Vol. 2May 2026

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14,981종 중 3,744종 표시

一の倉沢

久生十蘭

正午のラジオニュースで、菱苅安夫は長男の安一郎が谷川岳で遭難したことを知った。パアトナーは駒場大山岳部の大須賀というひとだったらしい。菱苅は安一郎が谷川岳へ行くことも、そんな男とパアティになったこともぜんぜん聞いていなかった。 食べかけていた弁当箱をおしやると、菱苅は登山口になっている土合駅の駅長に電話をかけた。 「お忙しいところ、申しわけないのですが、だい

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一ノ倉沢

松濤明

松濤明 単独昭和十六年八月五日 晴土合(五・一〇)―βルンゼ入口(六・四五~六・五〇)―一ノ倉尾根(八・〇五)―βルンゼ入口(九・〇五~九・二五)―Fバンド(一〇・〇〇~一〇・一五)―稜線(一一・四〇~一二・〇〇)―土合(一四・一五) 第三ルンゼを目指してきたが、水に濡れてテラテラ光っているのが望見されたので、天日で乾くまでの暇つぶしに衝立前沢からβルンゼに

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一ノ倉沢南稜

松濤明

パーティ 丹羽(正吉)、松濤昭和十六年六月八日土合(六・〇〇)―南稜テラス(八・一〇~八・三〇)―一ノ倉尾根のピーク(一四・〇〇~一四・二〇)―土合(一七・〇〇) テラスに揃ってキジを撃ち、ここでアンザイレンしておもむろに取り付く。緊張しているにもかかわらず、闘志が一向ないので三ツ峠の悪場に取り付いているようだ。チムニー、その上の壁、大分手間どった。南稜が上

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一ノ倉沢正面の登攀

小川登喜男

一ノ倉沢正面の登攀 小川登喜男 一行 小川、田名部、高木(力) 一九三〇年七月十七日(曇・午後夕立) 一ノ倉沢出合(六、〇〇)―雪渓下部(七、〇五)―雪渓の裂け目(七、三五)―雪渓上部(八、二五)―一枚岩の岩場中の台地(九、二〇―九、四〇)―水のあるリンネ上の台地(一、〇〇―一、二〇)―尾根上の岩塊下(三、〇〇)―同岩塊のチムニー上の広い台地(三、三〇)―国

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一僧

ツルゲーネフイワン

わが知己に一人の僧ありき――世を遁れ、行ひすましぬ。ひたぶるに、祈祷を淨樂として、一念これに醉ひぐれたれば、精舍のつめたき床にたちても、膝より下の、ふくだみて、全身、石柱をあざむくに至るまで、ひるまざりき。すべてのおぼえ、うせぬるまでも、そこに佇みて祈り念じぬ。 この人の心、われよく識りぬ。こゝろ妬たくさへおもほゆ。彼また吾を解したれば、おのれが悦にえとゞか

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一兵卒

田山花袋

渠は歩き出した。 銃が重い、背嚢が重い、脚が重い、アルミニウム製の金椀が腰の剣に当たってカタカタと鳴る。その音が興奮した神経をおびただしく刺戟するので、幾度かそれを直してみたが、どうしても鳴る、カタカタと鳴る。もう厭になってしまった。 病気はほんとうに治ったのでないから、息が非常に切れる。全身には悪熱悪寒が絶えず往来する。頭脳が火のように熱して、顳がはげしい

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一兵卒と銃

南部修太郎

一兵卒と銃 南部修太郎 霧の深い六月の夜だつた。丁度N原へ出張演習の途上のことで、長い四列縱隊を作つた我我のA歩兵聯隊はC街道を北へ北へと行進してゐた。 風はなかつた。空氣は水のやうに重く沈んでゐた。人家も、燈灯も、畑も、森も、川も、丘も、そして歩いてゐる我我の體も、灰を溶したやうな夜霧の海に包まれてゐるのであつた。頭上には處處に幽かな星影が感じられた。 「

