北斎と幽霊
国枝史郎
北斎と幽霊 国枝史郎 一 文化年中のことであった。 朝鮮の使節が来朝した。 家斉将軍の思し召しによって当代の名家に屏風を描かせ朝鮮王に贈ることになった。 柳営絵所預りは法眼狩野融川であったが、命に応じて屋敷に籠もり近江八景を揮毫した。大事の仕事であったので、弟子達にも手伝わせず素描から設色まで融川一人で腕を揮った。樹木家屋の遠近濃淡漁舟人馬の往来坐臥、皆狩野
Perpustakaan pengetahuan dunia domain publik
国枝史郎
北斎と幽霊 国枝史郎 一 文化年中のことであった。 朝鮮の使節が来朝した。 家斉将軍の思し召しによって当代の名家に屏風を描かせ朝鮮王に贈ることになった。 柳営絵所預りは法眼狩野融川であったが、命に応じて屋敷に籠もり近江八景を揮毫した。大事の仕事であったので、弟子達にも手伝わせず素描から設色まで融川一人で腕を揮った。樹木家屋の遠近濃淡漁舟人馬の往来坐臥、皆狩野
田中貢太郎
北斗と南斗星 田中貢太郎 趙顔という少年が南陽の平原で麦の実を割っていると、一人の旅人がとおりかかった。旅人は管輅という未来と過去の判る人であった。その旅人は少年の顔を見て、 「お前さんは、なんという名だ、気の毒なことだ」 と言った。少年は気になるので麦を割ることを止めて訊いた。 「なにが気の毒ですか、私は趙顔というのですが」 「そうかな、お前さんは、二十歳
尾崎放哉
北朗来庵 尾崎放哉 その昔し、豊臣家が亡びかけてからの事、和寇と云ふものがあつて支那の東南の海岸を荒す、其の勢すさまじく、支那人大に恐れをなして、南清のある孤島に高い/\見張所をこしらへて、いつもその見張所の上に番人が居て、和奴来るや否やと眼を皿大にして見て居る。若しそれ、日の丸だとか、丸に二ツ引きだとか、丸に十の字だとか、さう云ふ旗じるしを差上げた船が見え
島崎藤村
北村透谷の短き一生 島崎藤村 北村透谷君の事に就ては、これまでに折がある毎に少しずつ自分の意見を発表してあるから、私の見た北村君というものの大体の輪廓は、已に世に紹介した積りである。北村君の生涯の中の晩年の面影だとか、北村君の開こうとした途だとか、そういう風のものに就ては私は已にいくらか発表してある。明治年代も終りを告げて、回顧の情が人々の心の中に浮んで来た
北村透谷
もらすなよあだうつくしの花、 消ゆる汝共に散るものを、 うつくしとても幾日經ぬべき、 盛りと見しははやすたり
豊島与志雄
地球は、自分でくるくる回転しながら、また大きく太陽のまはりを廻つてゐます。そしてこの地球自身の回転について、たとへば独楽のやうに、まん中に一本の軸があると仮定してみますと、その軸の一端が北となり、他の一端が南となります。その北を、地球の上では北極といひ、南を、南極といひます。 地球のこの回転のしかたは、いつも、横腹を太陽の方に向けるやうになつてゐますために、
片山広子
よる眠る前に、北の窓をあけて北の空を見ることが私のくせになつてしまつた。窓から二間ぐらゐ離れて、隣家の地主の大きな納屋が立つてゐる、むかし住宅であつたこの納屋は古くても立派な屋根をもつてゐる。その黒々とした大きな屋根の上を少しはづれたところに北斗の星がみえる。どこで見ても変らない位置のあの七つの星は納屋の屋根の真上からななめに拡がつて、いちばん遠い端のものは
寺田寅彦
