万葉集のなり立ち
折口信夫
万葉集のなり立ち 折口信夫 一 奈良の宮の御代 万葉集一部の、大体出来上つたのは何時か。其は、訣らない、と答へる方が寧、ほんとうであらう。併し、私としての想像説を述べて、此迄人の持つてゐた考への、大いに訂正せねばならぬものだ、と言ふことを承知して貰はうと思ふ。 万葉編纂の時代と、其為事に与つた人とに就ては、いろ/\の説がある。併し、其拠り処となつてゐる第一の
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折口信夫
万葉集のなり立ち 折口信夫 一 奈良の宮の御代 万葉集一部の、大体出来上つたのは何時か。其は、訣らない、と答へる方が寧、ほんとうであらう。併し、私としての想像説を述べて、此迄人の持つてゐた考への、大いに訂正せねばならぬものだ、と言ふことを承知して貰はうと思ふ。 万葉編纂の時代と、其為事に与つた人とに就ては、いろ/\の説がある。併し、其拠り処となつてゐる第一の
折口信夫
万葉集の解題 折口信夫 一 まづ万葉集の歌が如何にしてあらはれて来たか、更に日本の歌がどういふ処から生れて来たか、といふこと即、万葉集に到る日本の歌の文学史を述べ、万葉集の書物の歴史を述べたいと思ふ。 すべて文学は、文明の世になると、芸術的衝動から作られるものであるが、昔はさうした欲望がなかつた。だから、其時代に、如何にして歌が出来たかをまづ考へねばならぬ。
正岡子規
萬葉集を讀む 正岡子規 (一) 四月十五日草廬に於いて萬葉集輪講會を開く。議論こも/″\出でゝをかしき事面白き事いと多かり。文字語句の解釋は諸書にくはしければこゝにいはず。只我思ふ所をいさゝか述べて教を乞はんとす。 籠もよみ籠もち、ふぐしもよみふぐしもち、此岡に菜摘ます子、家聞かな名のらさね、空見つやまとの國は、おしなべて吾こそ居れ、しきなべて吾こそをれ、我
小川未明
ある青年は、毎日のように、空を高く、金色の鳥が飛んでゆくのをながめました。彼は、それを普通の鳥とは思いませんでした。なにか自分にとって、いいことのある使いであろうというように思ったので、その鳥の行方を探そうとしました。どこかに巣があるにちがいない。その巣を探し出さなければ帰ってこないと決心をして、家を出かけたのであります。なんでも、金色の鳥は、晩方になるとあ
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
むかし、スイスの国に、ひとりの年をとった伯爵が住んでおりました。伯爵にはむすこがひとりしかありませんでしたが、そのむすこはばかで、なにひとつおぼえることができないありさまでした。 そこで、あるとき、おとうさんがいいました。 「これ、せがれ、わしはおまえの頭になにひとついれてやることができん。そこで、こんどはひとつ、わしの思っていることをやってみたい。おまえは
岸田国士
レオポール三世の悲劇 岸田國士 白耳義軍が国王レオポール三世の命によつて遂に武器を投じたといふことは、今度の欧洲戦乱を通じての、恐らく最も悲痛な事件であらう。そのことの生じた裏面には、いろいろな事情が伏在するものと察せられる。われわれは今これらの真相を知ることはできないけれども、何れにしても、大国の間に介在する中立国の立場といふものを考へれば、これに単純な批
原民喜
三人 原民喜 遠くの低い山脈は無表情な空の下に連ってゐた。しかしその山脈を銀のナイフで切れば血が噴き出すかも知れない――何だかさう云ふ気持も少しした。鈍い太陽が冬枯れの練兵場の上にあった。眺めはまるで人生のやうに退屈であった。今日は正月二日なので兵士の影もない。そのかはり山裾の道に添って、三人の青年がとぼとぼと歩いてゐた。彼等はさっきから沈黙くらべでもしてゐ
小川未明
