学界の純粋支持者として
戸坂潤
学界というものをごく狭く理解して、研究室や研究所に直接関係がある世界のことだとすると、私は今日では全く学界の外の人である。私は研究所の嘱託でも研究員でもなければ、大学の教室の助手でも助教授でもない。私は所長や教授会の御気嫌をうかがったり、主任教授の命じた結果を出すような研究をやったり、論文を捏ね上げて学位を取ったり、する必要はない。従って誰が自分より先に教授
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戸坂潤
学界というものをごく狭く理解して、研究室や研究所に直接関係がある世界のことだとすると、私は今日では全く学界の外の人である。私は研究所の嘱託でも研究員でもなければ、大学の教室の助手でも助教授でもない。私は所長や教授会の御気嫌をうかがったり、主任教授の命じた結果を出すような研究をやったり、論文を捏ね上げて学位を取ったり、する必要はない。従って誰が自分より先に教授
朝永三十郎
學究漫録 朝永三十郎 是れは實驗の結果ではなくして、唯、學究的の觀察に過ぎぬのであります。 一 苦に對する三種の態度 苦を脱するために苦に對する我々の態度に大凡三種の別があるだらうと思はれます。第一は苦をあきらめるのである。第二は苦と健鬪するのである。第三は苦を樂觀するのである。 途中で不意に風雨に遭ふ。傘はなし。雨宿りすべき家もない。立寄るべき樹陰もない。
津田左右吉
学問上の閲歴のようなものを書けという『思想』の編輯部からの話があった。これまでもあちこちから同じことをしばしば勧められたが、いつも書く気になれなかった。人に語るほどの閲歴もないし、久しい前のことは記憶もはっきりせず、その上に、じぶんのことを書くのは書きにくくもあるので、筆をとりかねたのである。それに、ぼくがいくらか学問上のしごとをしたとするにしても、その大部
夏目漱石
学者と名誉 夏目漱石 木村項の発見者木村博士の名は驚くべき速力を以て旬日を出ないうちに日本全国に広がった。博士の功績を表彰した学士会院とその表彰をあくまで緊張して報道する事を忘れなかった都下の各新聞は、久しぶりにといわんよりはむしろ初めて、純粋の科学者に対して、政客、軍人、及び実業家に譲らぬ注意を一般社会から要求した。学問のためにも賀すべき事で、博士のために
福沢諭吉
学者安心論 福沢諭吉 学者安心論 店子いわく、向長屋の家主は大量なれども、我が大家の如きは古今無類の不通ものなりと。区長いわく、隣村の小前はいずれも従順なれども、我が区内の者はとかくに心得方よろしからず、と。主人は以前の婢僕を誉め、婢僕は先の旦那を慕う。ただに主僕の間のみならず、後妻をめとりて先妻を想うの例もあり。親愛尽きはてたる夫婦の間も、遠ざかればまた相
宮沢賢治
学者のアラムハラドはある年十一人の子を教えておりました。 みんな立派なうちの子どもらばかりでした。 王さまのすぐ下の裁判官の子もありましたし農商の大臣の子も居ました。また毎年じぶんの土地から十石の香油さえ穫る長者のいちばん目の子も居たのです。 けれども学者のアラムハラドは小さなセララバアドという子がすきでした。この子が何か答えるときは学者のアラムハラドはどこ
斎藤茂吉
孫 斎藤茂吉 私のところに只今孫が二人居る。一人は昭和二十一年四月生れ、次ぎは昭和二十三年二月生れである。それゆゑ大きい方は今年数へ年五つになるわけだが、満で算へると年が減つて三つになり、小さい方は一つといふことになる。(この満で算へる新しい約束は、万国同等で、まことに結構である)。 この満で算へる計算の方法は、まだ馴れないので、ここしばらくは不便のやうにお
正宗白鳥
