お岩と与茂七
折口信夫
私などは、上方興行に出る「いろは仮名四谷怪談」風な演出になじんで来たのだから、多少所謂「東海道四谷怪談」では、気持ちのあはぬ所を感じる。但、いろは仮名の方の台本は見てゐないのだが、筋立てはちつとも変らない。にも拘らず、相当に舞台効果が違つてゐた印象を持つてゐる。 市川小団次の実子、故人斎入が、幾度か繰り返した夏狂言のお岩小平を数度見たのをはじめとして、上方系
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折口信夫
私などは、上方興行に出る「いろは仮名四谷怪談」風な演出になじんで来たのだから、多少所謂「東海道四谷怪談」では、気持ちのあはぬ所を感じる。但、いろは仮名の方の台本は見てゐないのだが、筋立てはちつとも変らない。にも拘らず、相当に舞台効果が違つてゐた印象を持つてゐる。 市川小団次の実子、故人斎入が、幾度か繰り返した夏狂言のお岩小平を数度見たのをはじめとして、上方系
沖野岩三郎
岩を小くする 沖野岩三郎 後村上天皇さまの皇子さまに、寛成さまと申すお方がございました。 まだ、ごく御幼少の時、皇子さまは、多勢の家来たちと、御一しよに、吉野川の上流、なつみの川岸へ、鷹狩を御覧においでになりました。 川岸には、大きな岩があつて、その上に、松の木が一本、枝ぶり美しく、生えてゐました。 寛成の皇子さまは、それが大へん、お気に入つたとみえ、おそば
岩波茂雄
岩波文庫論 岩波茂雄 編集部より岩波文庫について語れとの話ですから、思いつくままを申し上げます。現在は文庫時代ともいってよいほど各種の廉価版が行なわれ、どこにおいても欲しいものが自由に求められることになっているが、今より十数年前は予約出版の円本が流行して一世を風靡したのである。この流行によって学芸が一般に普及した功績は認めねばならぬが、また一方、好ましくない
野呂栄太郎
拝啓 残暑かえって厳しき折柄いよいよ御清健のことと拝察賀び奉り候。 さて、「日本資本主義発達史講座」の件に関し、昨日編輯会議を開き、先日差上げたる私案及び貴店編輯部案を参酌して大体のことを決定仕り候間諸種の点に関し御懇談仕りたく、御多忙中恐縮に存じ候得共、御序の節にでも御来駕を煩わし得れば幸甚に御座候処御都合如何に御座候也。もっとも問題は主として編輯及び出版
野呂栄太郎
拝啓前略 先日は失礼仕りました、講座の方は着々進行しておりますから御安神願います。 さて逸見重雄君の奥様が何かで生活費の一部なりとも稼ぎたいと申すのでございますが、校正の仕事にでも御雇い願えれば幸と存じますが、御都合如何でございましょうか? 逸見君は産業労働調査所の仕事に没頭しているのですが、この方からは殆んど生活費が得られず、翻訳等によっているのですが、昨
萩原朔太郎
いろ青ざめて谷間をはしり、 夕ぐれかけてただひとり、 岩をよぢのぼれるの手は鋼鐵なり、 ときすべて液體空氣の觸覺に、 山山は茜さし、 遠樹に光る、 わが偏狂の銀の魚、 したたるいたみ、 谷間を走りひたばしる、 わが哀傷の岩清水、 そのうすやみのつめたさに、 やぶるるごとく齒をぬらす、 やぶるるごとく齒をぬらす。 ●図書カード
岸田国士
本誌の読者は「夫婦百景」の筆者獅子文六が、同時に岩田豊雄であることぐらいはご承知であろう。その夫人静子さんが、急な病いで亡くなられた。四十四歳といえば、まだ人生を終るには早く、夫君が今後ますます多くの傑作を書かねばならぬように、夫人もまた、将来にさまざまな期待と希望とを抱いて、この春を迎えようとしていたにちがいない。 私は岩田君ともつとも親しい友人の一人とし