「かずおちゃん、どうして なみだを だしたんだい?」 と、たろうさんが ききました。 「よしおさんと しげおさんが ひっぱったんだよ。」 「なんにも しないのに?」 と、きみ子さんが いいました。 「あそびに こいと いって、りょうほうから ぼくを ひっぱったのだ。」 「なあんだ、かずおちゃんが、いなかへ いって きて、めずらしいからだ。」 「いなかの おじ
海野十三
三人の双生児 海野十三 1 あの一見奇妙に見える新聞広告を出したのは、なにを隠そう、この妾なのである。 「尋ネ人……サワ蟹ノ棲メル川沿イニ庭アリテ紫ノ立葵咲ク。其ノ寮ノ太キ格子ヲ距テテ訪ネ来ル手ハ、黄八丈ノ着物ニ鹿ノ子絞リノ広帯ヲ締メ、オ河童ニ三ツノ紅キ『リボン』ヲ附ク、今ヨリ約十八年ノ昔ナリ。名乗リ出デヨ吾ガ双生児ノ同胞。(姓名在社××××)」 これをお読
宮本百合子
「三人姉妹」のマーシャ 宮本百合子 ○ 「三人姉妹」で、マーシャがどんな風に活かされるかと楽しみにしていた。三人の女性の中では、一番性格的に色彩が強い。その強さが内面的で、動作はごく簡単だがひどく意味深い。マーシャを演じる俳優は、少い台詞と台詞との間に、内へ内へと拡り燃え活動しているマーシャの魂全体を捕えていなければならない。人間として密度の細かい心の疲れる
上村松園
三人の師 上村松園 鈴木松年先生 私にとっては鈴木松年先生は一番最初の師であり、よちよちあるきの幼時から手をとって教えられ一人あるきが出来るようにまで育てあげられた、いわば育ての親とも言うべき大切な師なのである。 松年先生の画風というのは四条派のしっかりしたたちで、筆などもしゃこっとした質のもので狸の毛を用いたのをよくお使いになっていられた。 先生は決して刷
小川未明
外国人が、人形屋へはいって、三つ並んでいた人形を、一つ、一つ手にとってながめていました。どれも、同じ人形師の手で作られた、魂のはいっている美しい女の人形でした。 一つは、すわっていましたし、一つは立っていました。そして、もう一つは、手をあげて踊っていたのであります。 どれを買ったらいいだろうかと、その外国人は、ためらっていましたが、しまいに、つつましやかにす
谷崎潤一郎
世に「三人法師」と云う物語がある。いつの時代の誰の作かは明かでない。萬治二年の版があるそうだが、作者はこれを国史叢書の中に収めてある活字版で読んだ。さしたる名文と云うのではなく、たど/\しい稚拙な書き方であるけれども、南北朝頃の世相が窺われる上に、第一の法師から、第二、第三の法師になるほど話が複雑で面白く、組み立てもまとまっているし、哀愁が心の全篇を貫いてい
萩原朔太郎
三人目の患者は、いかにもつかれきつた風をして、べろりと舌をたらした、お醫者が小鼻をとんがらして、『氣分はどうです』『よろしい』『食物は』『おいしい』『それから……』『それからすべてよろしい』そして患者は椅子からとびあがつた、みろ、歪んだ脊髓のへんから、ひものやうにぶらさがつた、なめくじの神經だの、くさつたくらげの手くびだの……。そいつは眞赤の殺人者だ。 ●図
直木三十五
三人の相馬大作 直木三十五 一 「何うも早や――いや早や、さて早や、おさて早や、早野勘平、早駕で、早や差しかかる御城口――」 お終いの方は、義太夫節の口調になって、首を振りながら 「何うも、早や、奥州の食物の拙いのには参るて」 赤湯へ入ろうとする街道筋であったが、人通りが少かった。侍は、こう独り言をいいながら 「早や、暮れかかる入相の」 と、口吟んで、もう一
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
