二つの頭
原民喜
二つの頭 原民喜 日曜日のことでした、雄二の兄と兄の友達が鶴小屋の前で、鶴をスケッチしていました、雄二はそれを側で眺めながら、ひとりでこんなことを考えました……何んだい、僕だって描けますよ、鶴だって、犬だって、山の絵だって、駅だって、街の絵だって、みんな描けます、僕の眼にちゃんと見えるものなら、それをそのとおり描けばいいんだから、だからなんだって描けますよ、
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原民喜
二つの頭 原民喜 日曜日のことでした、雄二の兄と兄の友達が鶴小屋の前で、鶴をスケッチしていました、雄二はそれを側で眺めながら、ひとりでこんなことを考えました……何んだい、僕だって描けますよ、鶴だって、犬だって、山の絵だって、駅だって、街の絵だって、みんな描けます、僕の眼にちゃんと見えるものなら、それをそのとおり描けばいいんだから、だからなんだって描けますよ、
平出修
二黒の巳 平出修 種田君と一しよに梅見に行つて大森から歩いて来て、疲れた体を休ませたのが「桔梗」と云ふお茶屋であつた。 「遊ばせてくれますか、」と種田君はいつもの間延な調子で云つたあとで、「エヘツヘヘ」と可笑しくもないのに笑ふと云つた風に軽く笑つた。私は洋服であつたが、種田君は其頃紳士仲間に流行つた黒の繻子目のマントを着て、舶来の鼠の中折帽を被つて居た。 「
竹内浩三
かの女を 人は あきらめろと云うが おんなを 人は かの女だけでないと云うが おれには 遠くの田螺の鳴声まで かの女の歌声にきこえ 遠くの汽車の汽笛まで かの女の溜息にきこえる それでも かの女を 人は あきらめろと云う ●図書カード
宮城道雄
五十年をかえりみて 宮城道雄 この度の音楽生活五十年記念演奏会に際し、皆様に御支援を戴いたことを心から感謝いたします。 私は九歳の年の六月一日に箏を習い始めてから、今年が還暦祝などというと、自分でじじくさく感じて心細くもある。しかしこの年を機会に若返っていよいよ勉強したいと思うので、こんどの演奏会を催したのである。 五十年といえば大変長いようであるが、自分で
中野鈴子
きのうはすでに 去年の雪と思え 消えたと思え 来年は向こうからやってくる 明日もやってくる はじめての人も 新しい言葉も ●図書カード
中野鈴子
いまようやくここまで歩いてきたところだ 誰かが呼んだと思うときもあったが それは空耳だった 振り返って返事をしているわたしに 呼び止めたと思った人は気のつかぬ如く とっとっと先の方を歩いて行った わたしは一人とぼとぼここまでたどりついた 花の咲く頃には却って身を細くして 自動車をよけるような恰好になったものだ ようやくここまでたどりつき 山道にさしかかったと
片山広子
コーヒー五千円 片山廣子 洗足池のそばのHの家に泊りに行つて、Hの弟のSにたびたび会つた。Sは、南の方のある島から僅かに生き残つて帰つて来た少数の一人であつた。すつかり体の調子が悪くなつたので伊東温泉に行つたり東京に出て来たりして養生してゐる時で、彼はその時分しきりにおいしい物がたべたいので、魚や肉を買つてはHの家に持つて来て料理を頼んだ。さういふ時にゆき合
国枝史郎
五右衛門と新左 国枝史郎 一 「大分世の中が静かになったな」 こう秀吉が徳善院へ云った。 「殿下のご威光でございます」 徳善院、ゴマを磨り出した。 「ところが俺は退屈でな」 「こまったものでございます」 「趣向は無いか、変った趣向は?」 「美人でもお集めになられては?」 「少々飽きたよ、実の所」 「それに淀殿がおわすので」顔色を見い見いニタリとした。 「うん
