夕の賦
末吉安持
仰げばみ空青く澄み、金星遙に霑ひて、神秘の御幕長く垂れ、闇の香襲々屋根に戸に、夕となりぬ月出ぬ。 夕となりぬ月出ぬ、雲のみ無心に靉靆て、烏は北枝の巣に帰り、狐は隣の穴を訪ひ、螢は燃えて河堤。 我もまた有情の男、若かうて夕に得堪へめや、詩ぐるほしき戸を避けて、倚るは誰が十九のやわ肌、力ゆらぎてあな強や。 夕となりぬ月出でぬ、ふりさけ見ればみ空には、自然の扉開か
Perpustakaan pengetahuan dunia domain publik
末吉安持
仰げばみ空青く澄み、金星遙に霑ひて、神秘の御幕長く垂れ、闇の香襲々屋根に戸に、夕となりぬ月出ぬ。 夕となりぬ月出ぬ、雲のみ無心に靉靆て、烏は北枝の巣に帰り、狐は隣の穴を訪ひ、螢は燃えて河堤。 我もまた有情の男、若かうて夕に得堪へめや、詩ぐるほしき戸を避けて、倚るは誰が十九のやわ肌、力ゆらぎてあな強や。 夕となりぬ月出でぬ、ふりさけ見ればみ空には、自然の扉開か
宮沢賢治
夕陽は青めりかの山裾に ひろ野はくらめりま夏の雲に かの町はるかの地平に消えて おもかげほがらにわらひは遠し ふたりぞたゞのみさちありなんと おもへば世界はあまりに暗く かのひとまことにさちありなんと まさしくねがへばこころはあかし いざ起てまことのをのこの恋に もの云ひもの読み苹果を喰める ひとびとまことのさちならざれば まことのねがひは充ちしにあらぬ 夕
小川未明
お庭の垣根のところには、コスモスの花が、白、うす紅色と、いろいろに美しく咲いていました。赤とんぼが、止まったり、飛びたったりしています。お母さんは、たんすのひきだしにしまってあった、浅黄木綿の大きなふろしきを出して、さおにかけ、秋の日に干していられました。ふろしきをひろげると、白く染めぬいた紋が見えました。 「お母さん、大きなふろしきですね。」と、もも子さん
北条民雄
外に出た友 北條民雄 「二三年、娑婆の風にあたつて来るよ。」 退院するY――を見送つて行くと、門口のところで彼はさう言つて私の手を握つた。 「うん、体、大切にしろ、な。」 と言つて、私はYの手を握りかへしてやつた。それ以上は何も言ふことがなかつた。手を放すとYは柊の垣に沿つて駅の方へ歩いて行つた。 Yの姿が見えなくなると、私はその足で眼科へ出かけた。Yとは、
小酒井不木
外務大臣の死 小酒井不木 一 「犯人は芸術家で、探偵は批評家であるという言葉は、皮肉といえば随分皮肉ですけれど、ある場合に、探偵たるものは、芸術批評家であるということを決して忘れてはならぬと思います」と、松島龍造氏は言った。 晩秋のある日、例の如く私が、松島氏の探偵談をきくべく、その事務室を訪ねると、ふと英国文豪トーマス・ド・キンセイの、『美術としての殺人』
岸田国士
外国語教育 岸田國士 今日、わが国における外国語の問題を考へるとすれば、およそ次の三点、即ち、この歴史的転換期に直面して外国語教育はいつたいどう取扱はるべきかといふこと、次には国際的な関係が一層複雑微妙になつて来たかういふ時代に、外国語の活用ないし利用がどんな状態にあるか、つまり日本人としていまどの程度に外国語を実際に生かして使つてゐるかといふこと、もう一つ
ゴーゴリニコライ
ある省のある局に……しかし何局とはっきり言わないほうがいいだろう。おしなべて官房とか連隊とか事務局とか、一口にいえば、あらゆる役人階級ほど怒りっぽいものはないからである。今日では総じて自分一個が侮辱されても、なんぞやその社会全体が侮辱されでもしたように思いこむ癖がある。つい最近にも、どこの市だったかしかとは覚えていないが、さる警察署長から上申書が提出されて、
坂口安吾