大至急話したいことがあるから、都合のつき次第早く來て下さいといふ母方の祖母さんの手紙を見ると、お梅はどんな大事件かと、夕餐の仕度を下女に任せて、大急ぎで俥に乘つて、牛込から芝の西久保まで驅け付けた。潛り戸を入つて敷石傳ひに玄關へ行くまで、耳を澄ましたが、家の中は何時ものやうにひつそりしてゐた。 一聲案内を乞うたが、誰れも出て來ないので、お梅は遠慮なしに上つて
寺田寅彦
我邦のような湿気の多い土地では、空が本当によく晴れ切って天の河原の砂も拾えそうな夜は年中でわずかしかない。先ず十二月から正月へかけて二ヶ月くらいなものであろう。天文学者はこの機を利用して観測に耽り、詩人宗教家はこの間に星月夜の美観を唱い造化の偉大を頌える事が出来る。それで時節柄天体の運動に関する最新の大発見をちょっとここで読者に御紹介しておきたい。 小学校や
海野十三
宇宙尖兵 海野十三 作者より読者へ うれしい皇軍の赫々たる大戦果により、なんだかちかごろこの地球というものが急に狭くなって、鼻が悶えるようでいけない。これは作者だけの感じではあるまい。そこで、もっと広々としたところを見出して、思う存分羽根を伸してみたくなって、作者はここに本篇「宇宙尖兵」を書くことに決めた。 書き出してみると、宇宙はなるほど宏大であって、実は
中谷宇吉郎
宇宙旅行の夢くらい、素晴らしくて、又罪のない夢はない。そういう夢に、いよいよ実現の可能性が出てきたのならば、これは戦争の悪夢にうなされているわれわれには、何よりの清涼剤になるであろう。アメリカの海軍が、時速五千八百マイルのロケットを註文したことは、この可能性を実証するものだが、まず人工衛星をつくることが、宇宙旅行の第一歩である。これさえ出来れば、それを足場に
海野十三
宇宙の迷子 海野十三 ゆかいな時代 このゆかいな探険は、千九百七十何年だかにはじめられた。いいですか。 探険家はだれかというと、川上一郎君、すなわちポコちゃんと、山ノ井万造君、すなわち千ちゃんと、この二人の少年だった。 川上君は、顔がまるく、ほっぺたがゴムまりのようにふくらみ、目がとてもちいさくて、鼻がとびだしているので、まめタヌキのように、とてもあいきょう
田中貢太郎
牡丹の花の咲いたような王朝時代が衰えて、武家朝時代が顕れようとしている比のことでありました。土佐の国の浦戸と云う処に宇賀長者と云う長者がありました。浦戸は土佐日記などにも見えている古い土地で、その当時は今の浦戸港の入江が奥深く入り込んで、高知市の東になった五台山と呼んでいる大島や、田辺島、葛島、比島など云う村村の丘陵が波の上に浮んでいた。長岡郡の国府に在任し
寺田寅彦
宇都野さんの歌 寺田寅彦 ある一人の歌人の歌を、つづけて二、三十も読んでいると、自然にその作者の顔が浮んで来る。しかし作者によってその顔が非常にはっきり出て来るのと、そうでないのとがある。云わば作者の影の濃いと薄いとがある。 作者の本当の顔を知っている場合には、歌によって呼び出される作者の心像の顔は無論ちゃんと始めから与えられたものである。それにもかかわらず
佐藤春夫
二十一日午後十一時ごろ、すでに床について、まさに眠りが訪れようとしていたわたくしは二つの新聞社から起こされて、宇野君の訃に驚かされた。君が一年ばかり前から病臥していたことはもとより知っていた。しかし、元来ねばり強く壮健な体質で、時々病臥しながらすぐ元気になる君を知っていたから、その再起は疑わなかった。そうして病床を訪うこともないうちに君を失ったのは、はなはだ
豊島与志雄
守宮 豊島与志雄 私の二階の書斎は、二方硝子戸になっているが、その硝子戸の或る場所に、夜になると、一匹の守宮が出て来る。それが丁度、私の真正面に当る。硝子戸から二尺ばかり距てて机が据えてあり、机の上に電気スタンドが置かれているので、夜の光をしたしんで飛んでくる虫は、大抵、真正面の硝子戸に集り、その虫を捕獲に来る守宮も、随って、真正面のところに姿を現わすことに
