汽車
平山千代子
汽車 平山千代子 小学校を卒業した春休み、おばあ様とお母様と節ちやんと洋ちやんと、湯ヶ原の門川温泉へ行つたことがある。三、四日を面白く暮して、いよいよ帰る日だつた。 随分混んでるので、――夕方六時ごろかしら、――もう、うす暗いころ、熱海発の汽車で帰ることにして、いつもの様に早めに驛へ行つた。蜜柑やら、キビ餅やらのおみやげがあつて荷物は小さいのが大分あつた様に
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平山千代子
汽車 平山千代子 小学校を卒業した春休み、おばあ様とお母様と節ちやんと洋ちやんと、湯ヶ原の門川温泉へ行つたことがある。三、四日を面白く暮して、いよいよ帰る日だつた。 随分混んでるので、――夕方六時ごろかしら、――もう、うす暗いころ、熱海発の汽車で帰ることにして、いつもの様に早めに驛へ行つた。蜜柑やら、キビ餅やらのおみやげがあつて荷物は小さいのが大分あつた様に
竹内浩三
ゴットン ゴットン 汽車が行く ケムリをはいて 汽車が行く アレアレアレアレ 脱線だ お人形さんの 首が飛び キューピイさんの 手が飛んだ 死傷者優に三十個 オモチャの国の 大椿事 ●図書カード
豊島与志雄
ばかな汽車 豊島与志雄 ――長いあいだ汽車の機関手をしていた人が、次のような話をきかせました。―― * 汽車の機関手をしていますと、面白いことや、あぶないことや、つらいことや、それはずいぶんいろんなことがありますが、そのうちでかわった話というのは―― そうですね……もうずっと昔のことです。汽車をうんてんして、ある山奥を、夜中に走っていました。機関車の前の方の
小川未明
ある田舎の停車場へ汽車がとまりました。その汽車は、北の方の国からきて、だんだん南の方へゆくのでありました。どの箱にも、たくさんな荷物が積んでありました。どこかの山から伐り出されたのであろう、材木や掘り出された石炭や、その他いろいろなものがいっぱいに載せられていました。その中の、一つの箱だけは、扉がひとところ開いていました。そして、その中には、黒い鉄のがっしり
小川未明
春風が吹くころになると、窓のガラスの汚れがきわだって目につくようになりました。冬の間は、ほこりのかかるのに委していたのです。裁縫室の窓からは、運動場の大きな桜の木が見えました。 「あの枝に花が咲くのは、いつのことか。」と、ちらちらと雪の降る日に、外をながめながら思ったのが、はや、くっきりと枝全体にうす紅色を帯びて、さんご樹を見るような気がするのです。そして、
仲村渠
那覇港よ その海民よ 剽悍な気魄いまやなし ああ美しい贈りものを! 尾類が紅いどくを文身こむだらうよ 人魚の肌へ 鮫を、比目魚を、いらぶう、海豚を 市をめぐつて海の族が酔うて痴れて酔ひ痴れて おまへを誘ひにくるだらう 泡盛の匂ひを古酒を撒いて! 沈め沈め沈め海へ底へ おまへの市の石垣が魚城の砦に役立つ日が来た そこで午睡をするがよい! おまへの午睡に役立つ日
牧逸馬
沈黙の水平線 牧逸馬 1 嘗つてそんな船は存在もしていなかったように、何らの手懸りもなく、船全体から乗客、乗組員の全部が、そっくり其の儘、海洋という千古の大神秘に呑まれ去った例は、古来、かなりある。が、この行方不明船のなかでも、ここに述べる客船ワラタ号 The S.S Waratah の運命は、比較的近頃の出来事であり、そしてまた此の種の怪異のなかで最も有名
ポーエドガー・アラン