外套と青空 坂口安吾 二人が知り合つたのは銀座の碁席で、こんなところで碁の趣味以上の友情が始まることは稀なものだが、生方庄吉はあたり構はぬ傍若無人の率直さで落合太平に近づいてきた。庄吉は五十をすぎた立派な紳士で、高価な洋服の胸に金の鎖をのぞかせ、頭髪は手入れの届いたオールバックで、その髪の毛は半白であつたが、理智と決断力によつて調和よく刻みこまれた顔はまだ若
九鬼周造
外来語所感 九鬼周造 ついこの間のことである。私はあるところで「こよみ」を見せてほしいといった。すると「こよみ」とはあなたらしくもない。運勢でも調べるのですかと問われた。来月の某日が何曜日になるかを見たいのだと答えると、それならば「カレンダー」で間に合うでしょうというのである。私はなるほど「カレンダー」かなと思ったが、いくぶんか呆気にとられた。もっとも私自身
坂口安吾
外来語是非 坂口安吾 先日ある新聞にラジオだのアナウンサーだのといふ外来語を使用するのは怪しからんと論じてゐる人があつた。皇軍破竹の進撃に付随して、このやうな景気の良い議論が方々を賑はし始めてゐるけれども、尤もらしく見えて、実際は危険な行き過ぎである。 皇軍の偉大な戦果に比べれば、まだ我々の文化は話にならぬほど貧困である。ラジオもプロペラもズルフォンアミドも
宮本百合子
外来の音楽家に感謝したい 宮本百合子 ジムバリスト氏の来朝や、アンナ・パヴロワ、近くパーロー女史等の来られた為め、私共芸術を愛する者は、各自の程度なりに、どの位得る処があったかわかりません。ジムバリストの絃の或る音や、「瀕死の白鳥」、或る小品の美が今も心に生きています。 フランス現代美術展覧会に陳列されたロダンの彫刻数点、クローデル嬢の作品も、深い感激を与え
黒島伝治
外米と農民 黒島傳治 隣家のS女は、彼女の生れた昨年の旱魃にも深い貯水池のおかげで例年のように収穫があった村へ、お米の買出しに出かけた。行きしなに、誰れでも外米は食いたくないんだから今度買ってきたら分けあって食べましょうと云って乗合バスに乗った。近所の者は分けて呉れることゝ心待ちに待っていたが、四五日しても挨拶がない。買って来たのは玄米らしく、精米所へ搗きに
岸田国士
外国へ行つて勉強したいといふ青年が、近頃非常に多い。ちよつと流行心理のやうな一面もなくはないが、しかし、それ以上に、なにか止み難い要求が必然的に湧きあがつてゐるやうにみえる。 曾つての時代にも、いはゆる洋行熱と称せられたもの、猫も杓子も西洋を廻つて来さへすれば、いつぱし大きな顔ができさうに思はれた風潮があつた。それと比べて、今日の外遊熱は、いくぶん、性質のち
林芙美子
多摩川 林芙美子 あまり暑いので、津田は洗面所へ顏を洗ひに行つた。洗面所には大きい窓があつたが、今日はどんよりして風ひとつない。むしむしした午後である。 「津田さん、お電話ですよ」 津田が呆んやり窓の外を眺めてゐると、女給仕が津田を呼びに來た。オフイスへ戻つて卓上の電話へ耳をあてると、 「津田さん? 津田さんでいらつしやいますか?」 と、女の優しい聲がしてゐ
太宰治
多頭蛇哲学 太宰治 事態がたいへん複雑になっている。ゲシュタルト心理学が持ち出され、全体主義という合言葉も生れて、新しい世界観が、そろそろ登場の身仕度を始めた。 古いノオトだけでは、間に合わなくなって来た。文化のガイドたちは、またまた図書館通いを始めなければなるまい。まじめに。 全体主義哲学の認識論に於いて、すぐさま突き当る難関は、その認識確証の様式であろう
原民喜
