一言二言三言
岸田国士
一言二言三言 岸田國士 誇大妄想狂 幕末の志士は佳し。爾来ニキビ面の低脳児、袖をまくりて天下国家を論ずるの風、一時、奇観を呈せり。釈迦、基督はよし、ダントン、レエニンは佳し。今日、猫も杓子も、社会、人類を憂へて、騒然、喧然。 東洋人、由来、悲憤慷慨の気に富む。 ――俺は、どうしてかう意気地がないのか。 ――きやつは、実に怪しからん。 ――貴様は何といふ恥知ら
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一言二言三言 岸田國士 誇大妄想狂 幕末の志士は佳し。爾来ニキビ面の低脳児、袖をまくりて天下国家を論ずるの風、一時、奇観を呈せり。釈迦、基督はよし、ダントン、レエニンは佳し。今日、猫も杓子も、社会、人類を憂へて、騒然、喧然。 東洋人、由来、悲憤慷慨の気に富む。 ――俺は、どうしてかう意気地がないのか。 ――きやつは、実に怪しからん。 ――貴様は何といふ恥知ら
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独断一束 岸田國士 思想 芸術としての思想の魅力は、芸術家が、その思想を、軽く掌の上にのせてゐる時にのみ、われわれの心を動かす。 時代意識 時代意識がない、それで、その作品に、なにか大事なものが欠けてゐるやうに思ふのは、創作を深呼吸と間違へてゐるのだ。 健康な小児の、静かな寝息がわからないか。 慌てまいぞ、藪医者! 去年の星は、断じて、今年の星ではない――真
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新劇協会の舞台稽古 岸田國士 初日の予定を変更して舞台稽古を見せた新劇協会――これはいろいろの意味で問題になる。が、それはそれとして、僕は、新劇協会が、新しい成長の第一歩――、毎月定期公演の第一回上演目録に、正宗白鳥氏作「人生の幸福」を選び、前回の成功と反響とに、劇団の来るべき運命を托さうとした、その企図を、悪意なく諒察することができる。 僕は、初めて、舞台
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あの顔あの声 岸田國士 門司から基隆まで 勿論船の上である。Tと名乗る男――彰化で料理屋を営んでゐる男――口髭を生やしてゐる男。 「こんなに静かなことは珍らしいです」 それはまた、両蓋の金時計を幾度も出して見る男――用が無くても船員に話しかける男――誰にでも飯が食へるかと訊ねる男。 「日清戦争の時、おやぢが通訳で……」 そのおやぢの写真を、取りに行つてゐるひ
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上演目録 岸田國士 僕は嘗て、築地小劇場の上演目録について希望を述べたことがある。今度また、新劇協会が文芸部を設けたについて、その点に触れた一文を草した。 偶々、先日帝大劇講演会に列して、林和氏の講演を聴き、文芸座の上演戯曲選定方針について興味ある意見に接し、更に、今日築地小劇場が、来年度より創作劇を上演するといふ、歓ぶべき報道を読んで、もう一度、此の問題を
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「不可解」の魅力 岸田國士 解らない、然し、何だか、かうふわつと来るものがある。少しぢれつたい、が、悪い気持ちぢやない。 芸術の鑑賞が、常にこれでは少々心細いが、僕はたしかに、今日まで、かういふものにぶつかつたことがある。 処が、さういふものでも、処々はつきり解る部分がないではない。そして、此の解る部分の魅力が、解らない部分の魅力をかなり左右することにも気が
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『同志の人々』 岸田國士 僕は近頃、芝居はどこが面白いかといふ問題について頭を捻つてゐる。 少しそれがわかりかけたやうな気がする。そこへ、畏友山本有三氏から近著戯曲集『同志の人々』の恵贈に預つた。で、早速、そのうちの或るものを再読して見た。 山本有三氏には甚だ失礼ではあるが、僕の戯曲論の説明に、同氏の作品を一例として拝借することにする。それは、同氏の第一戯曲