山嶺は眠り、谿谷、巉岩、洞窟は沈黙すアルクマン1 「おれの言うことを聴け」と鬼神はその手を予の頭にかけて言った。「おれの話すのはザイーレ河2のほとり、リビア3の荒涼たる地域のことだ。そこには平穏もなければ、沈黙もない。 河の水はサフラン色の病んだ色をしている。そして海の方へ流れずに、永久に永久に太陽の赤い眼の下で騒々しく痙攣するように波うっている。どろどろし
豊島与志雄
「沈黙」の話 豊島与志雄 寡黙の徳を讃えるのは、東洋道徳の一つであり、西洋道徳の一微分でもある。常にそうだとは云えないが、或る場合に於ては、寡言を金とすれば、饒舌は銅か鉄くらいのものだろうし、沈黙は金剛石ほどになるかも知れない。だからこれを逆に、或る場合に於ては、沈黙は無智であり、寡言は小智であり、饒舌は大智であると、モダーンな皮肉も云ってみたくなろうという
寺田寅彦
沓掛より 寺田寅彦 一 草をのぞく 浅間火山のすそ野にある高原の一隅に、はなはだ謙遜なHという温泉場がある。ふとした機縁からそこでこの夏のうちの二週間を過ごした。 避暑という、だれもする年中行事をかつてしたことのなかった自分には、この二週日の間に接した高原の夏の自然界は実に珍しいものばかりであった。その中でもこの地方のやや高山がかった植物界は、南国の海べに近
長谷川伸
〔序幕〕 第一場 博徒六ツ田の三蔵の家 第二場 三蔵の家の前 第三場 元の三蔵の家 第四場 再び家の外 第五場 三たび三蔵の家 〔二幕目〕 中仙道熊谷宿裏通り 〔大詰〕 第一場 同じ宿の安泊り 第二場 宿外れの喧嘩場 第三場 元の安泊り 第四場 宿外れの路傍 沓掛の時次郎 磯目の鎌吉 六ツ田の三蔵 酔える博労 女房おきぬ 亭主安兵衛 倅 太郎吉
折口信夫
秋の日は、沖縄島を憶ふ。静かに燃ゆる道の上の日光。島を廻る、果てもない青海。目の限り遥かな水平線のあたりに、必白く砕ける干瀬――珊瑚礁の波。私は、島の兄弟らが、今どんな新しい経験をしてゐるか、身に沁みて思ふのである。 島の寂しい生活も、も少し努力すれば、心だけは豊かにさせることが出来た筈であつた。元々、我々「本土日本人」と毫も異なる所なき、血の同種を、沖縄び
浜田青陵
一月五日夕日の光に映ゆる壯嚴な櫻島の山影を後に、山崎君等の舊知に送られて、鹿兒島の港を後にした私は、土地の風俗や言葉を話す奄美大島や沖繩へ歸る人々の多くと同船して、早くも南島の氣分に漂はされた。船の名も首里丸である。幸にも此の冬の季節には珍らしい穩かな航海を續けて、夜は船長や事務長から恐ろしいハブの話や、不思議な島々の話に聞入り、次の日に大島の名瀬の港に大嶋
折口信夫
沖縄の舞踊は、全体に、今常識的に、まひと称してゐるものと、をどりと称してゐるものとを兼ね備へてゐる。此、まひの要素は、古い、おもろあそび(巫女の鎮舞)の系統に、やまとの舞ひぶりを加へてゐる様だ。をどりといふべきものは、南島の更に南の海のあまたの島々のものを明らかに印象してゐる。而も、此中間に立つ舞踊が多い。やまとの緩やかな舞ひを南島流の早間に踊るものである。
野口雨情
なつかしいのは、故郷の土である。「沙上の夢」は、土の詩であり、私の故郷の詩である。 この集中に収めた作品の多くは、散逸してたづねようのなかつたのを保存して置いてくれた友人藤田健治氏の好意を、私は感謝にたへない。 大正十二年春 著者
中谷宇吉郎
今世紀の初頭から着手されたアメリカの綜合開発は、今日かがやかしい成果をあげている。その仕事の九割以上は、沙漠の征服にある。即ち水資源に乏しいアメリカでは、大きいダムを造って、雪解けの洪水を一度全部その貯水湖にため、その水を一年中を通じて大切に使うという新しい開発方式を採り、ついに、沙漠の征服に成功したのである。この開発の要点は、それで高いダムの建設という問題
