Vol. 2May 2026

Buku

Perpustakaan pengetahuan dunia domain publik

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河井寛次郎氏の個展を観る

北大路魯山人

今年も高島屋であなたの陶器展を見せてもらいました。あなたは会場におられなかったようでした。 また例の病いを出して頭ごなしに言うわけではありませんが、あなたの作陶は土の仕事がまずいですね。高台などと来るとまるで成っていませんよ。 しかし、新しい好みの釉薬となると、これはいつもながら、あなたの独擅場だけあって、うまいものですね。ここまで来られたら、こんどは寂びた

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河井寛次郎近作展の感想

北大路魯山人

河井寛次郎氏の製陶もとうとう世の末になってしまった。作陶家として異様に大きく名を成したのは大正八、九年頃のように思うが、その後、今日までには長い製陶生活が続いているわけである。人の良い、職人風の無い、気易く付き合いの出来る彼は、その後継者たちに愛され、一部の新しき愛陶家によって彼の作業は支持され、先ず得意の中に老陶家の一人として、今日に及んだと見て間違いなか

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河原の対面

小寺菊子

それは春とは云つても、まだ寒い頃であつた。北の海から冷々としたうら寂しい風が吹いて来て、空にはどことなく冬のやうな底重い雲が低く垂れ込めてゐた。庭の植込みを囲んであつた「雪除」がやつと取外されて、濃い緑色をした蘇鉄や棕櫚竹などが、初めて身軽になつたといふ風に、おづ/\と枝を張り幹を伸して、快げに自分々々の身を持返した。さうして、時をり降りそゝぐ小雨が、しと/

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河水の話

小川未明

河水は、行方も知らずに流れてゆきました。前にも、また、後ろにも、自分たちの仲間は、ひっきりなしにつづいているのでした。そして、どこへゆくという、あてもなしに、ただ、流れている方に、みんなはゆくばかりでした。 前にいったものは、笑ったり、わめいたり、喜ばしそうに踊ったりしていました。はやく、まだ見ない、めずらしいことのたくさんある世界へゆきたいと、あせっている

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河沙魚

林芙美子

河沙魚 林芙美子 空は暗く曇って、囂々と風が吹いていた。水の上には菱波が立っていた。いつもは、靄の立ちこめているような葦の繁みも、からりと乾いて風に吹き荒れていた。ほんの少し、堤の上が明るんでいるなかで、茄子色の水の風だけは冷たかった。千穂子は釜の下を焚きつけて、遅い与平を迎えかたがた、河辺まで行ってみた。――どんなに考えたところで解決もつきそうにはなかった

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河童酒宴

佐藤垢石

河童酒宴 佐藤垢石 私の父親は、近村近郷きつての呑ん平であつた。いま、私も甚しい呑ん平である。子供のときから今日まで、六十余年の間呑み続けてきた。 母親は、少年の私が酒を呑むのを見ると、きつい叱言を喰した。だが、父は反対に奨励の傾向を持つてゐた。このごろ私は、一升九百二十五円といふ高価の酒を呑んで、生活の胸算用に苦しんでゐるのである。こんな高い酒にめぐり会は

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河豚のこと

北大路魯山人

ふぐのうまさというものは実に断然たるものだ、と私は言い切る。これを他に比せんとしても、これに優る何物をも発見し得ないからだ。 ふぐのうまさというものは、明石鯛がうまいの、ビフテキがうまいのという問題とはてんで問題が違う。調子の高いなまこやこのわたを持ってきても駄目だ。すっぽんはどうだと言ってみても問題が違う。フランスの鴨の肝だろうが、蝸牛だろうが、比較になら

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河豚は毒魚か

北大路魯山人

ふぐの美味さというものは実に断然たるものだ――と、私はいい切る。これを他に比せんとしても、これに優る何物をも発見し得ないからだ。 ふぐの美味さというものは、明石だいが美味いの、ビフテキが美味いのという問題とは、てんで問題がちがう。調子の高いなまこやこのわたをもってきても駄目だ。すっぽんはどうだといってみても問題がちがう。フランスの鵞鳥の肝だろうが、蝸牛だろう

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河豚食わぬ非常識

北大路魯山人

河豚食わぬ非常識 北大路魯山人 ふぐを恐ろしがって食わぬ者は、「ふぐは食いたし命は惜しし」の古諺に引っかかって味覚上とんだ損失をしている。その論拠の価値をきわめもせずに、うかうか古諺に釣り込まれ惜しくも無知的判断から、いやいや常識的判断から震え上がりその実、常識を失っている。 これらにむかってわれわれが冬季常食する天下唯一の美味、摩訶不思議の絶味であるふぐの

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河霧

国木田独歩

河霧 国木田独歩 上田豊吉がその故郷を出たのは今よりおおよそ二十年ばかり前のことであった。 その時かれは二十二歳であったが、郷党みな彼が前途の成功を卜してその門出を祝した。 『大いなる事業』ちょう言葉の宮の壮麗しき台を金色の霧の裡に描いて、かれはその古き城下を立ち出で、大阪京都をも見ないで直ちに東京へ乗り込んだ。 故郷の朋友親籍兄弟、みなその安着の報を得て祝

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河風

長谷川時雨

河風 長谷川時雨 江東水の江村の、あのおびただしい蓮が、東京灣の潮がさして枯れさうだといふ、お米も枯れてしまつたといふ、葛飾の水郷もさうして、だん/″\と工場町になるのだらう。龜井戸の後など汽車の窓からみると、紅白の花が可哀さうなほど汚ならしくぎら/″\した蓮田がある。 隅田川流域――たつた一筋の東京をつらぬく川、むかしは武藏下總のなかを流れた大川筋の、武藏