むかし、あるところに、ひとりの女の子がおりました。この子はなまけもので、糸をつむぐのが大きらいでした。おかあさんがいくらいっても、どうしてもいうことをききませんでした。とうとう、おかあさんはがまんがしきれなくなって、あるとき、腹だちまぎれに女の子をぶちました。すると、女の子はわあ、わあ声をあげて、泣きだしました。 ちょうどそこへ、お妃さまが馬車にのってとおり
島崎藤村
三人の訪問者 島崎藤村 「冬」が訪ねて来た。 私が待受けて居たのは正直に言うと、もっと光沢のない、単調な眠そうな、貧しそうに震えた、醜く皺枯れた老婆であった。私は自分の側に来たものの顔をつくづくと眺めて、まるで自分の先入主となった物の考え方や自分の予想して居たものとは反対であるのに驚かされた。私は尋ねて見た。 「お前が『冬』か。」 「そういうお前は一体私を誰
妹尾アキ夫
十三篇の短かい山岳小説を訳して、「青春の氷河」と題して、朋文堂からだしたのは、昭和十七年三月のことだったが、こんどその十三篇のうちから五篇を除外し、あらたに五篇をくわえて、「ザイルの三人」としてだすことにした。 巻頭の「ザイルの三人」は、Edwin Mller の Three on a Rope. で、この作はストランド誌の一九三二年十一月号にのった。原作者
南部修太郎
三作家に就ての感想 南部修太郎 一、有島武郎氏 私は有島武郎さんの作品を讀んで、作品のうちに滲んでゐる作者の心の世界といふものゝ大きさや、強さといふものを深く感じます。そして、線の非常に太い、高らかなリズムをもつてゐるやうな表現力が鋭く心に迫つて來るやうな氣がします。そして、如何にも作者が熱情的で、直情徑行的な人であるやうな氣持がしますけれども、最う一歩進め
岸田国士
三保寮を訪ふ 岸田國士 夏前からの約束で、私はこの三日に、静岡県三保海岸にある国際学友会のサンマーハウスを訪れた。目的は、同会「収容指導」の留学生諸君のために、この夏開かれた日本文化講座の一科目として、日本の演劇の話をするためであつた。 この国際学友会といふのは、外務省の斡旋で昭和十年に創設され、その事業の遂行機関たる国際学友会館は西大久保にあるのださうだが
種田山頭火
三八九雑記 種田山頭火 なんとなく春めいてきた、土鼠がもりあげた土くれにも春を感じる。 水のいろも春めいたいもりいつぴき 私もこのごろはあまりくよくよしないようになった。それはアキラメでもなければナゲヤリでもない、むろんサトリでもない、いわば、老のオチツキでもあろうか。 近眼と遠眼とがこんがらがってきたように、或は悠然として、或は茫然として、山を空を土を眺め
岸田国士
三八年の女性はかく生きよ! 岸田國士 事変が起ると同時に、各婦人団体の活躍が急にめざましくなり、何々婦人会の襷をかけた婦人達が、出征兵士の送迎に慰問に飛び歩いてゐるのは、一応婦人の国家的自覚のあらはれとして結構なことゝいはねばならないが、果して婦人のなすべきことはこれに尽きてゐるだらうか。 今度のやうな大きな事変にぶつつかれば女性も目の前の力に推され、これに
小川未明
川の辺に、一本の大きなくるみの木が立っていました。その下にありが巣を造りました。どちらを見まわしても、広々とした圃でありましたので、ありにとっては、大きな国であったにちがいありません。 ありには、ある年、たくさんな子供が生まれました。それらの子供のありは、だんだんあたりを遊びまわるようになりました。するとあるとき、それらの子ありのお母さんは、子供らに向かって
素木しづ
三十三の死 素木しづ子 いつまで生きてていつ死ぬか解らない程、不安な淋しいことはないと、お葉は考へたのである。併し人間がこの世に生れ出た其瞬間に於いて、その一生が明らかな數字で表はされてあつたならば、決定された淋しさに、終りの近づく不安さに、一日も力ある希望に輝いた日を送ることが、むづかしいかもしれない。けれどもお葉の弱い心は定められない限りない生の淋しさに