田沢稲舟
五大堂 田澤稲舟 (一) 世にうれしき事はかずあれど、親が結びし義理ある縁にて、否でも否といひいでがたき結髪の夫にもあれ、妻にもあれ、まだ祝言のすまぬうち、死せしと聞きしにまさりたるはあらずかし。こゝに娘で名高き青柳子爵の一人姫糸子といへるも未来の夫とさだめし人の、心に染まぬそれ故に、うき年月をおくりしが、この頃おもき病にてうせしときゝしうれしさに、今まで青
宮本百合子
五〇年代の文学とそこにある問題 宮本百合子 一 十二月号の雑誌や新聞には、例年のしきたりで、いくたりかの作家・評論家によって、それぞれの角度から一九四九年の文壇が語られた。その一年に注目すべき作品を生んだ作家たち、明日に属望される新人も、作品に即してあげられた。 これらのしめくくりは、しかし、去年という三百六十五日の間にわたしたちが生活と文学との肌身へじかに
原民喜
五年後 原民喜 竜ノ彫刻モ 高イ石段カラ割レテ 墜チ 石段ワキノ チョロチョロ水ヲ ニンゲンハ来テハノム 炎天ノ溝ヤ樹ノ根ニ 黒クナッタママシンデイル 死骸ニトリマカレ シンデユク ハヤサ 鳥居ノ下デ 火ノツイタヨウニ ナキワメク真紅ナ女 これは五年前のノートに書きなぐっておいたものである。 五年前……。私はあの惨劇の翌日、東照宮の境内にたどりつき、そこで一
宮本百合子
五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍 宮本百合子 一九三〇年の夏のことだ。 ソヴェト同盟では、世界のブルジョア学者、政治家が口を揃えて嘲弄した生産拡張の五ヵ年計画をあらゆる革命的勤労者の支持と、偉大な努力とで、第二年目を終ろうとしている。ソヴェト全土に燃えるような飛躍と建設が響き渡っている。 わたしは、その夏、ウクライナの大国営農場「ギガント」を見学に行った
宮本百合子
五ヵ年計画とソヴェトの芸術 宮本百合子 短い前書 ソヴェト同盟の生産面における五ヵ年計画というものは、今度はじめて試みられたものではなかった。誰でも知る通り、ソヴェト同盟の全生産は国家計画部と最高経済会議とが中心となって生産組合、職業組合との共力のもとに、年々計画的に行われて来ている。計画生産である。記念すべき一九一七年からソヴェト同盟は年々当面の生産計画と
太宰治
叔母が五所川原にゐるので、小さい頃よく五所川原へ遊びに行きました。旭座の舞臺開きも見に行きました。小學校の三、四年生の頃だつたと思ひます。たしか友右衞門だつた筈です。梅の由兵衞に泣かされました。舞臺を、その時、生れてはじめて見て、思はず立ち上つてしまつた程に驚きました。この旭座は、そののち間もなく火事を起し、全燒しました。その時の火焔が、金木から、はつきり見
太宰治
五所川原 太宰治 叔母が五所川原にゐるので、小さい頃よく五所川原へ遊びに行きました。旭座の舞台開きも見に行きました。小学校の三、四年生の頃だつたと思ひます。たしか友右衛門だつた筈です。梅の由兵衛に泣かされました。廻舞台を、その時、生れてはじめて見て、思はず立ち上つてしまつた程に驚きました。この旭座は、そののち間もなく火事を起し、全焼しました。その時の火焔が、
太宰治
叔母が五所川原にいるので、小さい頃よく五所川原へ遊びに行きました。旭座の舞台開きも見に行きました。小学校の三、四年生の頃だったと思います。たしか友右衛門だった筈です。梅の由兵衛に泣かされました。廻舞台を、その時、生れてはじめて見て、思わず立ち上ってしまった程に驚きました。この旭座は、そののち間もなく火事を起し、全焼しました。その時の火焔が、金木から、はっきり