国枝史郎
「……勿論あなたの有仰る通り学問の力は偉大です。世界の秘密を或る程度まで解剖することが出来ますからね。が併し偉大なその学問でも解釈することの絶対に出来ない不思議な事実が此の世の中に存在することも事実です。此の意味で私は此の世の中に幽霊のあることを信じます。理外の理ということをも信じます……それに就いて私は斯ういう事件を、私自身現在この耳で、私自身現在この眼で
国枝史郎
「君は王昭君をどう思うね?」 私は李白にこうきいてみた。 と、李白は盃を置いたが、 「まあK君これを見てくれたまえ」紙へサラサラと詩を書いた。 昭君払玉鞍。上馬※紅頬。 今日漢宮人。明朝胡地妾。 「成程」と私は薄ら笑いをしたが、 「ほんとに君はそう思っているのか?」 「こう思うより思いようがないよ」 「左様なら」と私は李白の家を出たが、その足で王安石の家を訪
原民喜
沙漠の花 原民喜 堀辰雄氏から「牧歌」といふ署名入りの美しい本を送つて頂いた。私は堀さんを遠くから敬愛するばかりで、まだ一度もお目にかかつたことはないのだが、これは荒涼としたなかに咲いてゐる花のやうにおもはれた。この小作品集を読んでゐると、ふと文体について私は考へさせられた。 明るく静かに澄んで懐しい文体、少しは甘えてゐるやうでありながら、きびしく深いものを
喜田貞吉
三善清行の「意見封事」に、延喜頃の人民が課役を避けんが為に出家して、天下の民三分の二は皆禿首というの状態となり、しかも彼らは貌も沙門の如く、心は屠児に似たりとある。「延喜式」にも濫僧・屠者と並べている。仏徒の仮面を被った賤者は甚だ多く、真の修行者と所謂濫僧との関係は、少くも外形上間髪を容れぬものであった。委細は他日発表してみたい。 ●図書カード
北大路魯山人
たくあんの話をしてみよう。 今日食べたたくあんは、加賀の山代でできたものである。わたしの知っているかぎりでは、山代産のたくあんが一等よいものだと思う。これは、だいこんが寒国でできたことが主なる原因だが、山代のは他のコツもあって伊勢のものとも違う。伊勢のも種類があり、いいものだが、山代のには及ばない。伊勢は産業として、大量に生産しているので、山代のようなウブな
岸田国士
沢氏の二人娘 岸田國士 沢 一寿 悦子 その長女 愛子 その次女 奥井らく 家政婦 桃枝 その子 神谷則武 輸入商 田所理吉 船員、悦子等の亡兄の友人 東京――昭和年代 一 某カトリツク療養院の事務長、元副領事、沢一寿(五十五歳)の住居。郊外の安手な木造洋館で、舞台は白ペンキ塗のバルコニイを前にした、八畳の応接間兼食堂。 古ぼけた、しかし落つきの
中原中也
子供の時に、深く感じてゐたもの、――それを現はさうとして、あまりに散文的になるのを悲しむでゐたものが、今日、歌となつて実現する。 元来、言葉は説明するためのものなのを、それをそのまゝうたふに用うるといふことは、非常な困難であつて、その間の理論づけは可能でない。 大抵の詩人は、物語にゆくか感覚に堕する。 短歌が、ただ擦過するだけの謂はば哀感しか持たないのは、そ
宮本百合子
河上氏に答える 宮本百合子 河上氏の私に対する反ばくは一種独特な説諭調でなかなか高びしゃである、が、論点が混乱していて、多くの点が主観的すぎる。河上氏は私が「読者の声を拒絶し、封じ」「一切の批判をさしひかえ」させようとするかのように書いているが、全く事実に反する。この三年間、私は自分の仕事への数多くの批評に対して沈黙を守りすぎてきた。 文学作品は作品そのもの