堀辰雄のこと
佐藤春夫
堀辰雄とは何時から交際をはじめたらうか。さういふ事にかけては割合に記憶の悪くないわたくしだが、あまり明確には思ひ出せない。多分まだ「驢馬」の同人であつたころ彼があまりあざやかな文学上の特性を現はさないころ、芥川家で偶然に落ち合つた青年の一人として彼を最初に見たためではあるまいか。それならば一時にあまり沢山に同じやうな人びとを見たために印象がぼやけてしまつたの
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佐藤春夫
堀辰雄とは何時から交際をはじめたらうか。さういふ事にかけては割合に記憶の悪くないわたくしだが、あまり明確には思ひ出せない。多分まだ「驢馬」の同人であつたころ彼があまりあざやかな文学上の特性を現はさないころ、芥川家で偶然に落ち合つた青年の一人として彼を最初に見たためではあるまいか。それならば一時にあまり沢山に同じやうな人びとを見たために印象がぼやけてしまつたの
坂口安吾
半年のうちに世相は変った。醜の御楯といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変
坂口安吾
敗戦後国民の道義頽廃せりというのだが、然らば戦前の「健全」なる道義に復することが望ましきことなりや、賀すべきことなりや、私は最も然らずと思う。 私の生れ育った新潟市は石油の産地であり、したがって石油成金の産地でもあるが、私が小学校のころ、中野貫一という成金の一人が産をなして後も大いに倹約であり、停車場から人力車に乗ると値がなにがしか高いので万代橋という橋の袂
織田作之助
報酬 織田作之助 家には一銭の金もなく、母親は肺病だった。娘の葉子は何日も飯を食わず、水の引くようにみるみる痩せて、歩く元気もなかったが、母親と相談して夜の町へ十七歳の若さを売りに行くことにした。母親も昔そんな経験があったのだ。 夜、葉子は町角でおずおずと袖を引いたが、男は皆逃げ出した。それ程葉子は醜かったのだ。おまけに乾いた古雑巾のように薄汚い服装をしてい
根岸正吉
十二時間の勤めを終えて わざわざ郊外からやって来たのだ。 山を下り川を越え はるばる足尾からやって来たのだ。 それを此儘追返すとは ものの解らぬにも程がある。 「諸君! 開けずんばこんな門 たたき壊して這入ろうじゃないか」 言葉半ばに魔の手は延びて 猛り狂いつ捕われて 暗き方へと引かれ行く。 「……森も林も武装せよ、 石よ何故飛ばざるか……」 革命の歌うすれ
河井酔茗
「堺へいなう、堺へいなう」 深夜、安土城の庭から 奥の寝室に聞えてくる声 移し植ゑたばかりの 妙国寺の蘇鉄 毎夜のやうに言ふ 信長は手討にしなかつた 「あの蘇鉄を 堺へ帰してやれ」 話のついでに―― 「晶子さん あなたは堺へ帰りたいと思ひませんか」 「いいえ よく出てきたと思ひます」 堺は古い街だ 古い街から 新しい人が生れた 晶子さんは、また 黙つて堺へ帰
沖野岩三郎
ばべるの塔 沖野岩三郎 まだ、電話も電信も、なんにもない、五六千年も、まへのおはなしです。 ひろいひろい、のはらを、みつけた男がありました。あまり、けしきがよいので、そのまんなかに、一けんの家を、たてました。すると、いつのまにか、われもわれもと、そこへ、何十万の人が、あつまつて来て、五六年めには、たいへん大きな、町になつて、しまひました。 ところが、ここへ、
宮原晃一郎