岸田国士
一九二三年(大正十二年)九月一日、例の関東震災で東京の劇場はことごとく灰になつた。が、翌年の三月には早くも新劇の胎動が始まつた。最も代表的なものはいうまでもなく築地小劇場の旗挙げであるが、その傍らで、いくぶん違つた道を進もうとしたいくつかの小さなグループの一つに、新劇協会という劇団があり、当時、帝国ホテル演芸場と呼ばれていたささやかなホールで、細々と公演をつ
島崎藤村
岩石の間 島崎藤村 懐古園の城門に近く、桑畠の石垣の側で、桜井先生は正木大尉に逢った。二人は塾の方で毎朝合せている顔を合せた。 大尉は塾の小使に雇ってある男を尋ね顔に、 「音はどうしましたろう」 「中棚の方でしょうよ」桜井先生が答えた。 中棚とはそこから数町ほど離れた谷間で、新たに小さな鉱泉の見つかったところだ。 浅間の麓に添うた傾斜の地勢は、あだかも人工で
佐藤垢石
岩魚 佐藤垢石 一 石坂家は、大利根川と榛名山と浅間火山との間に刻む渓谷に水源を持つ烏川とが合流する上州佐波郡芝根村沼之上の三角州の上に、先祖代々農を営む大地主である。この三角州は幕末、小栗上野が官軍の東上に抗することの不可能であるを知って、江戸城を脱け出し、金櫃に似た数個の箱を運んで上総国行徳地先から舟に乗って家来十人ばかりと共に所領の上州群馬郡三の倉の邸
蔵原伸二郎
――宋青磁浮紋双魚鉢―― 五月のあかるい昼さがり あまりに生の時間が重いので 私はひとり青磁の鉢を見ている 空いろの底に 二匹の岩魚が見えたりかくれたり すぎる風に水がゆれると 岩魚の背もかすかに紅いろに光る また 水底をよぎる遠い宋時代の雲 ながい時間のかげりをひいて 愁いの淵に岩魚は ねむり 時に目を醒まして はねると いつのまにか蒼天をおよいでいる
萩原朔太郎
瀬川ながれを早み、 しんしんと魚らくだる、 ああ岩魚ぞはしる、 谷あひふかに、秋の風光り、 紫苑はなしぼみ、 木末にうれひをかく、 えれなよ、 信仰は空に影さす、 かならずみよ、おんみが靜けき額にあり、 よしやここは遠くとも、 わが巡禮は鈴ならしつつ君にいたらむ、 いまうれひは瀧をとどめず、 かなしみ山路をくだり、 せちにせちにおんみをしたひ、 ひさしく手を
田中貢太郎
村の男は手ごろの河原石を持って岩の凹みの上で、剥いだ生樹の皮をびしゃびしゃと潰していた。その傍にはまだ五六人の仲間がいて潰した皮粕を円めて笊の中へ入れたり、散らばっている樹の皮を集めてその手許に置いてやったりした。 そこは木曾の御嶽つづきの山の間で、小さな谷川の流れを中にして両方から迫って来た山塊は、こっちの方は幾らか緩い傾斜をして山路なども通じているが、む
牧野信一
いつまでつゞくか、仮寝の宿――わたしは、そのとき横須賀に置いた家族から離れて湘南電車で二駅離れた海ふちの宿にゐた。東京からあそびに来てゐる若い友達のRと、文学と人生のはなしに耽つてゐると、飛行機の爆音が、屋根裏にとゞろいて、耳を聾し、はなし声を消して、ふたりは黙劇の人物のやうに、眼を視合せたり、上眼をつかつたりするだけだつた。 窓に乗り出して、さかさまに見る
国枝史郎
岷山の隠士 国枝史郎 1 「いや彼は隴西の産だ」 「いや彼は蜀の産だ」 「とんでもないことで、巴西の産だよ」 「冗談を云うな山東の産を」 「李広の後裔だということだね」 「涼武昭王の末だよ」 ――青蓮居士謫仙人、李太白の素性なるものは、はっきり解っていないらしい。 金持が死ぬと相続問題が起こり、偉人が死ぬと素性争いが起こる。 偉人や金持になることも、ちょっと
木村荘八