中谷宇吉郎
先日安倍(能成)さんが見えていたと思ったら、もう今日屆いた『心』の五月號に、安倍さんを圍んでの皆さんの座談會の記事が載っていた。アメリカと日本との距離も、ずいぶん近くなったものである。 安倍さんは、非常に元氣で、方々アメリカを見て歸られたから、御土産話がたくさんあることと思うが、その中に決して出て來ない話を一つ紹介しよう。というのは、安倍さん自身が御存じのな
坂口安吾
安吾下田外史 坂口安吾 ハリスが通訳ヒュースケンを従え米国総領事の資格で下田に上陸したのは一八五六年九月三日(日本暦では八月五日)のことだ。なぜ下田に上陸したかというと、前にペルリが日本と薪炭条約を結んだ際、もしも後日両国合意の上領事を置くような場合には下田におくという取りきめがあったからである。 下田と江戸の陸上交通は山また山で非常に不便であるが、その不便
坂口安吾
まえがき 仕事の用で旅にでることが多いので、その期間の新聞を読み損うことが少くない。旅から戻ってきて、たまった古新聞を一々見る気持にもならないので、いろいろの重大ニュースを知らずに過していることがある。 そんな次第で、オール読物の編輯部からきた三ツの手記のうち、二ツの出来事はちょうど私が旅行中で、知らなかったものである。もっとも、一ツはラジオの社会の窓だそう
坂口安吾
男子は慰藉料をもらえないという話 婚姻予約不履行による慰藉料損害賠償請求事件の訴状 中央区京橋八丁堀、吉野広吉方でクリーニング業に従っていた原告、羽山留吉は、昭和二十三年六月八日新堀仲之助氏の口ききで被告中山しづと見合の上新堀、吉野両氏夫婦の媒酌で、同年八月十九日三越本店式場で結婚式をあげ事実上の婚姻予約をなした。 しづの姉婿、加藤律治氏は杉並でクリーニング
坂口安吾
妻を忘れた夫の話 山口静江(廿四歳) 『これが僕のワイフか? 違うなア』行方不明になって以来三ヶ月ぶりでやっと三鷹町井ノ頭病院の一室に尋ねあてた夫は取り縋ろうとする私をはね返すように冷く見据えて言い切るのでした。いくら記憶喪失中の気の毒な夫の言葉とはいえ余りの悲しさに、無心に笑っている生後五ヶ月の長女千恵子を抱いて思わずワッと泣き伏してしまいました。思い起
坂口安吾
人形をだく婦人の話 高木貴与子(卅四歳) 女礼チャン(六ツ)の事でございますか、動機と申しましても、さあ他人はよく最愛の子供を亡くしたとか、失恋して愛情の倚りどころを人形に托したと御想像になりますが、これといって特別な訳があるのではございません。丁度終戦直後、人形界の権威といわれる有坂東太郎先生について人形つくりを始めてから半年程してお嬢さんを亡くした知り
坂口安吾
悪人ジャーナリズムの話 平林たい子 おどろいた。胸を打たれてまとまった感想も浮かんで来ない。かぞえてみると私達は廿五、六年来の友人だが、めったにあわなかった。最近、婦人公論の集りで久しぶりに一緒になり、興奮して大いに語った。彼女は心臓の不安を訴えた。フランスにも行きたいが、この体では行かれないと言った。それから私に、フランスへ一緒に行こうとしきりにさそった。
坂口安吾
奈汝何 節山居士 抑々男女室に居るは人の大倫であり、鰥寡孤独は四海の窮民である。天下に窮民なく、人々家庭の楽あるは太平の恵沢である。家に良妻ある程幸福はない。私の前妻節子は佐原伊能氏の娘で、実に貞淑であり、私の成功は一にその内助に依り、その上二男三女を設けて立派に嫁婚を了えた。憾むらくは金婚式を拳ぐるに至らず、私の為に末期の水を取ると臨終の際まで言いつゞけ