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出発点 岸田國士 築地小劇場の「夜の宿」を観て「これは佳い」と思つた、「本もの」だと思つた。 第一に脚本が佳い、第二に「演出者」の理解が行届いてゐる、第三に翻訳が立派だ、第四に俳優が真面目だ。 第一については論ずる余地はない。第二についても今更意外だとは思はない。第四については、今度だけさうだといふのではなく、今度のものにそれが極めて役立つてゐると云ふまでだ
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巴里素描 岸田國士 ヴォルテエル河岸 霧雨。――外套の襟を立てる。 ――いくら……これ? ――ラ・ハルプの文学史……六十法。 ――さよなら。 小蒸気の笛。 ――危ない、滑りますよ、奥さん。 サン・ミシェル街 新調のズボンが短か過ぎる。 (また、一人で飯を食ふのか) ――おい、どうした。 ――うるさい。 マロニエの若葉の匂ひ。 ルュクサンブウル公園 朝から噴水
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ふらんすの女 岸田國士 マダム用応接間にて ――あなた、旦那さんのどういふところに、一番感心してゐらつしやる? ――上手に嘘をつくところ。 ――…………? ――あの人の嘘は、それや嘘らしくないの。だから、騙されてゐながら腹は立たないの。 或る日の朝 ――出て行けつたら出て行け。 ――出て行きますとも……後悔するんぢやありませんよ。 ――後悔なんかするもんか。
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二つの答 岸田國士 仏蘭西の演劇聯盟乃至劇研究団体について何か書けといふ御註文ですが、御承知の通り、仏蘭西人は、頗る社交的であると同時に、極めて自立的で、社会的交際は盛んであるが、組織的団体を作ることはあまり好まない。大きな欠点とも云へるでせうが、そこにまた、民族的文化の特質があると思ひます。 大阪演劇聯盟の組織や事業については、僕はまだよく研究してをりませ
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文学か戯曲か 岸田國士 人道主義者ロマン・ロオランはまた民衆劇運動の唱道者である。その著書『民衆劇論』はなかなか傾聴すべき議論であつて、当時一部の活動家を刺戟して、危くソフォクレスの時代を夢想せしめたことは事実である。 しかも彼れロオランは、例によつて、一理論家たるに甘んぜず、名著『ジャン・クリストフ』を編んだ如く、こゝにまた近代悲劇数篇を綴つて普ねく世に問
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仏蘭西役者の裏表 岸田國士 日本でこそ、その昔は河原乞食とまで蔑まれ、大正の代にあつてすら、未だに芸人扱ひを受けてゐるわが俳優も、仏蘭西などでは、今も昔も、さぞ、威張つたものであらうと、かう思ふ人もあらうが、どうしてどうして、ルイ十四世大王の寵遇を一身に集めてゐた一代の果報者、モリエールさへ、一公爵が、その頭を抱いて撫でまわすに任せ、遂に釦の角で顔を擦りむい
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チロルの旅 岸田國士 ヴェロナ なるほど、………………………………。 これがロメオとジュリエットの墓だな。大理石の棺には蓋がない。名刺がいつぱい投げ込んである。 シェイクスピイヤの胸像が黒い蔦の葉の間からのぞいてゐる。 そこで、絵はがきを売つてゐる。 トレント こんどはダンテの立像だ。見てゐると頸が痛くなる。 オースタリイ軍に殺されたイタリイの薬剤師を憂国の
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築地小劇場の旗挙 岸田國士 日本にはじめて純芸術的劇場が建てられ、その当事者が、何よりもまづ未来に目的を置いて、根本的な演劇革新運動を起したといふことは、実に愉快である。 「最初に現れたものをいきなり見られ、いきなり判決を下される事は迷惑至極である」だらう。僕は決してそんなことはしないつもりである。 「我々の使命は、如何なる形に於てなされるか、今我々自身予想