岸田劉生の日本画 木村荘八 これが森田恒友さんについての書きものならば、日本画とはいはずに水墨とするところであるが、岸田は「水墨」が似合ひでない。のみならず、岸田当人も絹紙に墨の仕事を特別の名で呼んだことがなく、たゞ日本画々々々といふ。森田さん風にこれを水墨といへば、これはまた言外に文人画の意味をこめてゐるやうである。その文人画の意味も岸田の場合には特別の匂
蔵原伸二郎
冬の日がかんかん照つていた 川岸の枯草の中から首だけ出して 八十九歳の老人が釣をしていた 釣竿をもつたまま 水に映るちぎれ雲の間をおよぐ 冬の魚たちと昔話をしながら 老人は死んでいた ちかちかと 日はかたむいていた 一匹の紋白蝶が よたよたと向う岸に渡つていつた 魚たちが老人を呼んでいた 赤い小さなうきが かすかな波紋をおこして 沈んだり浮いたりしている
桜間中庸
とて馬車 とろとろ 峠の眞晝よ ひらひら 蝶々よ 青い空だよ とろとろ かげろふ 白い道だよ ゐねむり とろとろ 馬車屋の爺さよ とろとろ お馬も 足並おそいよ お客も とろとろ 何だかとろとろ とろとろ 峠は 遠い道だよ ●図書カード
木暮理太郎
峠は「たむけ」の音便であるといわれている。そしてそれが山脈又は丘陵を横断する通路の最高所に与えられた名であることは、峠路即ち上り下りの路を坂と呼んでいることから推して疑いないようである。峠への上り口に坂下或は坂本又は坂元などいう地名のあることは、峠路を坂と称したことを語っているものであろう。つまり坂は道路に相当な或はそれ以上の勾配のある処をいい、其頂上が即ち
土田耕平
その時、太郎さんは七つ、妹の千代子さんは五つでありました。太郎さんはお父さんに背負われ、千代子さんはお母さんに背負われていました。 春三月とはいえ、峠の道は、まだきつい寒さでした。夜あけ前の四時ごろ、空にはお星さまが、きらきらと氷のようにかがやいています。山はどちらを見ても、墨を塗ったように真黒で、灯のかげ一つ見えません。お家を出てから、もう一里あまり山の中
土田耕平
その時、太郎さんは七つ、妹の千代子さんは五つでありました。太郎さんはお父さんに背負はれ、千代子さんはお母さんに背負はれてゐました。 春三月とはいへ、峠の道は、まだきつい寒さでした。夜あけ前の四時ごろ、空にはお星さまが、きら/\と氷のやうにかゞやいてゐます。山はどちらを見ても、墨を塗つたやうに真黒で、灯のかげ一つ見えません。お家を出てから、もう一里あまり山の中
中里介山
「峠」という字 中里介山 「峠」という字は日本の国字である。日本にも神代から独得の日本文字があったということだが、それは史的確証が無い、人文史上日本の文字は、支那から伝えられたものであって、普通それを漢字と云っているが、日本で創製した文字もある、片仮名や平仮名はそれであって、寧ろ国字といえば、この仮名文字こそ国字であるが、普通に国字といえば、仮名を称せずして
ビアスアンブローズ
マカーガー峡谷は、インディアン山から、まっすぐに九マイル西北の地点にある。峡谷とはいうものの、じつはあまり高くもない、木のはえた二つの尾根にはさまれたくぼみにすぎず、上流の口から下流の口まで――峡谷も河とおなじように、それ自身の構造をもっていて、かみてとしもてがある――長さ二マイル以上ではなく、幅も十二ヤード以上のところは、一ヵ所しかない。というのは、冬は流
新美南吉
島で、或あさ、 鯨がとれた。 どこの家でも、 鯨を食べた。 鬚は、呻りに、 売られていつた。 りらら、鯨油は、 ランプで燃えた。 鯨の話が、 どこでもされた。 島は、小さな、 まづしい村だ。 (註。鯨の鬚は、凧の呻りに用ゐられます。) ●図書カード