「市の無料産院」と「身の上相談」
宮本百合子
「市の無料産院」と「身の上相談」 宮本百合子 今日、東京朝日新聞を見たら、フトこういう記事に目がとまりました。 近く市が建設する理想的な無料産院 貧しい人々の間に差しのべる温かい救いの施設 これは耳よりな話だ。そう思って読んで見ると、その無料産院というのは、予算十二万円。建物二百坪。コンクリートの二階建て、産院は細民カードに登録された家庭の婦人をお産の前後二
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宮本百合子
「市の無料産院」と「身の上相談」 宮本百合子 今日、東京朝日新聞を見たら、フトこういう記事に目がとまりました。 近く市が建設する理想的な無料産院 貧しい人々の間に差しのべる温かい救いの施設 これは耳よりな話だ。そう思って読んで見ると、その無料産院というのは、予算十二万円。建物二百坪。コンクリートの二階建て、産院は細民カードに登録された家庭の婦人をお産の前後二
木下杢太郎
市街を散歩する人の心持 木下杢太郎 東京の市街を、土曜日の午後あたり、明日は日曜だといふ安心で、と見かうみ、ぶらぶら歩るくほど楽しみなものはない。たとへば神田の五軒町あたりは、広い道の両側に柳の並木、日にきらめける鉄条の上をけたたましい電車の嵐、と思つて一寸道傍の店先を覗くと赤く汚れた温い硝子戸を越してお七、吉三の古い錦絵、その隣を乳房をあらはに髪を梳る女、
豊島与志雄
ある港町の、港と停車場との間の、にぎやかな街路に、市郎の店はありました。店といっても街路の上の屋台の夜店で、その夜店のほんのかたはしなのです。 そのへんは、船や汽車の旅人がたくさんゆききするところで、また、町の人がたくさんであるくところです。それで、夜になると、いろいろな夜店がたちならびました。 市郎の夜店は、市郎のお母さんが出していたものです。いろいろな絵
坂口安吾
凡そ退屈なるものの正体を見極めてやらうと、そんな大それた魂胆で、私はこの部屋に閉ぢ籠つたわけではないのです。それとは全く反対に、凡そ憂鬱なるものを忘却の淵へ沈め落してしまほふと、それは確かに希望と幸福に燃えて此の旅に発足したのでした。それも所詮単なる決心ではありますが――とにかく其の心掛けは有つたのです。勿論初めのうちは、時々は散歩に出掛ける心持にもなつたも
小川未明
夏の晩方のことでした。一人の青年が、がけの上に腰を下ろして、海をながめていました。 日の光が、直射したときは、海は銀色にかがやいていたが、日が傾くにつれて、濃い青みをましてだんだん黄昏に近づくと、紫色ににおってみえるのでありました。 海は、一つの大きな、不思議な麗しい花輪であります。青年は、口笛を吹いて、刻々に変化してゆく、自然の惑わしい、美しい景色に見とれ
岸田国士
希望 岸田國士 私は不勉強で行動主義の何であるかといふことを今日まで余り注意しないでボンヤリしてゐた。唯行動主義といふ言葉で自分勝手の概念を作つてゐたやうなわけで、非常に誤つた考へ方をしてゐたかも知れない。がかりにその言葉だけから考へても、私にとつて全く魅力のない言葉ではなかつた。といふのは、長い間ものを書いて衣食としてゐながら、今日の自分の生活に充されない
高祖保
「――宇宙は、単にタアオラの殻にすぎない」(ゴオガン) 一と夜。あらしの怒号が落ちてきた。 この湖中に、一隻の汽船が沈められた。 朝。わたしは見た。マストだけが湖面に二つの手をさしあげてゐる。それは、わたしの双の手に肖て、空な足掻きを仕つくして、倦い厳粛のしづもりに返つたといつたありさま。 けふも湖のほとりにあつて、追はれるもののごとく、右顧左眄しながらわた
加福均三
