世界怪談名作集 08 ラッパチーニの娘 アウペパンの作から
ホーソーンナサニエル
一 遠い以前のことである。ジョヴァンニ・グァスコンティという一人の青年が、パドゥアの大学で学問の研究をつづけようとして、イタリーのずっと南部の地方から遙ばると出て来た。 財嚢のはなはだ乏しいジョヴァンニは、ある古い屋敷の上の方の陰気な部屋に下宿を取ることにした。これはあるパドゥアの貴族の邸宅ででもあったらしく、その入り口の上には今はすっかり古ぼけてしまったあ
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ホーソーンナサニエル
一 遠い以前のことである。ジョヴァンニ・グァスコンティという一人の青年が、パドゥアの大学で学問の研究をつづけようとして、イタリーのずっと南部の地方から遙ばると出て来た。 財嚢のはなはだ乏しいジョヴァンニは、ある古い屋敷の上の方の陰気な部屋に下宿を取ることにした。これはあるパドゥアの貴族の邸宅ででもあったらしく、その入り口の上には今はすっかり古ぼけてしまったあ
ドイルアーサー・コナン
一 九月十一日、北緯八十一度四十分、東経二度。依然、われわれは壮大な氷原の真っただ中に停船す。われわれの北方に拡がっている一氷原に、われわれは氷錨をおろしているのであるが、この氷原たるや、実にわが英国の一郡にも相当するほどのものである。左右一面に氷の面が地平の遙か彼方まで果てしなく展がっている。けさ運転士は南方に氷塊の徴候のあることを報じた。もしこれがわれわ
ホフマンエルンスト・テオドーア・アマーデウス
諸君はすでに、わたしが去年の夏の大部分をX市に過ごしたことを御承知であろう――と、テオドルは話した。 そこで出逢った大勢の旧友や、自由な快闊な生活や、いろいろな芸術的ならびに学問上の興味――こうしたすべてのことが一緒になって、この都会に私の腰をおちつかせてしまったが、まったく今までにあんなに愉快なことはなかった。わたしは一人で街を散歩して、あるいは飾窓の絵や
フランスアナトール
これは、ある夏の涼しい晩に、ホワイト・ホースの樹の下にわれわれが腰をおろしているとき、ヌーヴィユ・ダーモンにある聖ユーラリ教会の堂守が、いい機嫌で、死人の健康を祝するために古い葡萄酒を飲みながら話したのである。彼はその日の朝、白銀の涙を柩おおいに散らしながら、十分の敬意を表して、その死人を墓所へ運んだのであった。 死んだのは、わたしの可哀そうな親父ですが……
キプリングラデャード
一 悪夢よ、私の安息を乱さないでくれ。 闇の力よ、私を悩まさないでくれ。 印度という国が英国よりも優越している二、三の点のうちで、非常に顔が広くなるということも、その一つである。いやしくも男子である以上、印度のある地方に五年間公務に就いていれば、直接または間接に二、三百人の印度人の文官と、十一、二の中隊や連隊全部の人たちと、いろいろの在野人士の千五百人ぐらい
クラウフォードフランシス・マリオン
一 誰かが葉巻を注文した時分には、もう長いあいだ私たちは話し合っていたので、おたがいに倦きかかっていた。煙草のけむりは厚い窓掛けに喰い入って、重くなった頭にはアルコールが廻っていた。もし誰かが睡気をさまさせるようなことをしない限りは、自然の結果として、来客のわれわれは急いで自分たちの部屋へかえって、おそらく寝てしまったに相違なかった。 誰もがあっと言わせるよ
マクドナルドジョージ
一 コスモ・フォン・ウェルスタールはプラーグの大学生であった。 彼は貴族の一門であるにもかかわらず、貧乏であった。そうして、貧乏より生ずるところの独立をみずから誇っていた。誰でも貧乏から逃がれることが出来なければ、むしろそれを誇りとするよりほかはないのである。彼は学生仲間に可愛がられていながら、さてこれという友達もなく、学生仲間のうちでまだ一人も、古い町の最
