右門捕物帖 22 因縁の女夫雛
佐々木味津三
1 ――その第二十二番てがらです。 場所は少しく飛んで、いわゆる江戸八宿のうちの一つの新宿。竹にすずめは仙台侯、内藤様は下がり藤、と俗謡にまでうたわれたその内藤駿河守の広大もないお下屋敷が、街道ばたに五町ひとつづきの築地べいをつらねていたところから、当時は内藤新宿といわれたものですが、品川の大木戸、ここの大木戸、共に読んで字のごとくその大木戸が江戸との境で、
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佐々木味津三
1 ――その第二十二番てがらです。 場所は少しく飛んで、いわゆる江戸八宿のうちの一つの新宿。竹にすずめは仙台侯、内藤様は下がり藤、と俗謡にまでうたわれたその内藤駿河守の広大もないお下屋敷が、街道ばたに五町ひとつづきの築地べいをつらねていたところから、当時は内藤新宿といわれたものですが、品川の大木戸、ここの大木戸、共に読んで字のごとくその大木戸が江戸との境で、
佐々木味津三
1 その二十三番てがらです。 時は真夏。それもお盆のまえです。なにしろ暑い。旧暦だからちょうど土用さなかです。だから、なおさら暑い。 「べらぼうめ、心がけが違うんだ、心がけがな。おいらは日ごろ善根を施してあるんで、ちゃあんとこういうとき、暑くねえようにお天道さまが特別にかばってくださるんだ。というものの――」 いばってみたが、伝六とて暑いのに変わりはないので
佐々木味津三
1 ――その第二十四番てがらです。 時は八月初旬。むろん旧暦ですから今の九月ですが、宵々ごとにそろそろと虫が鳴きだして、一年十二カ月を通じ、この月ぐらい人の世が心細く、天地蕭条として死にたくなる月というものはない。 だからというわけでもあるまいが、どうも少し伝六の様子がおかしいのです。朝といえばまずなにをおいても駆けつけて、名人の身のまわりの世話はいうまでも
佐々木味津三
1 その第二十五番てがらです。 事の起きたのは仲秋上浣。 鳶ノ巣山初陣を自慢の大久保彦左があとにも先にもたった一度詠んだという句に、 「おれまでが朝寝をしたわい月の宿」 という珍奇無双なのがあるそうですが、月に浮かれて夜ふかしをせずとも、この季節ぐらい、まことにどうも宵臥し千両、朝寝万両の寝ごこちがいい時候というものはない。やかまし屋で、癇持ちで、年が年じゅ
佐々木味津三
1 その第二十六番てがらです。 物語の起きたのは年改まった正月のそうそう。それも七草がゆのその七日の朝でした。起きても御慶、寝ても御慶の三カ日はとうにすぎたが、なにしろまだめでたいし、松の内はお昼勤めとお許しの出ているその出仕には時刻がまだ少し早いし、朝の間のそのひとときを、ふくふくとこたつに寝そべりながら、むっつり右門のお正月はやっぱりこれじゃといわぬばか
佐々木味津三
1 ――その第二十七番てがらです。 場所は芝。事の起きたのは、お正月も末の二十四日でした。風流人が江戸雪といったあの雪です。舞いだしたとなると、鉄火というか、伝法というか、雪までがたいそうもなく江戸前に気短なところがあって、豪儀といえば豪儀ですが、ちらりほらりと夜の引きあけごろから降りだしたと思ったあいだに、たちまち八百八町は二寸厚みの牡丹雪にぬりこめられて
佐々木味津三
1 ――その第二十八番てがらです。 「一ツ、三月十二日。チクショウメ、ふざけたまねをしやがる。女ノ女郎めが、不忍弁天サマ裏ニテ、お参リノ途中、腰ニ結ンデおったる、シゴキを盗み取られたとなり。くやしいが、ベッピンなり。昼間のことなれば、やいの、やいのと、呼ンダレド、呼ンダレド、だれも助けに来ねえとなり。いと怪し」 「一ツ、三月十三日。雨降ッテ、だんなのキゲンワ
