土淵村にての日記
水野葉舟
土淵村にての日記 水野葉舟 一 S君の家に着いた時には、もう夜がすっかり更けていた。 途中で寄り道をして、そこですっかり話し込んでしまったので、一里余りの道は闇の中をたどって来た。闇の中にひろびろと開けた、雪の平を通って来た。闇と言ってもぽっとどこか白々として、その広い平がかすかに見透かされる。そして寒い風が正面から吹きつける中を歩いて来たのだ。 歩いて来た
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水野葉舟
土淵村にての日記 水野葉舟 一 S君の家に着いた時には、もう夜がすっかり更けていた。 途中で寄り道をして、そこですっかり話し込んでしまったので、一里余りの道は闇の中をたどって来た。闇の中にひろびろと開けた、雪の平を通って来た。闇と言ってもぽっとどこか白々として、その広い平がかすかに見透かされる。そして寒い風が正面から吹きつける中を歩いて来たのだ。 歩いて来た
成島柳北
阮氏ノ褌ヲ曝スハ少シク激ニ失シテ長者ノ風無シ。生ノ腹ヲ曝スハ甚ダ傲ニ失シテ君子ノ笑ヲ免レズ。三伏ニハ唯ダ世俗ニ随ヒ、曝ス可キ物ヲ曝スゾ善ケレ。強ヒテ奇ヲ好ムハ何ノ用ニカ立ツ可キヤ。サレド万巻ノ書貯ヘタランニハ之ヲ曝ス日数モ重ナリテ、樟脳買フ銭モ夥シケレド、余ハ戊辰ノ変ニ愛ヲ割キテ尽ク売却シタレバ、今ハ唯ダ祖考ノ親写セルモノト校訂セシモノ而已ゾ存セリ。其他ハ皆
上村松園
昨年の夏だったか、京都の関係者が寄り合って友禅祭を催し、その所蔵品を持ち寄って一堂に陳列した事があった。私も見物に行ったが、流石に仙禅斎の代表作などたんと集っていて、なかなか美事な催しだった。いい図柄や色気のものがたんとあって、つい懐ろの写生帖を取り出しては、心覚えに縮図させられる気にさえなった程だった。 だんだん見物して行くと、あちらに誰か男の人が頻りに写
宮沢賢治
土神ときつね 宮沢賢治 (一) 一本木の野原の、北のはずれに、少し小高く盛りあがった所がありました。いのころぐさがいっぱいに生え、そのまん中には一本の奇麗な女の樺の木がありました。 それはそんなに大きくはありませんでしたが幹はてかてか黒く光り、枝は美しく伸びて、五月には白い花を雲のようにつけ、秋は黄金や紅やいろいろの葉を降らせました。 ですから渡り鳥のかっこ
宮沢賢治
土神と狐 宮沢賢治 (一) 一本木の野原の、北のはづれに、少し小高く盛りあがった所がありました。いのころぐさがいっぱいに生え、そのまん中には一本の奇麗な女の樺の木がありました。 それはそんなに大きくはありませんでしたが幹はてかてか黒く光り、枝は美しく伸びて、五月には白き雲をつけ、秋は黄金や紅やいろいろの葉を降らせました。 ですから渡り鳥のくゎくこうや百舌も、
佐左木俊郎
土竜 佐左木俊郎 一 灌木と雑草に荒れた叢は、雑木林から雑木林へと、長い長い丘腹を、波をうって走っていた。 茨の生える新畑は、谷から頂へ向けて、ところ斑に黝んでいた。 梅三爺の、一坪四銭五厘で拓く開墾区域は、谷のせせらぎに臨んで建った小屋の背後から続いていた。 今は緑の草いきれ。はちきれるばかりの精力に満ちた青草は、小屋の裏から起こるなだらかなスロープを、渦
ドイルアーサー・コナン
公表せんとして、このような短編を膨大な事件の山から選んで書く際の話だ。そういった事件では、我が友人の類稀なる才能のために、私は否応なく不思議な舞台の観客となり、時によってはその登場人物となってしまう。そのせいで書く際には我知らず失敗談よりも成功談が多くなる。だが何も彼の名声のためではない――正直なところ、思案に余るような場合こそ、彼の力とその器の大きさに賞賛
織田作之助
