士 舞台に於ける俳優の「白」については、今いろいろ考へてゐることもあるが、戯曲としての「対話」といふやうなことは、もう自分で意識することも厭になつてゐるので、わざわざ理窟をつける気がしない。若し参考になるなら、もう十年ばかり前に私の書いた「我等の劇場」といふ文章を読んで貰へばいゝと思ふ。 しかし、折角の注文ではあるし、重複するかも知
堀辰雄
「羅馬を後にして、カンパニヤの野邊を横り、アルバノの山の東を走り、險しき山の崖、石多き川の谷を過ぎ、いつしかカッシノに著けば、近くモンテ・カッシノ山の聳ゆるあり、僧院の建物見ゆ。」とは濱田青陵の南歐遊記の一節である。 そのモンテ・カッシノ僧院に、ジィドは或年(戰爭の數年前)一週間ばかり滯在してゐた。さうしてその地を立ち去らうとした日、病氣のため謁見できずにゐ
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
むかし むかし、おおかみが、きつねを、じぶんのうちにおいていました。 きつねは、動物のなかでも、たいへんよわい けものでした。ですから、おおかみのいうことは、なんでも、きかなければなりませんでした。きつねは、なんとかして、このしゅじんのところから にげだしたいと、おもっていました。 ある日のこと、きつねとおおかみは、ふたりで 森のなかをあるいていました。 そ
野口雨情
おさんだいしよさまは、常陸地方の方言、 三台星のことなり。 おさんだいしよさま 屋根の上 麦搗きや臼の蔭で 杵枕―― (農民歌) 農村の夜更けなどしのばれて、われには なつかしき星なり。
新美南吉
かくれんぼで、倉の隅にもぐりこんだ東一君がランプを持って出て来た。 それは珍らしい形のランプであった。八十糎ぐらいの太い竹の筒が台になっていて、その上にちょっぴり火のともる部分がくっついている、そしてほやは、細いガラスの筒であった。はじめて見るものにはランプとは思えないほどだった。 そこでみんなは、昔の鉄砲とまちがえてしまった。 「何だア、鉄砲かア」と鬼の宗
中島哀浪
秋というと生まれた川久保を思い、川久保を思うと累々と真赤に熟れた柿が目の前に浮んで来る。家の周囲は幾反かの広い畑で、柿の樹が二十本あまりも高々と茂っていて、その大部分は伽羅柿と呼ぶ甘味、多漿の、しかも大果、豊生の樹であった。一体に北山つきの村々は柿を多く産するのであるが、川久保のは特に優良といわれ、その中でも「お宅さまのはぜひ私に」などと青物仲買の商人達が先
宮沢賢治
まなづるとダァリヤ 宮沢賢治 くだものの畑の丘のいただきに、ひまはりぐらゐせいの高い、黄色なダァリヤの花が二本と、まだたけ高く、赤い大きな花をつけた一本のダァリヤの花がありました。 この赤いダァリヤは花の女王にならうと思ってゐました。 風が南からあばれて来て、木にも花にも大きな雨のつぶを叩きつけ、丘の小さな栗の木からさへ、青いいがや小枝をむしってけたたましく
小川未明
敏ちゃんは、なんだかしんぱいそうな顔つきをして、だまっています。 「どうしたの?」と、姉さんがきいてもだまっています。 「おかしいわ。いつも元気なのに、けんかをしてきたんでしょう。」 「ばか。だれがけんかなんかするものか。」 「じゃ、どうしたの?」 「なんでもないのだよ。」 敏ちゃんは、あちらへいってしまいました。そしてまた、考えていたのです。それには原因が
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
あるところに、ひとりの男がおりました。男には、ひとりのむすめがありました。このむすめは〈りこうもののエルゼ〉という名まえでした。 さて、このむすめがすっかり大きくなりましたので、おとうさんはおかあさんにいいました。 「もうむすめをよめにやろうじゃないか。」 すると、おかあさんはこたえました。 「ええ、およめにもらいたいっていう人がきましたらね。」 やがて、遠