佐々木味津三
1 その第二十九番てがらです……。 事の起きたのは四月初め。――もう春も深い。 小唄にも、浮かれ浮かれて大川を、下る猪牙船影淡く、水にうつろうえり足は、紅の色香もなんじゃやら、エエまあ憎らしいあだ姿、という穏やかでないのがあるとおり、江戸も四月の声をきくとまず水からふぜいが咲いて、深川あたり大川の里、女もそろそろ色づくが、四月はまた仏にも縁が深い。――花御堂
佐々木味津三
1 ――その第三十番てがらです。 事の起きたのは新緑半ばの五月初め。 さみだれにかわずのおよぐ戸口かな、という句があるが、これがさみだれを通り越してつゆになったとなると、かわずが戸口に泳ぐどころのなまやさしいものではない。へそまでもかびのただようつゆの入り、というのもまんざらうそではないくらい、寝ても起きても、明けても暮れても、雨、雨、雨、雨……女房と畳を新
佐々木味津三
1 その三十一番です。 江戸城、内濠の牛ガ淵。――名からしてあんまり気味のいい名まえではない。半蔵門から左へつづいたあの一帯が、今もその名の伝わる牛ガ淵ですが、むかしはあれを隠し井の淵ともいって、むしろそのほうが人にも世間にも親しまれる通り名でした。濠の底にありかのわからぬ秘密の隠れ井戸が六つあって、これが絶えずこんこんと水を吹きあげているために、その名が起
佐々木味津三
1 その第三十二番てがらです。 ザアッ――と、刷毛ではいたようなにわか雨でした。空も川も一面がしぶきにけむって、そのしぶきが波をうちながら、はやてのように空から空へ走っていくのです。 まことに涼味万斛、墨田の夏の夕だち、八町走りの走り雨というと、江戸八景に数えられた名物の一つでした。とにかく、その豪快さというものはあまり類がない。砂村から葛飾野の空へかけて、
佐々木味津三
1 その第三十三番てがらです。 朝ごとに江戸は深い霧でした……。 これが降りるようになると、秋が近い。秋が近づくと、江戸の町に景物が決まって二つふえる。角兵衛獅子に柳原お馬場の朝げいこ、その二つです。 トウトウトウトウ……ハイヨウハイヨウ……と、まだ起ききらぬ朝の静かな大気を破って、霧をかき分け、町を越えながら、朝ごとにけいこの声が柳原お馬場一帯につづくので
佐々木味津三
1 その第三十四番てがらです。 事の起きたのは九月初め。 蕭々落莫として、江戸はまったくもう秋でした。 濠ばたの柳からまずその秋がふけそめて、上野、両国、向島、だんだんと秋が江戸にひろがると、心中、川目付、土左衛門舟、三題ばなしのように決まってこの三つがふえる。もちろん、心中はあの心中、川目付は墨田の大川の川見張り、やはり死によいためにか、十組みのうち八組み
佐々木味津三
1 その第三十五番てがらです。 鼻が吹きちぎられるような寒さでした。 まったく、ひととおりの寒さではない。いっそ雪になったらまだましだろうと思われるのに、その雪も降るけしきがないのです。 「おお、つめてえ、ちきしょう。やけにまた寒がらしをきかしゃがらあ。だから、ものごとの正直すぎるってえのはきれえなんだ。たまには寒中にほてってみろよ。冬だからたって、なにもこ
佐々木味津三
1 その第三十六番てがらです。 事の起きたのは正月中旬、えりにえってまたやぶ入りの十五日でした。 「えへへ……話せるね、まったく。一月万歳、雪やこんこん、ちくしょうめ、降りやがるなと思ったら、きょうにかぎってこのとおりのぽかぽか天気なんだからね。さあ行きましょ、だんな、出かけますよ」 天下、この日を喜ばぬ者はない。したがって、伝六がおびただしくはめをはずして
佐々木味津三