ラマ塔の秘密 宮原晃一郎 一 白馬の姫君 「ニナール、ちよつとお待ち」と、お父様のキャラ侯がよびとめました。ニナール姫は金銀の糸で、ぬひとりした、まつ赤な支那服をきて、ブレツといふ名のついたまつ白な馬にのつて、今出かけようとするところでした。 「なんですの、お父様」と、ニナール姫はふりかへりました。 まだ十五になつたばかりですから、顔はほんの子供ですけれど、
牧野信一
「塚越の奴は、――教室でラヴ・レターを書いてゐたさうだ――。一体彼奴は、俺達のこれまでの忠告を、何と思つてゐやがるんだらう。失敬な奴だ。」 「彼奴は俺達を馬鹿にしてゐるんだ。その時だけは好い加減に点頭いてゐるが、肚では舌を出して嗤つてやがるんだ。」 「改心の見込はないかな?」 「断然――鉄拳制裁と仕よう。」 私が、自習室へ入つて行つた時に恰度其処では斯んな相
三遊亭円朝
塩原多助旅日記 三遊亭円朝 いや是は若林先生、さア此方へお這入んなさい。どうも久し振でお目に掛りました。裏猿楽町二番地へ御転住になつたといふ事でございますから、一寸お家見舞にあがるんですが、どうも何も貴方のお座敷へ出すやうな話がないので、つい御無沙汰致しました。時に斯ういふ話があるんです。是は貴方も御承知の石切河岸にゐた故人柴田是真翁の処へ私が行つて聞いた話
岩野泡鳴
鹽原日記 岩野泡鳴 十月廿七日、晴。急行で午後四時三十分頃に西那須驛に着した。實は、初めてのことで、而も急行は宇都宮より先きは黒磯でなければとまらぬやうに旅行案内には出てゐたので、正直に黒磯までの切符を買つたのだが、車上で人に教へられて西那須へ下りたのだ。 そこから自動車(乘り合ひ、一人前四圓)で五里半の道を四十五六分で鹽原の福渡りと云ふ温泉場へ來た。その途
小熊秀雄
塩を撒く 小熊秀雄 (一) 彼は木製玩具の様に、何事も考へずに帰途に着いた。 地面は光つてゐて、馬糞が転げて凍みついてゐた。 いくつか街角をまがり、広い道路に出たり、狭い道路に出たりしてゐるうちに、彼の下宿豊明館の黒い低い塀が見えた。 彼は不意にぎくりと咽喉を割かれたやうに感じた。 ――ちえつ、俺の部屋の置物の位置が、少しでも動かされてゐたら承知が出来ないぞ
北大路魯山人
塩昆布の茶漬け 北大路魯山人 私の語るのは、ことわるまでもなく趣味の茶漬けで、安物の実用茶漬けではない。そのつもりで考えていただきたい。 とは申しても、もともと昆布のことであるから、さして高価なものではない。ところで塩昆布だが、そこいらに売っているものでは、まず駄目だ。所詮、昆布がよくて、これを煮る醤油がよくなくては駄目なので、この点、売りものの仕入れ品など
豊島与志雄
塩花 豊島与志雄 爪の先を、鑢で丹念にみがきながら、山口専次郎は快心の微笑を浮かべた。 ――盲目的に恋する者はいざ知らず、意識的に恋をする者は……。 この、意識的に恋をするという自覚が、なにか誇らしいものと感ぜられたのである。そして今や、それにふさわしいだけの身づくろいが出来上りつつあった。 手の爪をみがくのが終りである。足の爪はもうきれいにつんであった。顔
小川未明
赤ん坊をおぶった、男の乞食が町へはいってきました。その男は、まだそんなに年をとったというほどではありませんでした。 男の乞食は、りっぱな構えをした家の前へきますと、立ち止まって、考え込みました。それから、おそるおそる門の中へ入ってゆきました。 「どうか、なにかやってくださいまし。」と、声をふるわせて頼みました。 しかし、家の中では、その小さい声が聞こえなかっ
南方熊楠
佛領西亞非利加のロアンゴの民、以前信ぜしは、其地の術士人を殺し咒して其魂を使ふに日々鹽入れず調へたる食を供ふ。魂に鹽を近くれば、忽ち其形を現じて其仇に追隨すれば也と(Ogilby,‘Africa,’ ap. Astley,‘Voyages and Travels,’ 1846, vol. , p. 230)。 本邦にも、何の譯と知らぬが、命日に死者に供ふる飯