北氷洋の氷の割れる音 寺田寅彦 一九三二年の夏の間に、シベリアの北の氷海を一艘のあまり大きくない汽船が一隊の科学者の探険隊を載せて、時々行く手をふさぐ氷盤を押し割りながら東へ東へと航海していた。しかしその氷の割れる音は科学を尊重するはずの日本へ少しも聞こえなかった。満州問題、五・一五事件、バラバラ・ミステリーなどの騒然たる雑音はわれわれの耳を聾していたのであ
内藤湖南
北派の書論 内藤湖南 清朝の近代即ち道光頃からして、書に南北兩派と云ふことが唱へられて、殊に北派の書が漸々流行し掛けて來た。此の北派の書を唱へ出した人は、多く學問の方から言ふと所謂漢學派(宋學に對する)に屬する人であつて、其の學問も既に當時の流行に乘じて、全盛を極めて居つた所に、又極めて人氣に投じて居る方法に依つて、書の方の議論にまで及ぼして來たから、唱へ始
竹内浩三
夜の大海原に 星もなく さぶい風が波とたたかい 吹雪だ 灯もない 吹雪だ あれくるう 北海 あれる ただ一つの生き物 ウキをたよりに 生きのび生きのびる人間 助かるすべも絶えた それでも 雪をかみ 風をきき 生きていた 生きていた やがて つかれはてて 死んだ ●図書カード
今野大力
旗がしきりにゆれている ハタハタと、又ハタハタと 時には風が吹いて来て ゴトンと音を立ててゆく 外はほんとに暗いのだ 自分よ、或る夜の事を思い出せ そしてぞうっと身ぶるえせ 今夜の雪は青白い すごい黒さが沁みている
小川未明
鈍い砂漠のあちらに、深林がありましたが、しめっぽい風の吹く五月ごろのこと、その中から、おびただしい白い蛾が発生しました。 一時、ときならぬ花びらの、風に吹かれたごとく、木々の枝葉に蛾がとまっていたのです。それは、また、ちょうど、降りかかった、冷たい雪のようにも見られました。 しかし、その深林は、蛾にとって、あまり好ましくなかった。夏にでもなれば、そこにはいろ
小川未明
昔、ある国に金持ちの王さまがありました。その御殿はたいそうりっぱなもので、ぜいたくのあらんかぎりを尽くしていました。支那の宝玉や、印度の更紗や、交趾の焼き物や、その他、南海の底から取れたさんごなどで飾られていました。そしてそのほか、古酒のつぼが並べられてあり、美しい女は、花のように御殿にいて王さまのお相手をして、琴や、笛や、妙なる鳴り物の音と朗らかな歌の声は
坪井正五郎
(明治二十年二月十三日本會第二十七會ニテ述ブ)坪井正五郎MS君は報告第十一号に「コロボックル果シテ北海道ニ住ミシヤ」と題する一編を載せて「此疑問ヲ决定討究スルハ我邦人類學上重要ノ事ト信ズレバ」云々と記されましたが私も左樣に考へますから此事に付いて思ふ所を述べやうと存じます MS君は北海道の諸地方から出る土器や石器をコロボックルのものとするなら之々の個條をも併
小林多喜二
十一月の半ば過ぎると、もう北海道には雪が降る。(私は北海道にいる。)乾いた、細かい、ギリギリと寒い雪だ。――チヤツプリンの「黄金狂時代」を見た人は、あのアラスカの大吹雪を思い出すことが出来る、あれとそのまゝが北海道の冬である。北海道へ「出稼」に来た人達は冬になると、「内地」の正月に間に合うように帰つて行く。しかし帰ろうにも、帰れない人達は、北海道で「越年(お
岸田国士
私が最初に北海道の土を踏んだのは、今から四十いく年か前のことで、たしか十六か十七の時であった。 父が九州小倉の師団から旭川へ転任になり、一家を挙げて新任地へ移って行ったので、当時東京中央幼年学校に在学中であった私は、夏休みに、まったく見知らぬ土地へ帰省することになったわけである。従って、父の在任中、ふた夏を北海道で過す機会を得たので、いくぶん土地との親しみも