希臘及び羅馬と香料 加福均三 希臘の大昔には美しい『にほひ』は神聖なる存在として貴ばれた。そして香料に関しての諸般の知識は美の神アフロディーテの使ひ女エオーネの無分別から人間界に過つて伝へられたと云はれて居る。それは兎も角も、昔の希臘では上流人は特に香料を愛好し、毎日香油を身体にぬる風習があり、従つて希臘全盛時代に於ける香料の消費額は莫大なものであつた。神々
竹久夢二
太郎「鶴がカアカアつて啼いてるの、あれ泣いてるんですか、おぢさん」おぢさん「泣てるんぢやない、うれしくて歌つてるんです。ほらあの雄の鶴がカアつていうとすぐ雌の鶴がカアカアつていうだろう。そら、ね。カア、カアカア、カア、カアカアつてね」太郎「おかしいなあ、それぢや二疋で合奏してるんですねえ」おぢさん「ほうら、また向でもはじめた」 お山の お山の 兎太郎さん お
永井荷風
帝国劇場のオペラ 永井荷風 哀愁の詩人ミュッセが小曲の中に、青春の希望元気と共に銷磨し尽した時この憂悶を慰撫するもの音楽と美姫との外はない。曾てわかき日に一たび聴いたことのある幽婉なる歌曲に重ねて耳を傾ける時ほどうれしいものはない、と云うような意を述べたものがあった。 わたくしが帝国劇場にオペラの演奏せられるたびたび、殆毎夜往きて聴くことを娯しみとなしたのは
福沢諭吉
我日本の政治に關して至大至重のものは帝室の外にある可らずと雖ども、世の政談家にして之を論ずる者甚だ稀なり。蓋し帝室の性質を知らざるが故ならん。過般諸新聞紙に主權論なるものあり。稍や帝室に關するが如しと雖ども、其論者の一方は百千年來陳腐なる儒流皇學流の筆法を反覆開陳するのみにして、恰も一宗旨の私論に似たり。固より開明の耳に徹するに足らず。又一方は直に之を攻撃せ
上村松園
帝展の美人画 上村松園 内緒でこっそりと東京まで帝展を見に行って来ました。 この頃の帝展はいつの間にか、私にはしっくりしないものになっているような気がします。誰の作品の何処がどうというのではありませんが、あの会場にみちあふれているケバケバしいものがいやだと思います。どぎつい岩ものをゴテゴテと盛上げて、それで厚味があるとかいう風に考えられてでもいるような作が、
寺田寅彦
帝展を見ざるの記 寺田寅彦 夏休みが終って残暑の幾日かが続いた後、一日二日強い雨でも降って、そしてからりと晴れたような朝、清冽な空気が鼻腔から頭へ滲み入ると同時に「秋」の心像が一度に意識の地平線上に湧き上がる。その地平線の一方には上野竹の台のあの見窄らしい展覧会場もぼんやり浮き上がっているのに気が付く。それが食堂でY博士の顔を見ると同時に非常にはっきりしたも
坂口安吾
帝銀事件を論ず 坂口安吾 帝銀事件はとくに智能犯というほどのものではないようだ。 この犯人から特別つよく感じさせられるのはむしろ戦争の匂いである。私は、外地の戦場は知らないのだが、私の住む町が一望の焼け野となり、その二カ月ほど後に再び空襲を受けて、あるアパートの防空壕へ五〇キロの焼夷弾が落ちた。中に七人の屈強な壮年工がはいっていて爆死したが、爆死といっても、
小山清
それは一冊の古ぼけたノートである。表紙には「わが師への書」と書いてある。あけると扉にあたる頁に「朝を思い、また夕を思うべし。」と書いてある。内容は一人の少年が「わが師」へ宛てて書き綴った手紙の形式になっている。これも青春の独白の一つであろう。以下その中の若干をここに抄録する。 先生、僕、ふと思うのですが、先生は鳥打帽がお似合いではないかしら。なんだかそんな風
上村松園
帯の巾が広すぎる 上村松園 只今では帯といっておりますが、慶長時代では巻物と申しておったようでございます。絹羽二重は二つ割りにして、又支那から渡来いたしました繻珍だの緞子などと申しますものは、三つ割りに致して用いておりました。その後鯨帯と申しますものが出来、これが変化して今日の帯となったのでございます。確かなことは申せませんが、享保年間の帯巾は五、六寸位であ