夜 原民喜 樟の大きな影が地面を覆って、薄暗い街燈が霧で曇ってゐた。雨に濡れた落葉がその辺には多い。月が雲の奔流に乗って、時々奇妙な光線を投げかける。そこは坂を登って、横に折れた路で、人はあんまり通らなかった。 しかし、今誰かやって来るらしい靴の音がきこえる。すると今度は反対の方角からまた靴の音がする。と、二つの音は互に一寸立留る。一方が立留ったのと同時に一
竹久夢二
夜 竹久夢二 日が暮れて子供達が寝床へゆく時間になったのに、幹子は寝るのがいやだと言って、お母様を困らせました。 「さあ、みっちゃんお寝みなさいな。雛鳥ももうみんな寝んねしましたよ」 お母様は、幹子に寝間着を着せながら仰言いました。 「みっちゃんが夕御飯たべてる時に、親鳥が コ コ コ って言って雛鳥を寝かしていましたよ」 「だってあたし眠くないんですもの」
宮沢賢治
かしはばやしの夜 宮沢賢治 清作は、さあ日暮れだぞ、日暮れだぞと云ひながら、稗の根もとにせつせと土をかけてゐました。 そのときはもう、銅づくりのお日さまが、南の山裾の群青いろをしたとこに落ちて、野はらはへんにさびしくなり、白樺の幹などもなにか粉を噴いてゐるやうでした。 いきなり、向ふの柏ばやしの方から、まるで調子はづれの途方もない変な声で、 「欝金しやつぽの
宮沢賢治
かしわばやしの夜 宮沢賢治 清作は、さあ日暮れだぞ、日暮れだぞと云いながら、稗の根もとにせっせと土をかけていました。 そのときはもう、銅づくりのお日さまが、南の山裾の群青いろをしたとこに落ちて、野はらはへんにさびしくなり、白樺の幹などもなにか粉を噴いているようでした。 いきなり、向うの柏ばやしの方から、まるで調子はずれの途方もない変な声で、 「欝金しゃっぽの
小川未明
都会から、あまり遠く離れていないところに、一本の高い木が立っていました。 ある夏の日の暮れ方のこと、その木は、恐ろしさのために、ぶるぶると身ぶるいをしていました。木は、遠くの空で、雷の鳴る音をきいたからです。 小さな時分から、木は、雷の怖ろしいのをよく知っていました。風をよけて、自分をかばってくれた、あのやさしいおじさんの大木も、ある年の夏の晩方のこと、目も
牧野信一
ふと、思つた――。 秋田の聯隊にゐる柏は今何をしてゐるだらうか、京都に行つてゐる松村は? 下総の取手に行つてゐる宮広は? 時計を見たら三時半(夜)だつた。 「グツスリと眠つてゐるだらう。」と思つた。と、眠つてゐるだらう、と思つたことが悪いやうな気がした。 取手へ行かう行かう、是非行つて見たい、などと上調子のやうな口調で自ら喋つておきながら……(下村が行つてゐ
竹内浩三
月が変圧器にひっかかっているし 風は止んだし いやにあつくるしい夜だ 人通りもとだえて 犬の遠吠えだけが聞こえる いやにおもくるしい夜だ エーテルは一時蒸発を止め 詩人は居眠りをするような いやにものうい夜だ 障子から蛾の死がいが落ちた ●図書カード
徳田秋声
彼は此頃だらけ切つた恋愛に引摺られてゐることが、ひどく憂鬱になつて来た。その日も彼女は娘をあづけてある舞踊家のF――女史のところへ、二三日うちにあるお浚ひのことで行くと言つて家を出かけるとき、 「帰りに武蔵野館に好い写真がかゝつてゐるといふから、ちよつと見て来ようと思ふの。先生もお差閊なかつたら、入らつしやいませんこと?」と彼を誘つた。 彼は以前は余り見なか
永井荷風
夜あるき 永井荷風 余は都会の夜を愛し候。燦爛たる燈火の巷を愛し候。 余が箱根の月大磯の波よりも、銀座の夕暮吉原の夜半を愛して避暑の時節にも独り東京の家に止り居たる事は君の能く知らるゝ処に候。 されば一度ニユーヨークに着して以来到る処燈火ならざるはなき此の新大陸の大都の夜が、如何に余を喜ばし候ふかは今更申上るまでもなき事と存じ候。あゝ紐育は実に驚くべき不夜城