卑弥呼考
内藤湖南
後漢書、三國志、晉書、北史等に出でたる倭國女王卑彌呼の事に關しては從來史家の考證甚だ繁く、或は之を以て我神功皇后とし、或は以て筑紫の一女酋とし、紛々として歸一する所なきが如くなるも、近時に於ては大抵後説を取る者多きに似たり。今余が考ふる所は此の二者に異なる者あれば試みに左の序次により、其の所見を下に述べんとす。 一、本文の撰擇 二、本文の記事に關する我邦最舊
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内藤湖南
後漢書、三國志、晉書、北史等に出でたる倭國女王卑彌呼の事に關しては從來史家の考證甚だ繁く、或は之を以て我神功皇后とし、或は以て筑紫の一女酋とし、紛々として歸一する所なきが如くなるも、近時に於ては大抵後説を取る者多きに似たり。今余が考ふる所は此の二者に異なる者あれば試みに左の序次により、其の所見を下に述べんとす。 一、本文の撰擇 二、本文の記事に關する我邦最舊
小酒井不木
病室の一隅には、白いベッドの掛蒲団の中から、柳の根のように乱れた毛の、蒼い男の顔が、のぞいていた。その顔の下半分には、口だけが孔となって、厚い繃帯がかけられてあった。 ベッドの脇には干物のように痩せた男が立っていた。彼は兀鷹のように眼をぎょろつかせて、病人の不思議な感じのする顔をじっと睨んでいた。床頭台上に点ぜられた台附電灯の光が、緑色のシェードを通じて、ゼ
牧野信一
おゝ皆さん、今宵、この真夏の夜の夢の、いとも花やかなる私達の円卓子にお集りになつた学識に富み夢に恵まれ、且つまたゲルマン系の「冒険の歌」より他に歌らしい歌も弁へぬ南方の蛮人(私)を指命して一場の演説を所望なさるゝといふ最も趣味拡き紳士よ、淑女よ、私は立ち上りました、私はマルテン・ルーテルの祈りを口吟みながら立ち上りました――。「余は万事に就いて訂正を望まぬ、
田山花袋
心の手綱一たび弛めば、竟にはその身を亡ぼすに至る。これは普通誰も言ふことだが、作者の側にもそれを移して来ることが出来る。心に拠るものにして怪奇、荒誕に落ちざるものは稀である、怪奇、荒誕に落ちたるものにして猶まことの心を把持することは難い、心は縁り易くして達し難いものであることを知らなければならない。 心の偏つたのを何によつて牽制すべき? 曰く恋、曰く金、曰く
中谷宇吉郎
アメリカはドルの國で、何ごともすべて實用一點張の國である。學問にまでその傾向があって、たいていの研究は、皆はっきりした目的をもっている。その點、學問を實際に役立たせるには、非常に有利である。その半面、實用を全く離れた純粹な科學的研究は、こういう國では、育ちにくい。今までのアメリカの大發明といえば、ほとんどすべてが、歐洲で發見された原理なり現象なりを、アメリカ
斎藤茂吉
西暦一九二三年八月十三日、Rothmund 街八番地に貸間があるといふので日本媼の息子が案内してくれた。そこの女主は Prrtzl といつて、切りに訛のある言葉を使つた。左の方の顔面神経麻痺があるから笑ふたびに顔が右の方に歪んだ。部屋は古くて余り清潔ではないが、裏に面して一間、往来に面して一間ある。今は塞がつてゐるけれど、四五日経てばどれかが明くといふことで
坂口安吾
「ここの女主人は何者だろうな」 この家の前を通る時、波川巡査は習慣的にふとそう思う。板塀にかこまれた小さな家だが、若い女の一人住いで、凄い美人と評判が高い。 警察の戸口調査の名簿には「比留目奈々子二十八歳、職業ピアニスト」となっているが、ききなれない名前である。なるほど稀にピアノの音がすることもあったが、しょッちゅうシェパードらしい猛犬が吠えたてているので有
萩原朔太郎