土足のままの文学 織田作之助 僕は終戦後間もなくケストネルの「ファビアン」という小説を読んだ。「ファビアン」は第一次大戦後の混乱と頽廃と無気力と不安の中に蠢いている独逸の一青年を横紙破りの新しいスタイルで描いたもので、戦後の日本の文学の一つの行き方を、僕はこの小説に見たと思った。終戦後大作家まで自分の作品を棚に上げたもっともらしい文学論を書いているが、凡百の
正岡子規
汝もといづくの辺土の山の土くれぞ。急須となりて茶人が長き夜のつれづれを慰むるにもあらねば、徳利となりて林間に紅葉を焚くの風流も知らず。さりとて来山が腹に乗りて物喰はぬ妻と可愛がられたる女人形のたぐひにもあらず。過去の因業いまだ尽きず、拙きすゑものつくりにこねられてかかる見にくき姿とはなりける。むつかしき頬ふくらしてひたすらに世を睨みつけたる愛嬌なさに前の持主
高村光太郎
土門拳はぶきみである。土門拳のレンズは人や物を底まであばく。レンズの非情性と、土門拳そのものの激情性とが、實によく同盟して被寫體を襲撃する。この無機性の眼と有機性の眼との結合の強さに何だか異常なものを感ずる。土門拳自身よくピントの事を口にするが、土門拳の寫眞をしてピントが合つているというならば、他の寫眞家の寫眞は大方ピントが合つていないとせねばならなくなる。
黒島伝治
土鼠と落盤 黒島傳治 一 くすれたような鉱山の長屋が、C川の両側に、細長く、幾すじも這っている。 製煉所の銅煙は、禿げ山の山腹の太短かい二本の煙突から低く街に這いおりて、靄のように長屋を襲った。いがらっぽいその煙にあうと、犬もはげしく、くしゃみをした。そこは、雨が降ると、草花も作物も枯れてしまった。雨は落ちて来しなに、空中の有毒瓦斯を溶解して来る。 長屋の背
豊島与志雄
在学理由 豊島与志雄 一 某私立大学の法学部で植民政策の講義を担任してる矢杉は、或る時、その学校で発行されてる大学新聞の座談会に出席したが、座談会も終り、暫く雑談が続き、もう散会という間際になって、まだ嘗て受けたことのない質問を一人の学生から提出された。植民地に於ける言語というようなことが話題になってた後であるが言語から文章へとんで、現在日本の新聞や雑誌に掲
中原中也
なにゆゑに こゝろかくは羞ぢらふ 秋 風白き日の山かげなりき 椎の枯葉の落窪に 幹々は いやにおとなび彳ちゐたり 枝々の 拱みあはすあたりかなしげの 空は死児等の亡霊にみち まばたきぬ をりしもかなた野のうへは あすとらかんのあはひ縫ふ 古代の象の夢なりき 椎の枯葉の落窪に 幹々は いやにおとなび彳ちゐたり その日 その幹の隙 睦みし瞳 姉らしき色 きみはあ
中原中也
私は全ての有機体の上に、無数に溢れる無機的現象を見る。それは私に、如何しても神を信ぜしめなくては置かない所以のものである。 人間にとつての偶然も神にとつては必然。運命は即ち、その必然の中に握られてあり、吾等の意志の能力は即ちその必然より人間にとつての偶然を取除いた余の、所謂必然、その範囲に於て可能である。 私が今仮りに神の全てを見知したとする。然し私はそれを
野上豊一郎
パリの地下牢 野上豊一郎 Alas, then, is man's civilisation on'y a wrappage, through which the savage nature of him can still burst, infernal as ever? Nature still makes him: and has an Inferna
太宰治
地図 太宰治 琉球、首里の城の大広間は朱の唐様の燭台にとりつけてある無数の五十匁掛の蝋燭がまばゆい程明るく燃えて昼の様にあかるかつた。 まだ敷いてから間もないと思はれる銀べりの青畳がその光に反射して、しき通るやうな、スガ/\しい色合を見せて居た。慶長十九年。内地では豊臣の世が徳川の世と変つて行かうとして居る時であつた。首里の名主といはれて居る謝源は大広間の上