原民喜
五月 原民喜 電車は恍惚とした五月の大気のなかを走った。西へ傾いた太陽の甘ったるい光は樹木や屋根の上に溢れ、時としてその光は房子の険しい額に戯れかかった。何処の駅に着くのか何処を今過ぎてゐるのか、まるで乗客はみんな放心状態にあるやうな、さう云った一時であった。 ふと、房子は自分の視線がさっきまでは何かに遮られてゐたやうだが、気がつくと眼の前に三人のマダムが坐
宮本百合子
五月のことば 宮本百合子 去年の暮、福田恆存は、一九四九年を通観して、「知識人の敗北」の年と概括をした。これは、評論家としての氏にとって、きわめて意味のふかい一つの刻みめを印した発言となった。なぜならば、一九四九年の日本の現実は、混乱しながらもそこを縫って、本質的には氏の概括とは反対の性格をもつ流れがつよく自覚されはじめた年であったのだから。 福田恆存にとっ
牧野信一
一日晴 明方五時、時計は壊れてゐるが、空や影や光の具合で大概見当がつく、――売薬嗜眠剤の悪夢に倦きたので旬日の禁を犯して洋酒を摂る。漸くにして陶然たる頃、窓方の明るみも亦仄かとなる。水眼鏡の眼を視開いて水底をさ迷はん夏の日のことを思ふ。B兄妹に起される、途上にて出遇ひたるといふ余の母の言伝を寄す――生母の病気見舞に二旬以来滞京中のS女(妻)は明夕帰宅の由。N
竹内浩三
なんのために ともかく 生きている ともかく どう生きるべきか それは どえらい問題だ それを一生考え 考えぬいてもはじまらん 考えれば 考えるほど理屈が多くなりこまる こまる前に 次のことばを知ると得だ 歓喜して生きよ ヴィヴェ・ジョアイユウ 理屈を言う前に ヴィヴェ・ジョアイユウ 信ずることは めでたい 真を知りたければ信ぜよ そこに真はいつでもある 弱
波立一
ええ、癪だな、畜生! 間抜けた汽笛なんか気にすることあねい。 じゃあ――行くぜ、阿母! サーベルの四五本もへし折ってくるんだよ。 一八八六年より一九二八年まで 血ぬられた五月一日の顔を見ろ。 行け! 五月祭の真唯中―― 空は青く、地上は赤き群衆の奔流だ。 清めろ! 十字路を驀進する俺らの行手を。 恐いのか! 兄弟 官服を踏んづけ、突破しろ! 轟け! 幾万の歌
牧野信一
一ぺん朝はやく起きたのであつたが、ゆうべから読みかけてゐた「ライネケの話」といふおとぎばなしを感心しながら読んでゐるうちに、うと/\してしまつて風谷龍吉君に起されると、お午だつた。風谷君はこのあひだうち水戸へ行つてゐた時から知り合ひとなつた高等学校の生徒である。古いアメリカ版のお伽ばなし集で、作者の名前が誌してないのだが、どうもこれはゲーテ作のやうな気がする
寺田寅彦
五月の唯物観 寺田寅彦 西洋では五月に林檎やリラの花が咲き乱れて一年中でいちばん美しい自然の姿が見られる地方が多いようである。しかし日本も東京辺では四月末から五月初めへかけて色々な花が一と通り咲いてしまって次の季節の花のシーズンに移るまでの間にちょっとした中休みの期間があるような気がする。少なくも自分の家の植物界ではそういうことになっているようである。 四月
岸田国士
大庭悠吉 三十一 同 空子 二十三 女中かな 二十 児玉的外 五十六 同 初男 十 新聞配達 二十一 五月末の日曜日昼近く 東京郊外のどんづまり 大庭悠吉の住居――新しい文化住宅 舞台正面は座敷の縁、二階から突き出た露台。庭を距てゝ狭い道路 右手、庭の一隅に物置、その前を通つて勝手口へ廻れるやうになつてゐる。 女中のかなが、座敷の掃除をしてゐる。