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河鱸遡上一考

佐藤垢石

鱸は八十八夜過ぎると、河に向うそうである。すると、かなり水温の低い頃から遡河をはじめるものと見える。 五月初旬というと、利根川は雪解水の出盛りである。分流江戸川へこの水が流れ込んで来るのはもちろんであるが当時上流地方に於ける水温は低い時で八度から九度、暖い日で十一度から十二度であるから、下流へ来るに従い次第に温まるにしろ、まだ人間が膝まで入れば、身ぶるいをす

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河鹿

尾崎士郎

川ぞいの温泉宿の離室に泊っている緒方新樹夫妻はすっかり疲れてしまった。彼等はお互いの生活の中から吸いとるかぎりのものを吸いとってしまっていた。愛することにも、憎むことにも彼等にとっては最早何の新しさも残っていなかった。彼等は全く同じ二つの陥穽の中に陥っているようなものだった。互いに、小さな感情で反撥し合うことと、残滓にひとしい小さな愛情の破片を恵み合うことと

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油地獄

斎藤緑雨

大丈夫まさに雄飛すべしと、入らざる智慧を趙温に附けられたおかげには、鋤だの鍬だの見るも賤しい心地がせられ、水盃をも仕兼ねない父母の手許を離れて、玉でもないものを東京へ琢磨きに出た当座は、定めて気に食わぬ五大洲を改造するぐらいの画策もあったろうが、一年が二年二年が三年と馴れるに随って、金から吹起る都の腐れ風に日向臭い横顔をだん/\かすられ、書籍御預り申候の看板

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「油地獄」を読む (〔斎藤〕緑雨著)

北村透谷

刑鞭を揮ふ獄吏として、自著自評の抗難者として、義捐小説の冷罵者として、正直正太夫の名を聞くこと久し。是等の冷罵抗難は正太夫を重からしめしや、将た軽からしめしや、そは茲に言ふ可きところならず、余は「油地獄」と題する一種奇様の小説を得たるを喜び、世評既に定まれりと告ぐる者あるにも拘らず、敢て一言をまんとす。 「油地獄」は「小説評註」と、「犬蓼」とを合はせ綴ぢて附

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とんびと油揚

寺田寅彦

とんびと油揚 寺田寅彦 とんびに油揚をさらわれるということが実際にあるかどうか確証を知らないが、しかしこの鳥が高空から地上のねずみの死骸などを発見してまっしぐらに飛びおりるというのは事実らしい。 とんびの滑翔する高さは通例どのくらいであるか知らないが、目測した視角と、鳥のおおよその身長から判断して百メートル二百メートルの程度ではないかと思われる。そんな高さか

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油を搾る話

中谷宇吉郎

いつか江戸前の天ぷら屋で天ぷらを喰った時に主人から聞いた話である。 油は榧の油と胡麻油とを半々に割って使っています。手搾りの油があれば胡麻ばかりの方が良いのですが、この頃じゃ機械搾りしかありませんから胡麻だけでは少ししつこくなりますので。 という話なのである。しかし機械の方が巧く搾れそうなものだときいたら、「駄目ですね、とことんまで搾ってしまいますから」とい

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あさぢ沼

田山花袋

私は知つてゐる人に逢はないやうに沼の向う側を通つて行つた。なつかしい沼、蘆荻の深く生ひ茂つてゐる中に水あほひの濃く紫に咲いてゐる沼、不思議な美しい羽色をした水鳥の棲んでゐる沼、私の恋を育てゝそして滅して行つた沼――さびしい田舎の停車場を下りて、百姓家について幾曲も曲つた路を通つて、それからずつと此方へと歩いて来て、その銀色した沼の一部を眼にした時には、私は一

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沼森

宮沢賢治

沼森 宮沢賢治 石ヶ森の方は硬くて瘠せて灰色の骨を露はし大森は黒く松をこめぜいたくさうに肥ってゐるが実はどっちも石英安山岩だ。 丘はうしろであつまって一つの平らをこしらへる。 もう暮れ近く草がそよぎ防火線もさびしいのだ。地図をたよりもさびしいことだ。 沼森平といふものもなかなか広い草っ原だ。何でも早くまはって行って沼森のやつの脚にかゝりそれからぐるっと防火線

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沼田の蚊帳

田中貢太郎

沼田の蚊帳 田中貢太郎 安政年間の事であった。両国矢の倉に栄蔵と云う旅商人があった。其の男は近江から蚊帳を為入れて、それを上州から野州方面に売っていたが、某時沼田へ往ったところで、領主の土岐家へ出入してる者があって、其の者から土岐家から出たと云う蚊帳を買って帰り、それを橘町の佐野又と云う質屋へ持って往った。それは十畳吊の萌黄地の近江麻で、裾は浅黄縮緬、四隅の

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沼辺より

牧野信一

こんな沼には名前などは無いのかと思つてゐたところが、このごろになつてこれが鬼涙沼といふのだといふことを知つた。明るい櫟林にとり囲まれた擂鉢形の底に円く蒼い水を湛へてゐる。やはり噴火口の痕跡なのであらう。 土筆、ぜんまひ、ツバナ、蕨などの芽がわずかに伸びかかつた沼のほとりの草の上は羽根蒲団のやうで、僕はいつも採集道具を携へて来るのだが、ついぐつすりと寝込んでし

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沼のほとり ――近代説話――

豊島与志雄

佐伯八重子は、戦争中、息子の梧郎が動員されましてから、その兵営に、二回ほど、面会に行きました。 二回目の時は、面会許可の通知が、さし迫って前日に届きましたため、充分の用意もなく、一人であわてて駆けつけました。そして、長く待たされた後、ゆっくり面会が出来ました。 帰りは夕方になりました。兵営から鉄道の駅まで、一里ばかり、歩きなれない足を運びました。畑中の街道で

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