天成の詩人
佐藤春夫
僕に「詩人馬鹿」といふ言葉がある。詩人は通例世俗人としては全くの無能力者であるが、その為人は純粋無垢だといふのである。天はその無垢を保護するつもりで詩人には世俗的な才能を与へなかつたのだといふ説である。「詩は別才也」といふ古人の語も同じ意であらうか。これ等の考へを如実に示す人として、自分はいつも室生犀星君を第一に思ひ出す。即ち自分の考へてゐる天成の詩人の典型
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佐藤春夫
僕に「詩人馬鹿」といふ言葉がある。詩人は通例世俗人としては全くの無能力者であるが、その為人は純粋無垢だといふのである。天はその無垢を保護するつもりで詩人には世俗的な才能を与へなかつたのだといふ説である。「詩は別才也」といふ古人の語も同じ意であらうか。これ等の考へを如実に示す人として、自分はいつも室生犀星君を第一に思ひ出す。即ち自分の考へてゐる天成の詩人の典型
チェーホフアントン
避暑がてら、士官の後家さんの別荘に間借りをしている画家のエゴール・サヴィチは、いま自分の部屋の寝床に腰かけて、朝のメランコリイに耽っている最中である。庭はもうすっかり秋の眺めになっている。重苦しい、すこぶる拙く出来あがった層雲が、折角の大空を台なしにしている。肌を刺し貫くような冷たい風が吹き、樹木は情なさそうな泣き面をして一方へばかり身をねじ曲げている。大気
小川未明
獣の牙をならべるように、遠く国境の方から光った高い山脈が、だんだんと低くなって、しまいに長いすそを海の中へ、没していました。ここは、山間の、停車場に近い、町の形をした、小さな村でありました。 その一軒の家へ、戦時中に、疎開してきた、家族がありました。からだの弱そうな男の子が、よく二階の窓から、ぼんやりと、彼方の山をながめて、なにか考えていました。季節が秋には
野村胡堂
「お嬢さん、あなたはヴァイオリンをひきますか」 隣席の西洋人は、かなり上手な日本語で、斯う信子に話しかけました。 「ハ、イーエ、私のでは御座いません、これは兄ので――」 信子は少しドギマギしながら、ヴァイオリンの革箱を椅子の上に置いて、心持顔を赧らめました。 身体も大きく、心持も大人びて居りますが、信子はまだほんの十六になったばかり、可愛らしい円顔にお河童で
坂口安吾
東洋大学の学生だったころ、丁度学年試験の最中であったが、校門の前で電車から降りたところを自動車にはねとばされたことがあった。相当に運動神経が発達しているから、二、三間空中に舞いあがり途中一回転のもんどりを打って落下したが、それでも左頭部をコンクリートへ叩きつけた。頭蓋骨に亀裂がはいって爾来二ヶ年水薬を飲みつづけたが、当座は廃人になるんじゃないかと悩みつづけて
坂口安吾
東洋大学の学生だつたころ、丁度学年試験の最中であつたが、校門の前で電車から降りたところを自動車にはねとばされたことがあつた。相当に運動神経が発達してゐるから、二三間空中に舞ひあがり途中一回転のもんどりを打つて落下したが、それでも左頭部をコンクリートへ叩きつけた。頭蓋骨に亀裂がはいつて爾来二ヶ年水薬を飲みつゞけたが、当座は廃人になるんぢやないかと悩みつゞけて憂
寺田寅彦
天文と俳句 寺田寅彦 俳句季題の分類は普通に時候、天文、地理、人事、動物、植物といふ風になつて居る。此等のうちで後の三つは別として、初めの三つの項目中に於ける各季題の分け方は現代の科學知識から見ると、決して合理的であるとは思はれない。 今日の天文學は天體、即、星の學問であつて氣象學とは全然其分野を異にして居るにも拘らず、相當な教養ある人でさへ天文臺と氣象臺と