ストックトンフランシス・リチャード
ジョン・ヒンクマン氏の田園住宅は、いろいろの理由から僕にとっては甚だ愉快な場所で、やや無遠慮ではあるが、まことに居心地のよい接待ぶりの寓居であった。庭には綺麗に刈り込んだ芝原と、塔のように突っ立った槲や楡の木があって、ほかにも所どころに木立ちが茂っていた。家から遠くないところに小さい流れがあって、そこには皮付きの粗末な橋が架けてあった。 ここらには花もあれば
瞿佑
元の末には天下大いに乱れて、一時は群雄割拠の時代を現出したが、そのうちで方谷孫というのは浙東の地方を占領していた。彼は毎年正月十五日から五日のあいだは、明州府の城内に元霄(陰暦正月十五日の夜)燈をかけつらねて、諸人に見物を許すことにしていたので、その宵よいの賑わいはひと通りでなかった。 元の至正二十年の正月である。鎮明嶺の下に住んでいる喬生という男は、年がま
原田義人
カフカがプルースト、ジョイス、フォークナーなどと並んで二十世紀のもっとも重要な作家の一人として考えられるようになったのは、彼の死後二十年余を経た第二次大戦後のことであるといってよい。今、たとえば一九三〇年ころに出版されて十万部を超える部数を出した詳細なドイツ現代文学史を開いてみると、そのなかでカフカについて書かれているのはわずか十数行にすぎない。また、三六年
北大路魯山人
世界の「料理王逝く」ということから 北大路魯山人 「世界の食通から『料理の王』と賛美されたフランス随一の板前オウグュスト・エスコフィエ老がこのほど亡くなった。 翁は外国にあって――わけても英・独・米等の地に永く留まって、フランス料理の醍醐味を遍からしめたので、『美食の大使』とも呼ばれていた。 ロンドンのサボイ・ホテルやカルトンで腕を揮っていた頃には、どれほど
西田幾多郎
世界はそれぞれの時代にそれぞれの課題を有し、その解決を求めて、時代から時代へと動いて行く。ヨウロッパで云えば、十八世紀は個人的自覚の時代、所謂個人主義自由主義の時代であった。十八世紀に於ては、未だ一つの歴史的世界に於ての国家と国家との対立と云うまでに至らなかったのである。大まかに云えば、イギリスが海を支配し、フランスが陸を支配したとも云い得るであろう。然るに
西田幾多郎
世界はそれぞれの時代にそれぞれの課題を有し、その解決を求めて、時代から時代へと動いて行く。ヨウロッパで云へば、十八世紀は個人的自覺の時代、所謂個人主義自由主義の時代であつた。十八世紀に於ては、未だ一つの歴史的世界に於ての國家と國家との對立と云ふまでに至らなかつたのである。大まかに云へば、イギリスが海を支配し、フランスが陸を支配したとも云ひ得るであらう。然るに
松本文三郎
世界に於ける印度 松本文三郎 昨日は印度人の行に就てお話し致しましたが、印度人は苦行を以て宗教上大切な勤と看做したのであります、後世では他の宗教に於ても是を尚ぶに至りましたが、印度が一番古い、而して他の宗教に於ける苦行の事は皆印度が元になつて傳はつて來たものと考へられる、印度に於ては昨日もお話し致しました通り如何なる宗派のものと雖も皆苦行をやる、中には隨分非
竹越三叉
世界の日本乎、亞細亞の日本乎 竹越三叉 日本は自ら足れりとする乎。將た之を廣大ならしむべき乎。偉大を好む國民は、自ら進みて此の問題を解釋し、國人が發見したる新島嶼を收并するをすら拒絶して、以て退守自ら安ぜんとせる當局を刺激して、日本を廣大ならしむ。知らず廣大にせられたる此の日本をして、『世界の日本』たらしめんとする乎。抑もまた『亞細亞の日本』たらしめんとする
宮本百合子