1 その第三十七番てがらです。 二月の末でした。あさごとにぬくみがまして江戸も二月の声をきくと、もう春が近い。 初午に雛市、梅見に天神祭り、二月の行事といえばまずこの四つです。 初午はいうまでもなく稲荷まつり、雛市は雛の市、梅見は梅見、天神祭りは二十五日の菅公祭、湯島、亀戸、天神と名のつくほどのところはむろんのことだが、お社でなくとも天神さまに縁のあるところ
佐々木味津三
1 その第三十八番てがらです。 「ご記録係!」 「はッ。控えましてござります」 「ご陪席衆!」 「ただいま……」 「ご苦労でござる」 「ご苦労でござる」 「みなそろいました」 「のこらず着席いたしました」 「では、川西万兵衛、差し出がましゅうござるが吟味つかまつる。――音蔵殺し下手人やまがらお駒、ここへ引かっしゃい」 「はッ。心得ました。――浅草宗安寺門前、
ドイルアーサー・コナン
「そういえば資料がある。」と我が友人シャーロック・ホームズが言ったのは、冬のある夜のことで、我々は火を囲んで腰掛けていた。「念を押すが、ワトソン、一読の価値ありだ。ほら、くだんの『グローリア・スコット号』の怪事件の資料だ、特にこの文面は、治安判事のトレーヴァを読むなり戦慄させ死に至らしめたのだ。」 ホームズは引き出しから少し色あせた巻紙を取り出し、そのひもを
ドイルアーサー・コナン
「僕、ここに書類を持ってるんだがね……」 と、私の友人、シャーロック・ホームズは云った。それは冬のある夜のことで、私たちは火をかこんで腰かけていた。 「ワトソン君、これは君も一読しといていいものだろうと思うんだよ。そら例の『グロリア・スコット』の怪事件なんだが、それからこの手紙は、治安判事のトレヴォが、それを読んで、恐怖のため死んでしまった手紙なんだよ」 彼
国木田独歩
号外 国木田独歩 ぼろ洋服を着た男爵加藤が、今夜もホールに現われている。彼は多少キじるしだとの評がホールの仲間にあるけれども、おそらくホールの御連中にキ的傾向を持っていないかたはあるまいと思われる。かく言う自分もさよう、同類と信じているのである。 ここに言うホールとは、銀座何丁目の狭い、窮屈な路地にある正宗ホールの事である。 生一本の酒を飲むことの自由自在、
桑原隲蔵
司馬遷の生年に關する一新説 桑原隲藏 一 司馬遷が支那の學者達に推奬される程、それ程の大歴史家であるかは、一の疑問と思ふ。率直にいふと、私は彼の史才や史筆に就いて、飽足らなく感ずる點が尠くない。併し彼の作つた『史記』は支那歴史の正史の模範となり、支那の史學界、否更に廣く東亞諸國の史學界に、多大の裨益と影響を與へて居る。この點より觀れば、彼は正しく支那史學の開
北村透谷
各人心宮内の秘宮 北村透谷 各人は自ら己れの生涯を説明せんとて、行為言動を示すものなり、而して今日に至るまで真に自己を説明し得たるもの、果して幾個かある。或は自己を隠慝し、或は自己を吹聴し、又た自らを誇示するものあれば、自らを退譲するものあり、要するに真に自己の生涯を説明するものは尠なきなり。 哲学あり、科学あり、人生を研究せんと企つる事久し、客観的詩人あり
マンパウル・トーマス
ジョニイ・ビショップがおれに、ヤッペとド・エスコバアルとがなぐり合いをするから、見物に行こうじゃないかといった時、おれは大いに心をうごかした。 それは、夏休にトラアヴェミュンデに行っていた時のことで、ある蒸暑い日だった。陸軟風が吹いて、海は干潮でずっと引いていた。おれたちは小一時間ばかり水につかったあと、梁や板を組み合わせた水浴小屋の下の堅い砂の上に、船持ち
萩原朔太郎
にくしん、 にくしん、 たれか肉身をおとろへしむ、 既にうぐひす落ちてやぶれ、 石やぶれ、 地はするどき白金なるに、 にくしん、 にくしん、 にくしんは蒼天にいぢらしき涙をながす、 ああ、なんぢの肉身。 ――八月作―― ●図書カード