歳まさに暮れんとして 兵士の銃劍は白く光れり。 軍旅の暦は夏秋をすぎ ゆうべ上海を拔いて百千キロ。 わが行軍の日は憩はず 人馬先に爭ひ走りて 輜重は泥濘の道に續けり。 ああこの曠野に戰ふもの ちかつて皆生歸を期せず 鐵兜きて日に燒けたり。 天寒く日は凍り 歳まさに暮れんとして 南京ここに陷落す。 あげよ我等の日章旗 人みな愁眉をひらくの時 わが戰勝を決定して
田中貢太郎
南北の東海道四谷怪談 田中貢太郎 一 伊藤喜兵衛は孫娘のお梅を伴れて、浅草観音の額堂の傍を歩いていた。其の一行にはお梅の乳母のお槇と医師坊主の尾扇が加わっていた。喜兵衛はお梅を見た。 「どうじゃ、お梅、今日はだいぶ気あいがよさそうなが、それでも、あまり歩いてはよろしくない、駕籠なと申しつけようか」 「いえ、いえ、わたしは、やっぱりこれがよろしゅうございます」
木暮理太郎
日本本島中部の大山脈である赤石山系、木曾山脈及び飛騨山脈は、今日普通に日本アルプスの名で呼ばれている。この名は明治の初年に主として飛騨山脈に足を踏み入れた外国人によって創唱されたものであることは疑いないが、その何人であるかは明らかでなかった。当時飛騨山脈の一部に足跡を印した外人には、ガウランド氏あり、サトウ氏あり、チャムバレーン氏あり、アトキンスン氏あり、そ
中島敦
昔、此の島に一人の極めて哀れな男がいた。年齢を数えるという不自然な習慣が此の辺には無いので、幾歳ということはハッキリ言えないが、余り若くないことだけは確かであった。髪の毛が余り縮れてもおらず、鼻の頭がすっかり潰れてもおらぬので、此の男の醜貌は衆人の顰笑の的となっていた。おまけに脣が薄く、顔色にも見事な黒檀の様な艶が無いことは、此の男の醜さを一層甚だしいものに
中島敦
今でもパラオ本島、殊にオギワルからガラルドへ掛けての島民で、ギラ・コシサンと其の妻エビルの話を知らない者は無い。 ガクラオ部落のギラ・コシサンは大変に大人しい男だった。其の妻のエビルは頗る多情で、部落の誰彼と何時も浮名を流しては夫を悲しませていた。エビルは浮気者だったので、(斯ういう時に「けれども」という接続詞を使いたがるのは温帯人の論理に過ぎない)又、大の
中島敦
南洋群島島民のための初等学校を公学校というが、或る島の公学校を参観した時のこと、丁度朝礼で新任の一教師の紹介が行われている所にぶつかった。其の新しい先生はまだ如何にも若々しく見えるのだが、既に公学校教育には永年の経験のある人だという。校長の紹介の辞についで其の先生が壇に上り、就任の挨拶をした。 「今日から先生がお前等と勉強することになった。先生はもう長いこと
新村出
文学博士 新村 出 今春琉球に関する一、二の古本を読んでから南島を思う情が切になり来った矢先に、伊波君の『古琉球』と題する南国の色彩豊かな著述がしかもその国の人の手に由って贈られたのは異常に嬉しかった。 森島中良の『琉球談』中に見える年中行事(むしろ歳時記)を読んだのは未だ寒い頃であったかと思う。 □二月十二日、家々にて浚井し女子は井の水を汲んで額を洗ふ、
豊島与志雄
一 少しいたずら過ぎたかな? だが、まあいいや。 その朝、室の有様は、おれの気に入った。 窓に引かれてる白いカーテンを通して、曇り日らしい薄明りが空の中に湛え、テーブルの上のスタンドの電燈が、いやにぼんやりしていた。殆んど何の装飾もない白いだだ広い室……。窓寄りのベットに、南さんが、顔まで毛布をかぶり、長髪を枕の上に乱して、死人のように眠っていた。テーブルの
田畑修一郎
南方 田畑修一郎 島へ來てもう一月近くになるが、なんて風の吹くところだらう。着いた最初の日、濱邊から斷崖の急坂をのぼつて、榛の木の疎林、椿のたち並んだ樹間の路を、神着村の部落まで荷物をつけた大きな牛の尻について歩いてゆくとき、附近の林、畑地の灌木などが爭つて新芽をふき出してゐるのを見て、又、路が上つたり下つたりして、とある耕作地の斜面のわきに出たとき、その傾