中谷宇吉郎
戦争前の話であるが、京橋のあたりに、K鮨という鮨屋があった。材料がよいというので、たいへん評判がよかった。 亡くなった岩波さんは、人に御馳走をするのが道楽であって、よく方々へ連れていって、御馳走をしてくれたものである。K鮨もその一つであった。北海道から出てくると、東京の御馳走は、どれもこれもうまいし、それに味覚のそう発達していない私には、こういう御馳走は、少
北大路魯山人
さけとますとは、素人目には一見似たものではあるが、味から言えば、さけよりますの方がはるかに優る。 さけは淡塩があり、またやわらかいものがある。東京では、これらの中から自由に選択することができる。この中でさけの一番美味いのは、新巻と称するものである。新巻などの場合は、焼いたものを茶漬けにして食べるべきである。番茶ではちょっと不味いが、煎茶をかけての塩じゃけの美
寺田寅彦
塵埃と光 寺田寅彦 昔ギリシアの哲学者ルクレチウスは窓からさしこむ日光の中に踊る塵埃を見て、分子説の元祖になったと伝えられている。このような微塵は通例有機質の繊維や鉱物質の土砂の破片から成り立っている。比重は無論空気に比べて著しく大きいが、その体積に対して面積が割合に大きいために、空気の摩擦の力が重力の大部分を消却し、その上到るところに渦のような気流があるた
宮本百合子
塵埃、空、花 宮本百合子 今日などはもう随分暖い。昨夜一晩のうちに机の上のチューリップがすっかり咲き切って、白い木蓮かなどのように見える花弁の上に、黄色い花粉を沢山こぼしている。太い雌芯の先に濃くその花粉がついて、自然の営みをしているが、剪られた花故実を結ぶこともならない。空しき過剰という心持がしなくもなく、さしずめ悩ましき春らしい一つの眺めとも云うべきか、
小酒井不木
今年の夏は近年にない暑さが続きましたが、九月半ばになると、さすがに秋風が立ちはじめて、朝夕はうすら寒いくらいの気候となりました。わが少年科学探偵塚原俊夫君は、八月に胃腸を壊してからとかく健康がすぐれませんでしたが、秋になってからはすっかり回復して元気すこぶる旺盛、時々、私に向かって、 「兄さん、何かこうハラハラするような冒険はないかなあ。僕は近頃腕が鳴って仕
正岡子規
○こう生きて居たからとて面白い事もないから、ちょっと死んで来られるなら一年間位地獄漫遊と出かけて、一周忌の祭の真中へヒョコと帰って来て地獄土産の演説なぞは甚だしゃれてる訳だが、しかし死にッきりの引導渡されッきりでは余り有難くないね。けれど有難くないの何のと贅沢をいって見たところで、諸行無常老少不定というので鬼が火の車引いて迎えに来りゃ今夜にも是非とも死ななけ
正岡子規
墓 正岡子規 ○斯う生きて居たからとて面白い事も無いから、一寸死んで来られるなら一年間位地獄漫遊と出かけて、一周忌の祭の真中へヒヨコと帰つて来て地獄土産の演説などは甚だしやれてる訳だが、併し死にツきりの引導渡されツきりでは余り有難くないね。けれど有難くないの何のと贅沢をいつて見たところで、諸行無常老少不定といふので鬼が火の車引いて迎へに来りや今夜にも是非とも
田山花袋
銘々に、代り代り人生の舞台に出て行く形が面白いではないか。古来何千年の昔から人間がやつて来たと同じやうに、波の上に波が打寄せて来るやうに……。 我々は墓の上に墓を築きつゝあるのである。ロマン・ロオランが死者に逢ふといふことは自分の生を段々送つて行くことだと云つたが、実際さういふ気がする。父母の生活は年を経るに従つて次第に私達の心と胸とに蘇つて来る、父母も、又