中谷宇吉郎
北海道の首都札幌は、この二、三年来異常な建築ブームでたいへんな賑わいである。街の中心に近い地域では、到るところにビルの建設が進められ、発展途上にある米国南部の都市のような景観を呈している。 この札幌の近年の発展については、最近ちょっと驚いたことがある。たしか『北海道建築』とかいう題名だったが、北海道、主として札幌の建物を写した写真集が刊行されている。その写真
上村松園
北穂天狗の思い出 上村松園 懐しまれるのは去年の六月信州北穂の天狗の湯へ旅をしたときの思い出である。 立夏過ぎ一日二日、一行は松篁はじめ数人、私は足が弱いので山腹から馬の背をかりることにした。馬の背の片側にお炬燵のやぐらを結えつけ座蒲団を敷いて私がはいり、一方には重さの調節をとるようにいろいろの荷物をつけている、自分ながら一寸ほほえましい古雅な図である。馬子
宮本百合子
北へ行く 宮本百合子 斜向いの座席に、一人がっしりした骨組みの五十ばかりの農夫が居睡りをしていたが、宇都宮で目を醒した。ステイションの名を呼ぶ声や、乗客のざわめきで、眠りを醒されたという工合だ。窓の方を向いて窮屈に胡座をくんでいた脚を下駄の上におろしながら、精力的な伸びをした。二人づれの国学院の学生がその時入って来て、座席を物色した。車内は九分通り満員だ。二
山東京山
世之農商而嗜ム二文雅ヲ一者、或不レ知所三以ヲ文雅ノ為ル二文雅一、徒ラニ企二羨シ韻士墨客之風標ヲ一、沈二酣シ文酒ニ一、流二連シ花月ニ一、而置テ二生計於不問ニ一、以傾ル二産業ヲ一者、間亦有レ之、是豈嗜ムノ二文雅ヲ一罪ラン哉、其人特自ラ取ルレ之ヲ耳ノミ矣、鈴木牧之翁者北越塩沢之老農也、性嗜ミ二文雅ヲ一、而能尚ヒ二節倹ヲ一抑エ二驕惰ヲ一、不レ絶二誦読ヲ於経営之中ニ一
鈴木牧之
岩波文庫に収めた北越雪譜は不図も読書子の称賛を得て、昨年三月には第二刷を発行し、茲にまた第三刷を発行するに至つたのは校訂子の欣喜に堪へないところである。第二刷のときも、註解に若干の増補を為したが、今回は本書の完璧を期する為めに、書中の挿画全部を天保の初版によつてやり直した、雪譜初版刊行の年月に就ては、判然としない点がある、岩波文庫版の解説には、初篇の一を天保
山東京山
北越雪譜六巻越後塩沢ノ鈴木牧之老人雪窗囲ミレ炉ヲ寒燈隠ルノレ几ニ随筆ナリ、其事出テ二実脚ニ一徒ラニ非二構ヒレ空ヲ架スルレ虚ニ之談ニ一、然ドモ翁固リ不三必シモ期二於梓行ヲ一矣、嚮者ニ郵筒シテ懇二乞ス校正ヲ一、為レ之ガ芟二刈蕪蔓ヲ一二シ菁英ヲ一先ヅ輯メ二三巻ヲ一以為シ二初編ト一、告テレ翁ニ使ム三書肆文渓堂ヲシテ刊二布レ之一、然後越雪之奇千彙万状供シテ二臥遊ノ資ニ
山東京山
此書全部六巻、牧之老人が眠を駆の漫筆、梓を俟ざるの稿本なり。故に走墨乱写し、図も亦艸画なり。老人余に示して校訂を乞ふ。因て其駁雑を刪り、校訂清書し、図は豚児京水に画しめしもの三巻、書賈の請に応じ老人に告て梓を許し以世に布しに、発販一挙して七百余部を鬻り。是に依て書肆後編を乞ふ。然ども余が机上它の編筆に忙く屡稿を脱るの期約を失ひしゆゑ、近日務て老人が稿本の残冊
中谷宇吉郎
『北越雪譜』は、越後鹽澤の人、鈴木牧之翁が雪に埋れて暮した自分の周圍の生活について、折にふれて書きためた文章を、晩年において纒めたものである。議論もなく、所謂卓見もないが、當時における雪國の庶民の生活記録の集成として、まことに珍重すべき文獻である。 本來は民族學の資料として、價値のあるものであろうが、所々に入してある「科學的記述」の中にもいろいろ面白いものが