小川未明
北の方の町では、つばめが家の中に巣をつくることをいいことにしています。いつのころからともなく、つばめは、町の人々をおそれなくなりました。このりこうな鳥は、どの家が、朝早く起きて、戸を開けるか、またどの家には、どんな性質の人が住んでいるか、また、この家は、規律正しいかどうかということを、よく見ぬいていました。それでなければ、安心して、家の中に、巣はつくれなかっ
中村地平
九州山脈に源を発したO川は、黄濁した体で日向の国の平原をうねり、くねり、末は太平洋に注いでいる。三十六里もある長い川であるが、最後に黒潮と激突しようとする一線には、海岸線に沿った砂浜が、両方から腕のように延びてきて、中に深淵の入江を抱いている。 港というには面積がせまく、ハマオモトが固く根をはって点在している砂丘の垣ひとえ外には、小さな汽船ぐらいは忽ちひと呑
中谷宇吉郎
アルゼンチンからきた手紙に、南極の切手が貼ってあって、ちょいと驚いた。地球觀測年を控えて、ここのところ南極が大分人氣が出ている。 南極大陸は、世界各國が狙った形になって、けっきょくいまのところ、どこの國の領土にもなっていない。暫定的に、南極を中心にして、自分の國の經度間にある扇形の部分を、その勢力範圍としている。そうすると、アルゼンチンには、約五十度の頂角を
中谷宇吉郎
昨年の秋頃だったか、南極越冬中の西堀さんから、長文の電報がきた。文部省の南極観測本部を通じてきたもので、書翰箋一枚くらいの長い電報であった。内容は、雪の結晶形についての問合わせである。 西堀さんは、岩波から以前に出した、私の『雪の研究』を、南極へもって行っておられたらしく、第何図版第何百何十図の写真というふうに、結晶形を一々指摘して、それについて問合わせてき
押川春浪
南極の怪事 押川春浪 一 この怪異なる物語をなすにつき、読者諸君にあらかじめ記憶してもらわねばならぬ二つの事がある。その一は近頃ヨーロッパのある学者仲間で、地球の果に何か秘密でも見出さんとするごとく、幾度の失敗にも懲りず、しきりに南極探検船を出しておる事。その二は、いわゆる歴史の黒幕に蔽われたる太古、ぼうとして知るべからざる時代に、今は蛮地と云わるるアフリカ
久生十蘭
一九二八年(昭和三)の十二月二十九日、三発のフォッカー機で、西経百五十度の線を南極の極点に向って飛んでいるとき、南緯八十度附近の大氷原の上で、見せかけの花むらのような世にも鮮かな焔色したものがバード大佐の視覚をかすめた。 南極大陸はあたかも盛夏の候で、空は無窮の蒼さに澄み、雲の影ひとつなく、プリンクという南極氷原特有の光暈で彩られた無住の寒帯が、百万劫の静寂
勝海舟
詠詩 亡友南洲氏。風雲定ム二大是ヲ一。拂テレ衣ヲ故山ニ去ル。胸襟淡クシテ如シレ水ノ。悠然事トス二躬耕ヲ一。嗚呼一高士。只ダ道フ自ラ居ルトレ正ニ。豈ニ意ハン紊ルヲ二國紀ヲ一。不リキレ圖ラ遭ヒ二世變ニ一。甘ジテ受ントハ二賊名ノヲ一。笑テ擲チ二此ノ殘骸ヲ一。以テ付ス二數弟子ニ一。毀譽ハ皆皮相。誰カ能ク察セン二微旨ヲ一。唯ダ有リ二精靈ノ在ル一。千載存ス二知己ヲ一。
萩原朔太郎
ながい疾患のいたみも消えさり、 淺間の山の雪も消え、 みんなお客さまたちは都におかへり、 酒はせんすゐにふきあげ、 ちらちら緋鯉もおよぎそめしが、 私はひとりぽつちとなり、 なにか知らねど泣きたくなり、 せんちめんたるの夕ぐれとなり、 しくしくとものをおもへば、 仲よしの友だちうちつれきたり、 卵のごときもの、 菓子のごときもの、 林檎のごときものを捧げてま