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一刻

宮本百合子

一刻 宮本百合子 制限時間はすぎているのに、電車が来なくて有楽町の駅の群集は、刻々つまって来た。 「もうそろそろ運動はじめたかい」 人に押されて、ゆるく体をまわすようにしながら、蔵原さんが訊いた。 「これからだ」 江口さんは栃木県で立候補した。新しくなろうとして熱心な村の人々にとって、根気よい産婆役をしているのであった。 「しかしね、モラトリアムでいくらかい

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一匹の馬

原民喜

一匹の馬 原民喜 五年前のことである 私は八月六日と七日の二日、土の上に横たわり空をながめながら寝た、六日は河の堤のクボ地で、七日は東照宮の石垣の横で――、はじめの晩は、とにかく疲れないようにとおもって絶対安静の気持でいた、夜あけになると冷え冷えして空が明るくなってくるのに、かすかなのぞみがあるような気もした、しかし二日目の晩は、土の上にじかに横たわっている

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一問一答

太宰治

「何か、最近の、御感想を聞かせて下さい。」 「困りました。」 「困りましたでは、私のほうで困ります。何か、聞かせて下さい。」 「人間は、正直でなければならない、と最近つくづく感じます。おろかな感想ですが、きのうも道を歩きながら、つくづくそれを感じました。ごまかそうとするから、生活がむずかしく、ややこしくなるのです。正直に言い、正直に進んで行くと、生活は実に簡

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一国民としての希望

岸田国士

一国民としての希望 岸田國士 一 国民の一人一人が今日ほど政治といふものに関心をもつてゐる時代は未だ嘗てないだらうと思ふ。それはもう、被治者としての消極的な関心ではない。国民のすべては、自分たちのなかゝらこの祖国を立派に護り育てる有能な政治家が出ることを痛切に望んでゐるのである。 しかし、何処にどういふ人物がゐるかといふことを国民の大部が知らずにゐたといふの

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一国の首都

田山花袋

『一國の主都』と言ふ大きな繪入の書籍を十年前にある處で見たことがある。都府の寫眞が幾つとなく入つて居て、立派な帝王の宮室の寫眞もあつた。そして其各國の都府の光景を當時有名なる作者が書いた。巴里をフランソア・コツペが書き、東京をピエル・ロチが書いて居た。横濱東京間の汽車を、かうした國にも汽車がある! と罵倒して居たのを覺えてゐる。コツペが巴里を書いたのも、この

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一つの境涯 ――世の母びと達に捧ぐ――

中原中也

普通に人々が、この景色は佳いだのあの景色は悪いだのと云ふ、そんなことは殆んど意味もないことだ。人の心の奥底を動かすものは、却て人が毎日いやといふ程見てゐるもの、恐らくは人々称んで退屈となす所のものの中にあるのだ。筆者不詳 寒い、乾燥した砂混りの風が吹いてゐる。湾も、港市――その家々も、たゞ一様にドス黒く見えてゐる。沖は、あまりに稀薄に見える、其処では何もかも

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一夕

永井荷風

一 小説家二、三人打寄りて四方山の話したりし時一人のいひけるはおよそ芸術を業とするものの中にて我国当世の小説家ほど気の毒なるはなし。それもなまじ西洋文学なぞうかがひて新しきを売物にせしものこそ哀れは露のひぬ間の朝顔、路ばたの槿の花にもまさりたれ。もし画家たりとせんか梅花を描きて一度名を得んには終生唯梅花をのみ描くも更に飽かるる虞なし。年老いて筆力つかるれば看

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一夕観

北村透谷

一夕観 北村透谷 其一 ある宵われにあたりて横はる。ところは海の郷、秋高く天朗らかにして、よろづの象、よろづの物、凛乎として我に迫る。恰も我が真率ならざるを笑ふに似たり。恰も我が局促たるを嘲るに似たり。恰も我が力なく能なく弁なく気なきを罵るに似たり。渠は斯の如く我に徹透す、而して我は地上の一微物、渠に悟達することの甚はだ難きは如何ぞや。 月は晩くして未だ上る