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上演料の話(仏蘭西) 岸田國士 「フィガロの結婚」は連続七十三回の上演で、作者ボオマルシェの収入が八万九千法。 千九百十年の調査によると、仏国劇作家協会は正会員四百、準会員四千、そのうち、重なる劇作家五百人の中、一年の収入(上演料のみ)十万法以上のもの七人、五万法以上十万法以下のもの八人、二万法以上五万法以下のもの二十七人、一万法以上二万法以下のもの二十八人
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春秋座の「父帰る」 岸田國士 菊池氏の作品を実際舞台の上で見るのは、「忠直卿行状記」の脚色されたものを除いて、今度、本郷座にかゝつてゐる「浦の苫屋」と、それから、明治座の「父帰る」がはじめてである。 「父帰る」は菊池氏の傑作らしい。菊池氏の傑作であるのみならず、現代日本の生んだ世界的名作であると云ふ人もある。 私は、今日まで常にさうであつたやうに、偉大な作品
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本郷座の夜の部を見て何か言へといふ注文なのですが、私はまだ厳密な意味で、他人の作品を批評し得る自信はありません。 云ふまでもなく、新しい本郷座の舞台で谷崎、菊池両氏の新作が左団次一派の俳優によつて上演されると云ふ事実は、私の好奇心を惹くに充分でした、実は、昨年の夏日本に帰つて以来、まだ一度も、芝居小屋の木戸を潜らなかつたのです。巴里で過ごした三年あまりは、殆
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内海達郎は、近頃あまり経験したことのない胸騒ぎを感じた。それは、十数年前にパリで知合つて、わりにちかしく交際をした一人のフランス人、ロベエル・コンシャアルから、思ひがけない手紙を受けとつたことからである。 手紙の文句はあらまし――戦争はすんだが、君の消息をまづ知りたい。無事であつてくれることを心から祈る。おそらく、君からの直接の返事が貰へるとしても、それを待
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人は自分で自分をどうすることもできないことがあります。それは、ほかからの力でもなく、自分のうちにあるものといふことすら気のつかないことがしばしばあるのです。男でも女でもそのことはおなじですが、女はことに自分の生涯をなんびとかの手にゆだねるといふ習慣からなかなかぬけきれません。なにごとも運命と考へたり、はかない夢をいつまでも追ひつゞけるのは、まつたくそのためと
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「荒天吉日」とは、別にたしかな出典のある言葉ではなく、ふと思ひついて、こんな標題にしたのである。読んで字の如く、天気が悪くてしかも目出たい日といふ意味、いはゆる神風の吹く日などは、その最も著しい例であらう。 しかし、私は、この物語のなかで、決して神風そのものをあつかふ意思はない。たゞ、戦ふ日本の姿をぢつと見つめ、国民一人々々の希望と努力とを厳しく省みるとき、
岸田国士
吾妻養狐場には、もう狐は牡牝二頭しか残つてゐない。いづれも樺太産の優秀な種狐であるが、場主の星住省吾は、これさへ適当な買ひ手があれば、手放してもよいと考へてゐる。 戦争この方、贅沢品にちがひない銀狐の毛皮はぱつたり売行がとまり、そのうへ、飼料たる生ニシンや馬肉の入手もすこぶる困難になつたので、増殖はおろか、百頭あまりもゐた狐をどう始末するかゞ頭痛の種であつた
岸田国士
かうと思つたらどうしてもそのことをやり遂げないと承知できない人物がゐる。 やり遂げる意志の力はまことに見あげたものであるが、「かうと思ふ」、その「かう」が問題であつて、結果の是非善悪はまたおのづから話が別であらう。 だが、ともかくも、さういふタイプの男としてすぐ私の眼に浮ぶのは、おそらく諸君の多くはその名前を聞かれたこともないであらう奥山恩といふもう初老に近
岸田国士
熊川忠範の名前は、今や、全村はおろか、県下に知れ渡らうとしてゐる、といつても言ひ過ぎではない。 一介の炭焼が、突如として名声を博し、やがて産を成す希望を与へられたと言へば、おそらく森の奥で金塊を拾つたか、谷川のほとりにラヂウム泉の湧き出るのを見つけたか、そのへんのところに相違ないと思ふひともあらうが、話はもう少し込み入つてゐて、しかも、人生の皮肉を興深く感じ