寺田寅彦
天の河が無数の星の集合したものだという事は今日では誰も知っているが、何故にあのような帯状をなして密集しているかという事はちょっと分らぬ疑問である。この疑問はやがて天体の構造如何という事になるので、昔から幾多の天文学者の想像力を逞しうする種になっていた。ある人は天体の星は扁平な薄い長方形の中に散布していて、その中ほどに我が太陽系が居るものと想像した。こういう扁
狩野亨吉
天津教古文書の批判に先だち、私は如何なる因縁で天津教の存在を知つたか、又如何なる必要あつて其古文書を批判するか、この二點に就いて説明して置きたい。 昭和三年五月の末に、天津教信者の某々二氏が拙寓に訪れ、その寶物の寫眞を贈られ、兼てその本據地なる茨城縣磯原へ參詣を勸められた。私は寫眞を一見して、其原物の欺瞞性を感知し甚だ怪しからんことを聞くものかなと思つたが爭
今野大力
始皇よ 長城の如けん うねうねと連らなる山脈 駅路より駅路へ 人は人をたよりて 母を父を子を友を同胞を 旅するものの心つたえて 赤き逓送車のまわりゆくまで 極みなき地平の物語り出る物語り 丘に上り我は今日も 駅逓の旗を見ん (郷土は峡谷に馥郁たる香の花を秘めて 知られざる時代に埋もれゆくよ) 太古の儘なる森林に入りて もの思う男もあり 禿山の頂に立ちて 山脈
上司小剣
府立病院の二等室は、其の頃疊が敷いてあつた。竹丸の母は其の二等室に入つてから、もう四ヶ月の餘にもなる。一度竹丸をよこして呉れと、度々父への便りに言つて來たけれど、父は取り合ひもしなかつた。 千代松といふ子供のやうな名を有つて居る人があつた。四十二の厄年が七年前に濟んだ未の八白で、「あんたのお父つあんと同い年や」と言つてゐるが、父に聞くと、「やいや、乃公は亥の
寺田寅彦
「非常時」というなんとなく不気味なしかしはっきりした意味のわかりにくい言葉がはやりだしたのはいつごろからであったか思い出せないが、ただ近来何かしら日本全国土の安寧を脅かす黒雲のようなものが遠い水平線の向こう側からこっそりのぞいているらしいという、言わば取り止めのない悪夢のような不安の陰影が国民全体の意識の底層に揺曳していることは事実である。そうして、その不安
中谷宇吉郎
今日は二百二十日だが、九月一日の關東大震災記念日や、二百十日から、この日にかけては、寅彦先生の名言「天災は忘れた頃來る」という言葉が、いくつかの新聞に必ず引用されることになっている。 ところで、よく聞かれるのであるが、この言葉は、先生のどの隨筆にあるのかが、問題になっている。寅彦のファンは日本中にたくさんあって、先生の全集は隅から隅まで、何回となく繰り返して
中谷宇吉郎
今日は二百二十日だが、九月一日の関東大震災記念日や、二百十日から、この日にかけては、寅彦先生の名言「天災は忘れた頃来る」という言葉が、いくつかの新聞に必ず引用されることになっている。 ところで、よく聞かれるのであるが、この言葉は、先生のどの随筆にあるのかが、問題になっている。寅彦のファンは日本中にたくさんあって、先生の全集は隅から隅まで、何回となく繰り返して
寺田寅彦
今度仏国のリュミエール会社で天然色写真の種板を売り出した。ただ一枚の板で真物同様の色彩が写されるというのがこの種板の優れた特色である。風景なり人物なり、これで撮って適当な薬液で現像すれば蒼い空に浮く雲も、森の緑、野の花の黄紅白紫、ないしは美人の頬の桜色でもすぐに種板に現われるというのは愉快である。 同会社でこの発明に成効しいよいよ種板として売り出す今日までに
太宰治