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ハルピンの一夜

南部修太郎

ハルピンの一夜 南部修太郎 頭の禿げた、うす穢いフロツク姿の老人の指揮者がひよいと立ち上つて指揮棒を振ると、何回目かの、相變らず下品な調子のフオツクス・トロツトが演奏團席の方で始まつた。落ちぶれ貴族の息子とでも云ひさうな若いロシヤ人、眼の動かし方に厭味のある、會社の書記風のイギリス人、髪の毛を妙に凝つた仕方に縮らせたアメリカ人の下士官、金儲けにぬけめのなささ

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一夜のうれい

田山花袋

夜は早十時を過ぎたり。されど浮立たざる心には、臥床を伸べんことさえ、いとものうし。まして我は寝ねてだに、うれしき夢見るべき目あてもあらぬ墓なき身なれば、むしろ眠らずして、この儘一夜を闇黒の中に過すべきか、むしろこの一夜の永久なる闇黒界にならんことを、慈悲ある神に祈るべきか。かく悲しく思いつづけつつ、われはなお茫然としておりたれど、一点の光だにわれを慰むるもの

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一太と母

宮本百合子

一太と母 宮本百合子 一太は納豆を売って歩いた。一太は朝電車に乗って池の端あたりまで行った。芸者達が起きる時分で、一太が大きな声で、 「ナットナットー」 と呼んで歩くと、 「ちょいと、納豆やさん」 とよび止められた。格子の中から、赤い襟をかけ白粉をつけた一太より少し位大きい女の子が出て来る、そういうとき、その女の子も黙ってお金を出すし、一太も黙って納豆の藁づ

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一室

田山花袋

一室 田山録弥 「行きますか?」 片語の日本語でかう李が言ふと、 Hは、 「何うします?」と言つて私の方を見た。 「ちよつと見るだけ見たいんだが、さういふわけには行きませんか」 「それは行きますとも……」 「買つて見るなどといふ興味は無論ないんですから――」 「好う御座んす……」 Hはブロオクンな支那語で何か頻りに李に話した。李も手真似をして頻りに何か言つて

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一家

中野鈴子

わたしの祖先は代々が百姓であった八町はなれた五万石の城下町ゆきとどいた殿様のムチの下で這いまわった少しのことに重いチョウバツ百たたきの音が夜気を破った 天保に生まれた祖父はいつも言った百姓のようなつらい仕事があろうか味無いもの食って着るものも着ず銭ものこらん金づちの川流れだ わたしの父母は五人の子供を育てた父母は子供を百姓にさせる気はなかった二人の男の子は五

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カキツバタ一家言

牧野富太郎

カキツバタ一家言 牧野富太郎 花がつみまじりにさけるかきつばたたれしめさして衣にするらん   公実 狩人の衣するてふかきつばた花さくときになりぞしにけり      基俊 カキツバタはだれもよく知っているアヤメ科イリス(Iris)属の一種であって、Iris laevigata Fisch. の学名を有する。シベリア、北支那方面からわが日本に分布せる宿根草で、水

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一家言を排す

坂口安吾

一家言を排す 坂口安吾 私は一家言といふものを好まない。元来一家言は論理性の欠如をその特質とする。即ち人柄とか社会的地位の優位を利用して正当な論理を圧倒し、これを逆にしていへば人柄や地位の優位に論理の役目を果させるのである。 非論理が論理を圧倒するといふ微妙な人間関係は古来わが政治屋に珍重された処世術で、英雄豪傑の遺風であり、恰も土佐犬がテリヤを圧倒するかの

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一寸法師

楠山正雄

一寸法師 楠山正雄 一 むかし、摂津国の難波という所に、夫婦の者が住んでおりました。子供が一人も無いものですから、住吉の明神さまに、おまいりをしては、 「どうぞ子供を一人おさずけ下さいまし。それは指ほどの小さな子でもよろしゅうございますから。」 と一生懸命にお願い申しました。 すると間もなく、お上さんは身持ちになりました。 「わたしどものお願いがかなったのだ

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