世界は求めている、平和を! 宮本百合子 二十世紀の後半の第一年―一九五一年がわたしたちの良心の前にひらかれた。昨年の六月二十五日、朝鮮に動乱がひきおこされて以来、日本では世界平和に対する一部の人々の確信がゆらいだ。一九四九年から、南北統一のために努力しつづけていた朝鮮の人々の間に、どうして戦争がひきおこされたのだったろう。こんにち、朝鮮についてわたしたちは客
ダビットヤーコプ・ユリウス
ウィインで頗る勢力のある一大銀行に、先ずいてもいなくても差支のない小役人があった。名をチルナウエルと云う小男である。いてもいなくても好いにしても、兎に角あの大銀行の役をしているだけでも名誉には違いない。 この都に大勢いる銀行員と云うものの中で、この男には何の特色もない。風采はかなりで、極力身なりに気を附けている。そして文士の出入する珈琲店に行く。 そこへ行け
太宰治
ヨーロッパの近代人が書いた「キリスト伝」を二、三冊読んでみて、あまり感服できなかった。キリストを知らないのである。聖書を深く読んでいないらしいのだ。これは意外であった。 考えてみると、僕たちだって、小さい時からお婆さんに連れられてお寺参りをしたり、またお葬式や法要の度毎に坊さんのお経を聞き、また国宝の仏像を見て歩いたりしているが、さて、仏教とはどんな宗教かと
太宰治
ヨーロツパの近代人が書いた「キリスト傳」を二、三册讀んでみて、あまり感服できなかつた。キリストを知らないのである。聖書を深く讀んでゐないらしいのだ。これは意外であつた。 考へてみると、僕たちだつて、小さい時からお婆さんに連れられてお寺參りをしたり、またお葬式や法要の度毎に坊さんのお經を聞き、また國寶の佛像を見て歩いたりしてゐるが、さて、佛教とはどんな宗教かと
岸田国士
世界的文化の母胎 岸田國士 この度大政翼賛会文化部長就任の交渉を受諾致しました。この部の仕事についてはまだ具体的に研究はしてゐませんが、何れ各方面の方々とお打合せをした上で職務上の責任の範囲を心得たいと思つて居ります。 私は元来政治といふものに余り興味を持たなかつたのでありますが、それは狭い意味における政治でありまして、大政翼賛と言ふ名に於ける広い意味の政治
国枝史郎
この面では理屈は云わない。イデオロギーなどというものも書かない。この面では、世界中の、政治や外交や軍事や、その他、社会のあらゆる部面に実在した面白い事件ばかりを書く。それもメンスツリートの事件ではなく、塵埃や黴の花の咲いている露路や、裏通りで起った事件、乃至は、サロンのカーテンの蔭や、宮殿の廊柱の背後などで起った事件を書く。 さて、上海の、ある秋の日の出来事
チャペックカレル
ハリィ・ドミン…………RUR代表取締役 スラ………………………ロボット(♀) マリウス…………………ロボット(♂) ヘレナ・グローリィ……RUR会長の娘 ガル博士…………………RUR生理研究局主任 ファブリ技師……………RUR技術担当主任 ハレマイヤ博士…………ロボット心理教育研究所所長 アルクイスト建築士……RUR労働局主任 ブスマン部長……………RUR営
岸田国士
この覗眼鏡はそんなに珍らしいものではない。ただ、当分用がなささうだから、どこか邪魔にならないところへしまつておかうと思ふのである。 こはれたり、狂つたりしてゐるところがあるかもしれない。殊にほこりだらけだから、手を汚さないやうにして見て下さい。 ★ セシル・ソレル嬢といへば、パリ人ならだれでも知つてをり、アメリカ人と日本人とに多少名前を覚えられてゐるコメディ
人見絹枝
年の暮れまでにはまだ一月あるが、神宮の大会が終ると私はなんだか自分の生活の一年が終ったような気がする。 あわただしい一年ではあった。それだけになんだか今年はいつもの二倍の仕事をしたような気持もする。 去年九月、オランダのオリンピック大会から帰って来て年の暮れるまで旅のつかれと二度の遠征による体のつかれでふたたび競技場に立てるかと心配した。下駄箱の中で次第にサ