暑い時に、ふいと思い出すのは猿簑の中にある「夏の月」である。 市中は物のにほひや夏の月 凡兆 いい句である。感覚の表現が正確である。私は漁師まちを思い出す。人によっては、神田神保町あたりを思い浮べたり、あるいは八丁堀の夜店などを思い出したり、それは、さまざまであろうが、何を思い浮べたってよい。自分の過去の或る夏の一夜が、ありありとよみがえって来るから不
海野十三
くろがね天狗 海野十三 師走三日 岡引虎松は、師走の三日をことのほか忌み嫌った。 師走の三日といえば、一年のうちに、僅か一日しかない日であるのに、虎松にとってはこれほど苦痛な日は、ほかに無かったのであった。そのわけは、旗本の国賀帯刀の前に必ず伺候しなければならぬ約束があったからである。 その年も、まちがいなく師走に入って、三日という日が来た。その頃、この江戸
牧野信一
今更申すまでもないことだが、まつたく人には夫々様々な癖があるではないか、貧棒ゆすりだとか爪を噛むとか、手の平をこするとか、決して相手の顔を見ないで内ふところに向つてはなしをするとか、無闇に莨を喫すとか――とそれこそ枚挙に遑はない。しかし私には他人目につくかの如き凡そ何んな類ひの癖も生来から皆無であつたのに、突然ちか頃になつて、これはまた凡そ他人目につき易い実
豊島与志雄
天狗笑 豊島与志雄 一 むかし、ある山裾に、小さな村がありました。村のうしろは、大きな森から山になっていまして、前は、広い平野にうつくしい小川が流れていました。村の人たちは、平野をひらいて穀物や野菜を作ったり、野原に牛や馬を飼ったりして、たのしく平和にくらしていました。 村の人たちは皆仲よしでした。それで、子供たちも皆お友だちでした。大人たちがたんぼや牧場で
豊島与志雄
天狗の鼻 豊島与志雄 一 むかし、ある所に大きな村がありました。北に高い山がそびえ、南に肥沃な平野がひかえ、一年中暖かく日が当って、五穀がよく実り、どの家も富み栄えて、人々は平和に楽しく暮らしていました。 ところがこの村に、不思議なことが起こってきました。夕方たんぼから帰ってきて、いろんなごちそうをこしらえて、一家揃って楽しい食事をしようとしますと、どこから
富沢赤黄男
爛々と虎の眼に降る落葉 冬日呆 虎陽炎の虎となる 凝然と豹の眼に枯れし蔓 日に憤怒る黒豹くろき爪を研ぎ 馬馳ける冬まんだらの雲の影 寒雷や一匹の魚天を搏ち からたちの冬天蒼く亀裂せり
坂口安吾
天皇小論 坂口安吾 日本は天皇によつて終戦の混乱から救はれたといふが常識であるが、之は嘘だ。日本人は内心厭なことでも大義名分らしきものがないと厭だと言へないところがあり、いはゞ大義名分といふものはさういふ意味で利用せられてきたのであるが、今度の戦争でも天皇の名によつて矛をすてたといふのは狡猾な表面にすぎず、なんとかうまく戦争をやめたいと内々誰しも考へてをり、
坂口安吾
天皇陛下にさゝぐる言葉 坂口安吾 天皇陛下が旅行して歩くことは、人間誰しも旅行するもの、あたりまえのことであるが、現在のような旅行の仕方は、危険千万と言わざるを得ない。 「真相」という雑誌が、この旅行を諷刺して、天皇は箒である、という写真をのせたのが不敬罪だとか、告訴だとか、天皇自身がそれをするなら特別、オセッカイ、まことに敗戦の愚をさとらざるも甚しい侘しい
富田倫生
青空文庫に収録された著作権切れ作品は、誰もが、世界のどこからでも自由に引き落とし、さまざまに活用できる。二〇〇五年一〇月で、その数は四九〇〇点を越えた。当初想定していたパソコンでの利用に加え、作品は、携帯電話やゲーム機、各種の小型電子機器でも読まれるようになった。視覚障碍者は、音声に変換して聞く。点字の元データとしても、ファイルは使われる。一九九七年夏の開設