林芙美子
水気の多い南風が吹いていて、朝からごろごろ雷が鳴っていた。昼から雨になった。伊代は九太から手切れの金だと云って貰った四拾円の金を郵便局に貯金に行った。雨の中を傘もささずに歩きながら、伊代は足が地につかないような、ふわふわした気持ちであった。四枚の拾円札が貯金の通帳になってしまうと、手も足も風にぎとられて行ったような変な淋しさになった。心のうちには、夫婦ぐらし
松濤明
ピークハンティングに帰れ 松濤明 スポーツアルピニズムは登山界を風靡している。登山といえばまずスポーツ登山のことであり、国内の登山はもとより、未踏のヒマラヤへのエクスペディションすらこの範疇で行なわれようとする勢いである。事実、登山行動にはスポーツ的感興が常に伴うものであるが、それがわれわれの時代感情にマッチしたところに、スポーツ登山今日の隆盛は根ざしている
豊島与志雄
帰京記 豊島与志雄 大正十二年の夏、私は深瀬春一君と北海道を旅し、九月一日には函館の深瀬君の家にいた。午後になって、大地震の情報が達し始めた。その夜は待機の気持でねた。翌日午頃、津軽海峡の連絡船に身を託し、次で青森駅発の地震後最初の上野行急行に乗った。汽車は三日の夕刻浦和につき、それから先へは行かない。人間も荒川を越すことが禁ぜられている。浦和郊外に、当時三
亀井勝一郎
私の大和古寺巡礼は、まづ夢殿に上宮太子を偲び奉り、ついで法隆寺、中宮寺、法輪寺、薬師寺、唐招提寺、東大寺をめぐつて、最後はいつも新薬師寺で終るのであるが、これで飛鳥白鳳天平の主なる古寺はひととほり歩いたことになる。私は数年来これをくりかへしてきた。そのあひだに古寺や古仏に対する自分の態度にも様々の変化があつたし、さういふ心の起伏については随時述べてきたが、こ
太宰治
帰去来 太宰治 人の世話にばかりなって来ました。これからもおそらくは、そんな事だろう。みんなに大事にされて、そうして、のほほん顔で、生きて来ました。これからも、やっぱり、のほほん顔で生きて行くのかも知れない。そうして、そのかずかずの大恩に報いる事は、おそらく死ぬまで、出来ないのではあるまいか、と思えば流石に少し、つらいのである。 実に多くの人の世話になった。
田山花袋
歸國 田山花袋 一 一行は樹立の深く生茂つた處から、岩の多い、勾配の高い折れ曲つた羊齒の路を喘ぎ喘ぎ登つて行つた。ちびと綽名をつけられた背の低い男が一番先に立つて、それから常公、政公、眇目の平公、子供を負つた女もあれば、木の根に縋り付いて呼吸をきらして登つて行く女もある。年寄もあれば、若い者もある。一行總て十五六人、誰も皆な重さうに荷物を負つて手には折つた木
水野葉舟
帰途 水野葉舟 一 三月二十七日――陸中のこの山間の村一帯に雪にまじって雨が降った。 その雨で、しだいに解けてきていた、薄い雪の下から黒い土がところどころに見え出した。――一冬通して、土の上をすっかりつつんで積っていた雪が、ところどころに黒い土を見せて来た。黒ずんだ色をして立っている山の林がどことなく灰色になって来た。しんとした、凍った空から、倦んだような光
竹内浩三
あなたは かえってきた あなたは 白くしずかな箱にいる 白くしずかな きよらかな ひたぶる ひたぶる ちみどろ ひたぶる あなたは たたかった だ 日は黒ずみ くずれた みな きけ みな みよ このとき あなたは ちった 明るく あかくかがやき ちった ちって きえた 白くしずかに きよらかに あなたは かえってきた くにが くにが 手を合す ぼくも ぼくも