寺田寅彦
地図をながめて 寺田寅彦 「当世物は尽くし」で「安いもの」を列挙するとしたら、その筆頭にあげられるべきものの一つは陸地測量部の地図、中でも五万分一地形図などであろう。一枚の代価十三銭であるが、その一枚からわれわれが学べば学び得らるる有用な知識は到底金銭に換算することのできないほど貴重なものである。今かりにどれかの一枚を絶版にして、天下に撒布されたあらゆる標本
橋本五郎
地図にない街 橋本五郎 私にこの物語をして聞かせた寺内とかいう人は、きくところによると、昨年の十一月末、ちょうど私がこれを聞いて帰ったその日の夜七時頃、もう病気をつのらせて、自ら部屋の柱に頭を打ちつけて死んだのだそうである。 七時といえば私を送り出してから、まだ三時間とたっていない出来事である。世間話のうちにふとこれを伝えてくれた私の知人は、その時いつにない
片山広子
地山謙 片山廣子 Tが私のために筮竹や木を買つて来て、自分で易を立てる稽古をするやうすすめてくれたのは、もうずゐぶん古い話であつた。お茶やお花のやうに易のお稽古をするといふのも変な言ひかたであるけれど、初めのうち私はほんとうに熱心にその稽古を続けてゐた。易の理論は何も知らず、内卦がどうとか外卦がかうだとか予備知識をすこしも持たず、ただ教へられたまま熱心にやつ
キャロルルイス
アリスはあっきあきしてきた、池のほとり、お姉さまのそばですわってるのも、何もしないでいるのも――ちらちらお姉さまの読んでる本をのぞいてみても、さし絵もかけ合いもないから、本のねうちはどこ、とアリスは思う、さし絵もかけ合いもないなんて、って。だから物思いにふけるばっかり(といってもそれなり、だって日ざしぽかぽかだとぼんやりねむくなってくるし)、デイジーの花輪作
久生十蘭
モスクワの科学翰林院は、第二次五カ年計画期間中における文化的国家事業として、三つの企画をあげ、国民教育省および国家計画委員会を通じて中央委員会に提出し、第八回連邦ソヴィエト大会で承認された。 三つの計画のうち最初の二つは次のようなものであった。 1 計画・Л―北極洋冬季航路開発。 2 計画・Ч―北極圏横断飛行、「スターリン空路」の開拓。 「計画・Ч」の「北極
福士幸次郎
眞青な海のうへに夏のやうでもなく、秋のやうでもなく、慥かに春の日がその華かさが更に、烈しいとでも言ひたい位の正午の光を受けて、北海道通ひの蒸汽船が二艘、遙か遠くを煙りを吐いて走つてゐる。わたしは今にその玩具のやうに小さいながら、黒びかりする船の姿と、吃水面際の赤い彩り、薄くたなびいた煙り、またはこれ等一切を取りまく、春光のもとの明色の濃い海の青を、三十何年來
坂口安吾
地方文化の確立について 坂口安吾 農村は淳朴であるといふことが過去の常識であつたけれども、近頃では農民ぐらゐ我利々々なものはないと云つて都会の連中は恨んでゐる。どちらが果して真実であるかといへば、之は大きな問題で、然し、先づ我々が第一に反省しなければならないことは、農村は淳朴だときめてかゝつて一向に深い考察を加へなかつた思考の不足に禍根があつたといふことであ
中井正一
終戦の混乱から広島県の東部地方がその身辺を整理しはじめたのは昨年の九月中旬頃からであった。図書館もその本を疎開先より帰し、館の汚れた窓ガラスを拭き終えたのは九月の末頃であった。これから疲れはてた青年達をして、この昏冥の意識の中から、立上らしめるきっかけを与えるには何うしたらよいであろうか。次から次に、マックアーサー司令部から与えられつつある自由を、真実の姿を